29 疾走//蠢動

 雅樹の駆る不格好なランドヨットは、オレンジ色の砂煙が煙幕のように舞う赤い大地を一直線に疾走していた。

 最初のうちこそサイドブレーキに左手を添え、ゆっくりとしたスピードでこわごわとヨットを走らせていたが、いくつ目かのギャップを飛び越えた瞬間に大きく傾いた車体を立て直すため、サイドブレーキから手を離さざるを得なかった。

 枷を外された途端、ヨットはまるで矢の様に加速した。

 廃品寄せ集めの不格好なコンソールに浮かぶデジタル表示は、ほとんど瞬時に三桁の大台に乗ったかと思うと、その後も一直線に上り詰め、時速百五十キロ前後で小刻みにちらちらと瞬いている。

 だが、雅樹自身はほとんどコンソールに目を落とす余裕がなかった。セイル一杯に風をはらんでまるで飛ぶように疾走するランドヨットは、設計が悪いのか、それとも操縦がまずいせいか、いや間違いなくその両方だが、下手に減速でもしようものなら一瞬で吹き飛んでしまいそうな際どいバランスでかろうじて姿勢を保っている。

 猛スピードのため視界は相当に狭く、ほとんど真正面しか目にはいらない。次々と迫る大小様々な岩塊を間一髪で擦り抜け、あるいはそのまま突っ込んで激しい衝撃に全身をシェイクされながら、雅樹は五官を極限まで研ぎ澄まし、ただひたすらに風を読み、地形を見極めながらセイルを操り、ミリ単位で慎重にハンドルを切る。

 不意に風が勢いを増した。前のめりに後輪を浮かせた車体を立て直そうと思いきり後方に上半身を振ったその時、ヨットはサッカーボールほどの小岩に前輪を乗り上げてフワリと浮かび上がる。

 激しい振動がふっと消え、メーターのデジタル表示がいきなりゼロに戻った。


「!」


 次の瞬間、雅樹は風と融合していた。時にセイルを叩き破るように渦巻く暴風も、この一瞬だけは彼を優しく包み込む。

 彼とランドヨットはまるで滑るように数百メートルを一気に滑空し、次の瞬間、叩き付けられるような衝撃をともなって地上に帰還した。


「ぐへっ!」


うめき声を漏らす雅樹の耳に、出発と同時にセットしていたアラームが短く響く。


「まだ三十分しかたっていないのかよっ!」


 叫びながら、彼は気が遠くなりそうな目まいを感じていた。

 仮に、この常識破りのスピードで休みなくぶっ続けで走り続けたとしても、五千キロ先にある目的のNASA基地にたどり着くまでにはおよそ三十三時間。少なくともあと六十回以上はこのアラームを聞く必要があった。


(六十回か……最後まで緊張を保つ自信はないなぁ)


 時間と共にますます強くなる嵐に、まるでおもちゃのように翻弄されるランドヨット。最後まで無事に操り通せるのか判らない。

 そしてなによりも、このにわか仕立てのランドヨットが果たしてどこまでこの乱暴な操縦に耐え、バラバラにならずにいてくれるのか。

 とても成り立ちそうにない危うい賭けだ。


(オッズは十対一、いや百対一でも誰も乗らないな)


 思う間もなく突然の横風。身体を思い切り反対側に振り、しゃにむにセイルをさばきながら雅樹は内心悲鳴を上げる。


「メイシャン先生! 頼む! 俺を護ってくれ!」


 雅樹は無意識のうちに叫び、汗ばむ両手でハンドルを再びしっかりと握り直した。




「どうして起こしてくれなかったのよっ!」

エアロックの奥で仁王立ちし怒りを露わにする薫。一方、澄ました顔でチューブ入りの非常食を吸い込んでいる久美子。

「どうしてって……もし起こたら、薫はきっとおじさんを止めたでしょ?」

「当たり前よ! 私達だけ置いてけぼりにして行くなんて! そんなの許せない! 裏切りよ!」

「どうして許せないの?」

「どうしてって……とにかくどうしてもよ!」


 薫はかんしゃくを起こす。


「絶対助けてくれるって言ったのに! あのクソじじい! ウソつき! 裏切者!」


 久美子は妙に大人びた仕草で小さく肩をすくめると、食べ終わったチューブをエアロックの隅に放り出して立ち上がる。


「だからこそおじさんは出ていったんじゃない。薫、あなた全然わかってない!」

 

