31 //接続
NASA補給船〝カール・セーガン〟は火星を離れ、地球に向けて二回目の軌道調整を正常に終了した。
操舵室内を支配していたピンと張り詰めた空気が緩み、あちこちで笑い声混じりの雑談も聞かれるようになる。だが、通信士ヴァレリー・クマガミは、数時間前から緊急通信バンドにちょこちょこと飛び込んで来る不可思議な電波に悩んでいた。
ディスプレイの表示を見るかぎり、通信プロトコルは彼女の父の故郷でもある日本のNaRDO標準規格が使われているらしい。だが、弱い信号から切れ切れにデコードされた短い音声は、どう聞いても子供のそれにしか聞こえなかった。
遷移機動中は地球管制との交信で忙しく
彼女は、いたずらにしてはしつこすぎるその通信をいさめようと主回線に切り替え、次の瞬間、それが日本語、しかも聞き覚えがあることに気付いてはっとした。
「ちょっと、久美子ちゃんでしょ! あなた、一体何をやってるの?!」
返事は十数秒のタイムラグの後戻ってきた。
『……もし……て、ヴァレリーさん?』
「そうよ! あなた何やってるの! 無線機はあなたたちのおもちゃじゃないのよ」
『お願い! おねえさん! 私達を助………船……ちたの。地震で基地はボロボロよ。たくさ……んだわ。 先生も……の。……ねえ、私達、死にたくない!』
何を言っているのかほとんど聞き取れない。だが、最後の一言「私達、死にたくない!」だけが強烈に耳に残った。
「何言ってるのよ。アズプール基地は砂嵐の影響で一時的に通信が途絶えているだけだって聞いたわよ。変なこと言って大人をからかっちゃ駄目でしょ!」
『誰がそんなウソを……たの? ねえ、お願い……けて! 信じてよ! もし嘘だと………アズプールに来て! ……んがたった一人で助けを呼びに……の。このまま………で死んじゃう!』
ヴァレリーは混乱した。久美子の通信の内容はまるで要領を得ない。だが、悲痛な声で訴えかける彼女の口調が演技だとはとても思えなかった。
隣の席からは、激しい口調の日本語で怒鳴るように話す彼女を、同僚のヒスパニック系女性通信士が心配そうな顔でのぞき込んでいる。
ヴァレリーの脳裏にはつい数日前に手を振って笑顔で別れたばかりの快活な少女の面影が浮かぶ。
(大丈夫。久美子ちゃんはこんな嘘で大人を困らせるような子じゃない)
彼女はそう自分に言い聞かせると、予備のモニター回線を立ち上げるように身振りで同僚に頼む。慌てて立ち上がる大きなお尻を目で追いながら、彼女は通信相手の発信位置を計算するようコンピューターに指示を出した。
数秒後、目の前のモニターに表示されたアズプール基地の位置とそれは寸分の狂いもなく重なった。だが、アズプール基地本体のビーコンはなぜかキャッチできない。
(確かにおかしいわ。久美子ちゃんの無線が入るのに、あれだけ強力な基地のマーカービーコンが入らないなんて事があるかしら?)
彼女の額に冷や汗がにじんだ。もしかするとこれは想像以上の大事なのではないだろうか。
「わかったわ。取りあえず
『だめ~っ! 基地の通…もスパイな…て………うまく…ゃうのよ!』
ブツブツ途切れる音声からその真意を拾い上げるのは難しい。だが、ヴァレリーの脳裏にガンガン鳴り響く警戒警報は、これは尋常ならざる事態であることを本能的に告げていた。
「大丈夫。信用できる人がいるの。その人に確かめてもらうから」
『でも……。外はひどい嵐……その人、ここまで…かしら? 私達、もうあ…り空気も食料もな……そ………んが……………』
「嵐の中でもウチの大型VTOLなら出せる、と思うわ。それに私、こんな時、普段以上に張りきっちゃうおバカさんにちょっとばかり心当たりがあるの。彼ならきっと大丈夫よ。だから、もう少し頑張って!」
だが、少女達からそれ以上返事はなかった。
レシーバーの向こうから、ヴァレリーは今すぐ安全な場所に避難して、絶対にそこを動かないようにと何度も繰り返し、間の抜けたアラーム音と共にデコードエラーが出るその瞬間までずっと二人に話しかけ続けていた。
「バッテリー、切れちゃった」
久美子はふうと小さくため息をつき、沈黙したデジタルSHF無線機からリンクケーブルを引っこ抜いた。
彼女たちが地球近傍の日系コロニー〝サンライズ7〟に呼びかけを始めてから、すでに十時間以上が経過していた。
「ヴァレリーさん、来てくれるかな?」
しょんぼりと尋ねる久美子の肩を、薫は励ますようにポンポンと叩く。
「ヴァレリーさんと繋がったこと自体、奇跡みたいなものだから。私達はツイている! きっとこの先もうまく行くって!」
〝カール・セーガン〟は地球への最短帰還コースにのっている。
地球も火星も軌道上を公転している関係で、船が今進路を向けている正面に地球は存在しない。およそ一か月後、船が地球の公転軌道に近づいたちょうどのタイミングで、地球が左舷側から滑り込んでくるようなコースを採っている。
だから、地球に向けた通信が〝カール・セーガン〟に届くことは本来ならあり得ない。まだまだ遠い距離にある地球がたまたま船の針路の遙か先をかすめたまさにそのタイミングで、久美子がほんの少しアンテナの向きを間違えたことが奇跡を生んだ。
「さ、エアロックに戻ろう」
薫にうながされ、久美子は無線機を遭難モードに切り替えて立ち上がった。すでにローバッテリー警報のランプが瞬いており、音声での通信は不可能だ。
だが、遭難モードに設定された無線機は、バッテリー残量の最後の一滴まで無理やり絞り出しながら間欠的にパルス信号を発信しようとするはずだ。
久美子は超指向性アンテナの根元に石を積み上げて風に飛ばされないよう重石にすると、目前の闇を透かして何かを見つけようとしている薫の背中に呼びかける。
「行こう」
「うん」
答えたものの、今度は薫がその場を動かない。
「どうしたの?」
「……この真っ暗闇の向こうのどこかに、おじさんはいるのね」
薫はささやくようにつぶやいた。
雅樹に対してことさら当たりの強かった薫だが、別に彼を嫌ってのことではなかった。むしろ彼にまとわりついて構ってもらうことで不安を紛らわせていたのだ。
「たった一人で、誰もいない荒れ地を行くのって、一体どんな気持ちなんだろう?」
「きっと、とってもとっても寂しいと思う。私なら絶対に耐えられない」
「……そうだね」
薫は久美子の答えに小さく頷いた。
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