30 帆走//
暴風はますます強さを増し、また、たびたび唐突にその向きを変えてごうごうと渦を巻く。
雅樹はこの時期に吹き荒れる風は教科書通り常に西からと大雑把に考え、後ろ側以外の方向から風を受けることは最初からまったく考えていなかった。
(というか、そこまで複雑な仕組みを作る余裕もなかったけどな)
もちろん自然の風がそんな都合よく吹いてくれるわけはない。地形によって風は大きくうねり渦を巻き、強さも風向きもめまぐるしく変化する。
だが、原始的なセイルがひとたび風をはらみ損なうだけで、このバランスの悪いランドヨットはあっさりコントロール不能に陥ってしまう。
失速してしまう程度ならいいが、下手に強い横風を受けるとそのまま横転の危険すらあった。しかし、それだけは絶対に避けなくてはいけない。
学生時代、趣味のバイクレースでさんざん転びまくった雅樹だけに、これほどのスピードで転倒することがいかに危険か、今さら考えるまでもなく身にしみて知っていた。左の鎖骨に今も埋め込まれたままのセラミックボルトは伊達ではない。
「またかよっ!」
彼は無意識に舌打ちをしながら横殴りの突風を大きくセイルをひねってやり過ごし、カウンターを当てて傾いた車体をわざと横滑りさせると、全体重をかけて強引に姿勢を立て直す。浮き上がった左のホイールが猛烈な勢いで地面のコブにぶち当たり、斜めにかしいだヨットのフレーム全体が鋭いきしみ音をたてて彼の無茶な操舵に抗議する。
「こんな事なら、地球にいるうちにもう少し真面目に操船を習っときゃよかった」
NaRDOの研修では、シーマンシップを養うため、という目的で、いまだに帆船による洋上研修を欠かさない。
確かに気構えくらいは宇宙船乗りに繋がるかも知れないが、雅樹はあまり真剣に参加していなかった。真面目に取り組めば、こんな異常事態にも、もう少し上手く対応できたはずなのに。
「でも、まさか海のない星でセーリングやるなんて思わないしなぁ」
ブツブツ愚痴る雅樹。
風はお構いなしに再び背後から猛烈に吹き付け、スピードメーターの数字は再びあっさりと三桁の大台に戻った。同時に待ちわびたアラームが短く響く。
「これで六つ目!」
息つく間もなく目前に絶壁が迫る。彼は目測で距離と角度を素早く計算し、右に大きくハンドルを切る。大径のメタルホイールがギリギリと歯ぎしりのような音を立てて鋭く大地を噛み、大地に深くわだちを刻む。風にあおられて浮き上がりそうになる車体を体重をかけてどうにか押さえ込むが、それでも車体は不安定に大きく傾ぐ。
「いけーっ!」
思わず叫び声が出る。マストの先端がきわどく崖をかすめ、岩のかけらを弾き飛ばしてようやくすり抜けた。
途端にぽっかりと開ける景色。
最初の難関、〝
この先しばらくは、固く締まった砂におおわれた〝比較的〟平たんな地形が続く。
「さーて、次はっと」
雅樹はほっと大きなため息をつくと、コンソールに貼り付けた衛星写真を片目でにらみながら次の目印になる地形を探そうと必死に目を凝らした。
だが、これまでは切り立つ崖に遮られてはっきり判らなかったが、見渡すばかりの風景は一面吹き上げられた砂埃でぼんやりと霞み、数百メートル先の見通しすらほとんどないに等しい。空もまた砂埃ですっかり蔽われ、太陽の姿すらはっきりしない。まるで薄暮のような薄暗さだった。
「……やばいな」
背中に冷や汗が流れるのが自分でも判る。ふと思い出してGPSのスイッチを入れてみるが、相変わらずモニターは死んだまま。
(どうする? もし方向が間違っていたら……)
千々に乱れた思いは、最後はその一点に収れんする。
方角がほんの一度違ったとしても、五千キロも先では百キロ近い狂いが出てくる。これまでの所、なんとか見覚えのある地形をたどっているように思えるが、この先、遠くの山陰のほかほとんど目印のない平原では自分の誤りを正す方法はまったくない。
まっすぐ進んでいるかどうかすらも確かめることが出来ないのだ。
(このまま進むべきか……それとも……)
雅樹はしばらく考え込み、不意にそれがまったくナンセンスな悩みである事に気付いて一人苦笑した。
(ここで留まった所でなんの解決にもならないじゃないか!)
酸素も食料もないのだ。進む以外に自分が助かる道はない。第一、五千キロ先まで無事にたどり着ける確率だって最初からゼロに近いのだ。
「ま、その時はその時で考えるさ!」
口に出してみて、我ながらなんといい加減なヤツなんだろうと呆れてしまう。だが、心は不思議に平穏だった。
「俺達は神様じゃない。先のことなんてどうせ判らない。結局後悔するのだから、何もせずに後悔するより、力の限り手を尽くしたほうが気が楽だ」
雅樹はメイシャンに叱られたとき、ただの屁理屈だとしか思えなかった彼女の言葉の本当の意味が、今になってようやく理解できたような気がした。
(それにしても……もっとあなたのことをよく知りたかった)
脳裏に浮かぶ勝ち気な表情と明るい焦げ茶色の瞳が懐かしかった。
彼女とは、ほんの数日しか一緒にいられなかった。
交わした言葉もそれほど多くない。それどころか、雅樹は今も彼女との会話のすべてを明確に覚えている。
(せめてもう少し長く、隣にいてくれたら……)
次の瞬間。
突然襲った横なぎの突風が不意にヨットを持ち上げ、次いで思いきり地面に叩き付けた。メイシャンに思いを馳せるあまり、ほんの一瞬だけ対応が遅れたのだ。
叫び声を上げる余裕すらなかった。
ヨットは叩き付けられた反動でなお高く跳ね上がり、マストを地面に突き立てるように真っ逆さまにひっくり返ると、勢い余ってさらに三度、四度と転げ回った。フレームが折れ、ホイールがはじけ飛び、裂けたセイルは瞬く間に風に飛ばされた。
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