21 激痛/救出

『おじさん! 凄い音! 何なの?』


 久美子が震える声で尋ねてくる。


「もう少しだ! 先生が君達のそばまで来てる!」


『通路に降りました。隔壁を越えます。このドアはちゃんと動くのよね?』

「ええ、壊れているのはもう一つ先のドアです」


 児島がすかさず答える。


『本当? 本当にそばまで来てるのね?』

「ああ、ずいぶん待たせて本当にごめんな」

『そんなことない。ありがとう、おじさん!』

「礼なら……」


 雅樹は言葉に詰まった。礼を言われるようなことを自分は何もしていない。

 自分はただ、こんな所でみっともなく、ただ……


「……礼なら、メイシャン先生に言ってくれ」

『一枚目の隔壁を越えました。気圧調整のためボンベ一本分の空気を放出します。視聴覚ブースの入り口が目の前だわ』

「ドアを叩いて!」

『了解』


 わずかの沈黙。そして、子供達の喜びの叫び声。


『外から音が聞こえる! 来てくれたのね!』


 一方、メイシャンの声は対照的に冷静だった。


『司令代理! 壊れた隔壁の開け方を指示して下さい!』

「え?」

『早く!』


 叱責されて我に返る。


「……ああ。扉の左脇の壁に三十センチ四方程度の金属パネルがあるはずだ。メーカーがメンテナンスのために使う点検口のふたです。それをまず外す。次に――」

『待って! 一度に言われても覚えきれない! 一つずつ、順番にお願い』


 雅樹はもどかしさを必死でこらえる。

 全員が自分をじっと見つめているのが判る。その視線がひどく痛い。

 インカムの向こうからは荒い息遣いに混じって電動ドライバーを使う甲高いモーター音が響く。


『外したわ。次は?』

「中に黒い筒状の部品から金属の棒が突きだしてるのが見えるはずです。それが油圧アクチュエータです。その先端にリンクプレートがボルト止めされてるはず……」

『リンクプレート? 幅五センチぐらいの分厚い金属板が上向きに伸びてるけど。先は暗くて見えない……』

「それだ! そのボルトを抜く。抜いた瞬間に金属板が落下するから注意して!」

『ボルトが堅い。私の力じゃ外れないわ!』

「だったらテルミットゲルでプレートを焼き切ればいいじゃないですか!」


 思うに任せない苛立ちで思わず声を荒げてしまってからはっとする。


「すいません! つい……」

『あ、私こそ気づかなくて。待って……』


 再び沈黙。緊張のあまりひどい耳鳴りを感じる雅樹。首筋までズキズキと痛む。

 インカムの向こうでガチャンと耳障りな音が響く。


『金属板が落ちた! それから?』

「それでドアはフリーのはずだけど。動きますか?」

『駄目! びくともしない』

「それじゃ、ドアのすき間にエアジャッキの爪を挟み込んで!」

『挟めるすき間なんてない……ぴったり閉じているのに』

「マルチツールをたたき込んで思いきりこじればいい! そのぐらい自分で考えろよ!」

『そんなにガンガンどならないで!』

『おじさん、先生を叱らないで。お願い!』


 雅樹のイライラは頂点に達した。


「俺だって自分でできればそうしてるよっ! 他人任せになんてしたくないんだ。それが出来ないから……」

『……そうね、ちょっと待って』


 それきり彼女は黙り込んだ。ただ、気合ともため息ともつかぬ荒い息遣いだけがインカムに響く。

 雅樹はそれを息を殺して聞きながら、腕のクロノに目をやろうとして、気付かぬうちに両手を痛いほど握り締めていた事に気づく。

 クロノはすでに深夜と呼ばれる時間を示そうとしていた。


『……今、扉にジャッキを取り付けました。これからスイッチを入れます』


 またも沈黙。この瞬間、レーザー通信のほんのわずかなハム音だけが雅樹の耳に入るすべてだった。他には何の音も聞こえない。

 メイシャンも、山崎も、児島も、そして子供達も、誰もが息を殺してその瞬間を待ち構えている。


『ジャッキ作動! 扉が……動く!』

『ドアが開いていくよ! おじさん! 先生!』


 チタニウムの分厚い扉を挟んで、ほんの数十センチを置いて向かい合う二人が同時に叫ぶ。ガリガリという鈍い破壊音がその声に混じる。


『開きました! 今! ……久美子ちゃん、みんなも……。よく頑張ったわね!』

『……先生!』


 後はただ、安堵のあまり泣きじゃくる子供達の声が聞こえるだけ。

 雅樹は小石混じりの地面にべったり座り込むと、頭を垂れ、長い長いため息をついた。体中に血の気が戻り、頬が熱いくらいに火照る。だが、今の雅樹にはそれすら心地よかった。

(やっと……終わった)

 だが、安堵はほんの一瞬だった。


「そこまでだ!」


 突然、鋭い声が雅樹の神経を逆なでた。


「全員動くな!」


 慌てて顔を上げた雅樹の目に映ったのは、およそ信じられない異様な光景だった。

 無口な二人の作業員が揃って右手に小ぶりのハンドガンを構えていた。

 長身の男は雅樹に、そして先日急病でメイシャンと雅樹をキャンプに呼び寄せた小太りの作業員は児島の後頭部に、それぞれしっかりと狙いを定めている。


「山科さん、何を? 一体何のまねです?」


 反射的に両手を掲げた児島がおびえた声で問いただす。だが、男は無言でニヤリと笑うだけだ。


「山崎班長、妥協はもう終わりだよ。そろそろこっちの条件も飲んでもらう」


 代りに口を開いたのは長身の作業員。


「まだだ。せめて子供達を無事に助け出してから……」


 だが、彼の答えは直接的だった。男は雅樹の心臓に向けていたハンドガンの狙いをすっと下ろしたかと思うと、そのまま無造作に引き金を引いたのだ。

 発射された弾丸は雅樹の左ひざを貫通し、背後の地面に極小のクレーターを生む。


「ぐわっ!」

「司令代理っ!」


 与圧服に穿たれた穴から赤い霧が噴き出す。与圧服が自動的に穴を塞ぐが、銃創からあふれる血液はヌルヌルとふくらはぎを伝い、足先にまで垂れてくる。


「これは……班長! 一体何を……」


 雅樹は両手でひざをつかみ、顔を苦痛にゆがめながら懸命に声を上げた。

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