 言いながら「はい」と未開封の非常食を薫に手渡すと、彼女に背を向けてロッカーをゴソゴソとあさり始める。


「そんな事ない! 私達を一緒に連れていってくれたら、明日の夕方にはみんな揃ってNASAの基地でちゃんとしたごはんが食べられたはずよ。こんな……」


 と、渡されたチューブをぐいと握りしめて久美子の背中に突き出す。


「練り歯磨きみたいな食事じゃなく。それなのに、どうして私達だけこんな場所で何日も待ってなくちゃいけないの!? きっと……」

「薫……あなた、あの出来損ないのガラクタが本当に目的地にたどり着けると本気で信じてる?」

「え?」


 背中を向けたままで久美子がぽつりと吐いた一言に、薫の表情がさっとこわばる。


「おじさん……辻本さんの持ち出した空気はたったの四十時間分よ。食べ物は一つも減ってない。少しでも私達の分を減らさないように気を使ってくれたんだと思う。それがどういう意味なのか、薫はわからないの?」


 久美子はそう言いながら無造作にロッカーを開くと、無線機の使用説明ファイルを開いてちらりと目を通し、あっさり諦めて薫に放り投げた。


「はい、電子機器このてのものは薫の専門でしょ。私に使い方を教えてちょうだい」

「ねえ、さっきの、一体どういうこと?」


 薫は足元のファイルを拾い上げ、ぽかんとした顔で久美子を見る。


「辻本さんは、私達のために出て行ったの。貴重な食糧と酸素をこれ以上減らさないためにね」

「え? まさかそれって……」

「いいから、それを持って黙って着いてきて!」


 そう言うと大人でも重いSHF無線機のストラップを肩にかけ、チラリと振り向く。


「外に出るよ」


 そのまま無線機を床に引きずるようにしながらエアロックに向かって歩きだした。


「ねえ、無線は役に立たないっておじさん言ってたじゃない。電波はまっすぐしか進まないから、地平線の向こうに隠れている場所とは話が出来ないって……」

「別に地平線はどうだっていいの!」

「って? え? どういうこと?」


 久美子はさっと振り向くと、薫のヘルメットにびしりと人差し指を突きつけて言い放つ。


「私はサンライズ7と直接話をする」

「無理よ! こんな小さな無線機じゃ絶対に届かないわ。サンライズコロニーがどこにあるかも判らないのに。それに……」

「私ね……」


 薫の抗議を完全に無視して、久美子は目の前の荒れ狂う嵐を遠い目で眺めながらつぶやくように言った。


「……メイシャン先生と今朝の辻本さんを見てて気が付いたことがあるの。あの二人は性格も正反対だし頭の良さもぜんぜん違うけど、よく似てる所がたった一カ所だけあるって。すごくあきらめが悪いって所ね。あきらめないでいるかぎり、どんな無茶もいつか必ず実現するって無条件に言い切るところも」

「……バカなだけよ…」

「そう…きっとそうなんだろうな。でも、私、そういう大人バカって嫌いじゃないよ。だから私も……ね」


 言葉を切り、不器用にウインクをする。


「もし、このまま私達が死んじゃったとしても、最後まであきらめませんでしたって天国でメイシャン先生に自慢できるもん。それに、ほら」


 言葉を切ると、与圧服の胸ポケットから、銀白色に輝く金属にガラス玉をはめ込んだ滑らかなデザインのブローチを取りだし、目の高さに掲げて見せる。

 中央のガラス玉はクリスタルブルー。わずかにつぶれたレンズ状で直径は3センチ程度。中ではライトグリーンとイエローの光点がチカチカと神秘的に点滅している。

 ナノテクが生みだした新種のアクセサリーに見えなくもない。


「これ、覚えてる?」

「あ、〝カール・セーガン〟でヴァレリーさんにもらったお守り!」

「そ。これって、緑の光を手前にして二つの光を重ねるように見通すと、その向こう側に必ず地球メッカがあるんだって。宇宙で働くイスラム教の人はみんな持ってるって」

「でも……」

「大丈夫。火星ここから見れば、コロニーは地球にくっついてるようなものでしょ。方向はほとんど同じはずよ」

「あ、そうか!」

「それに、私達だって少しは役に立つところを見せないと。このままじゃ天国でメイシャン先生どころか辻本さんにだって笑われちゃう」


 そう言うと、久美子はこの星に降り立って初めて、いたずらっぽい笑顔を見せた。


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