35 継承//

「あの、俺はですね――」


 半分腰を浮かしかけ、慌てて言い訳を試みる雅樹に、総裁は手振りで落ち着くようにうながした。


「辻本君、安心したまえ。我々には君の言葉を信じた独自の根拠がある」

「はあ。それは?」

「墜落した〝昭和〟の船長が、事故直前に火星上空を飛行する不審な船舶の照会届けを出している。それに、現地調査を再確認する目的で試験的に開始されたマリネリス峡谷のリモートセンシングデータと現地での地質調査の結論が妙に食い違う事実。また、リー・メイシャン医師が折りにつけ我々に送ってよこした報告書などがそれだな」


 総裁はそこで言葉を切ると、ネクタイを緩めて背もたれにどさりと身体をあずけた。


「だが、言ってしまえばどれも内部資料だ。仮に証拠として提出したとしても、第三者がねつ造を見分ける手段がない。その上間接証拠ばかりだ。裁判官を納得させるのは相当難しかろうよ」

「ですが……」


 雅樹は不満そうに唇をゆがめて黙り込んだ。

 その様子を見て、総裁は両手を組み合わせて前のめりになると再び口を開いた。 


「もちろん我々だって可能な手は打っている」

「はあ」

「例えば、だな。先月の削減人事でNaRDO全体で百人近い依願退職者が出たが、そのほとんどが特別査察部の調査でヤトゥーガの送り込んだスパイとその協力者と判明した者たちだ」

「え、そんなに?」

「ああ、情けない話だが……」


 総裁は苦虫をかみつぶしたような表情で続ける。


「NASAやESAでも状況は似たり寄ったりでな、それぞれ相応の措置がなされている。それに、ウチが国防軍との合同で火星に送り込んだ災害復旧部隊のもう一つの目的は、ヤトゥーガ秘密鉱山の接収と従業員の保護だ。火星でのヤトゥーガデベロップメントの活動はこれで事実上不可能になると見ていい」


 雅樹は呆れたようにため息をついた。


「なんでわざわざそんなまどろっこしい事を……それじゃヤトゥーガの中枢はまったく無傷じゃないですか! あれだけの人命を奪っておきながら、そんな付け焼き刃な……結局、彼らは全く裁かれないんですか?」

「ああ、今は、な」


 そこで総裁は一瞬沈黙すると、苦々しい表情で先を続けた。


「君の指摘する通り、これは対処療法に過ぎん。だが、君だって彼らがほぼ独占的に供給する各種レアメタルの必要性はよく判っているはずだ。我々の宇宙開発にしたって、それらのレアメタルなしでは今や一歩も進まん。奴らはそれをよく知っていて、政府要人や国際機関経由でウチに巧みに揺さぶりをかけている。つまり、これ以上の動きは我々自身の首を締める事にもなるんだよ」

「……」

「悔しいのは私とて同じだ。だが、今はこれが限界なんだ。判ってくれないか」


 雅樹は唇を噛んだ。


「……ご命令ということであれば従います。ですが私は――」

「命令だ。今はこれ以上騒ぐな。だが、今回の事件は〝一生〟忘れるな」

「は?」

「君をここに呼んだ本当の理由はそれだ」


 総裁はそこで表情を緩め、我が子を見守るような柔らかな視線を雅樹に向けた。


「君は、まだ若い」

「それが何か? 私では経験が足りないと――」

「違う」


 総裁は立ち上がるとゆっくりと両手を伸ばし、そのままやわらかく雅樹の両肩に置いた。


「君になら、リターンマッチのチャンスはまだある。慎重に動け。時間をかけて無条件に信頼できる仲間を一人でも多く増やせ。そして、決してあきらめるな!」

「あの……総裁、あなたは私に一体何をさせるおつもりなんですか? 私はすでに昨日付けでNaRDOに退職届を提出しました。来週にはここを離れるつもりです」

「ああ。悪いが、君の届けはフォーマットに不備があって受理できんと人事部から報告があがっているぞ。それに、君には届けに先んじてすでに新しい辞令が出ている。ほら、これだ」

「しかし、私はもう……」

「異議があるなら後は人事部と直接話したまえ」


 総裁はにこりともせず強引に封筒を押しつけ、静かに言葉を続ける。


「恐らくこの先も、我々とヤトゥーガとの闘いは長引くだろう」

「……」

「お互い総力戦になるかも知れん。だが、残念ながら私はもうこんな老いぼれだ。決着がつく前に一線を退かざるを得ない。だから、せめて君に後を託したい。今の君なら、この悔しさを決して忘れることはあるまい。そう私は信じている」

「あの……気持ちは理解できますが、私のような……」

「これ以上君と議論をするつもりはない。行きたまえ。表で君の客が待っているはずだ。退院したら引き合わせるようにきつく約束させられたからな」

「……はあ」


 雅樹は手渡された封筒を明かりにかざすようにしながら不承不承立ち上がると、一礼して扉に向かう。


「あ、そうだ、一つ聞き忘れたことがあった」


 立ち止まった雅樹の背後から、総裁は少しだけ照れたような口調で呼びかけた。


「極めて個人的な質問なんだがね……彼女は、メイシャンは向こうでうまくやれてたかな?」

「一体……どういう意味でしょう?」

「いやね、実は、シャトルの事故で孤児になったメイシャンを引き取ったのは我々夫婦だったんだよ」

「え?」

「私がまだ君と同じくらいの年齢だったころ、一時期台湾国家宇宙センターに出向してね。彼女の父君には多方面で色々と世話になった。生まれたばかりの彼女を抱っこさせてもらったこともある。その縁でね」

「そう……だったんですか」

「事故のこともあって、昔からあの子は他人と接するのが大の苦手でね。火星にやったのも、見知らぬ他人の少ない環境ならそれなりに上手くやれるんじゃないかと思ったからなんだが……」


 総裁はそれ以上は言わず、言葉を濁した。

 雅樹もあえて振り返ることはせず、立ち止まったままつぶやく。


「……素晴らしい、働きだったと思います。少なくとも、私にとっては、かけがえのない、本当に頼もしい、相棒でした……」

「そうか……」


 総裁はその答えを聞き、遠くを見るような目つきになると、わずかに微笑んだ。


「こんなことがなかったら、いずれあの子も君のような前途ある若者と恋をして、結婚して……。あわよくば、早く孫の顔もみてみたいもんだ……と夫婦で秘かに夢見てもいたんだがね」


 雅樹はそれ以上何も言えず、ただ、うつむいた。

 家族を失った辛さを周囲にみじんも感じさせず、傍目には非情とも思える判断を下した総裁の真意にようやく気付いたからだ。

  同時に、総裁があえて自分に後を託そうとする理由にも激しく心を揺さぶられた。


「……そんなお膳立てに素直に乗るような人でもなかったでしょう?」


 だが、雅樹もまた、心中の嵐を押さえ込むと、背中を向けたまま静かに答えた。振り向いて今さら顔を合わせるのはかえって礼儀に反しているように思えたからだ。

 今の雅樹には、総裁がどんな表情をしているのか、手に取るようにわかる。

 きっと、自分と同じ。


「そうだな。いや、引き留めて悪かった。行きたまえ」


 総裁は背を向けたままの彼の非礼をとがめもせず、むしろほっとしたような口調で穏やかに言った。

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