22 被虐/服従

「仕方ない。左足の代わりにあと十分くれてやる。それ以上は待てない」


 膝を抱えてのたうち回る雅樹の様子をまるで楽しむようにニヤニヤと鑑賞しながら、長身の男は短く宣言した。


「くっ! 班長……一体どういう?」

「ほら、かわいい後輩に説明をして差し上げたらどうだ?」


 山崎は薄笑いを浮かべたままあごをしゃくる男に促されるように雅樹に駆け寄ると、砕かれた左ひざをダクトテープできつく巻き上げた。

 堪え難い痛みにうめき声を上げる雅樹。じっとりと脂汗が浮いたその顔色はひたすら青い。


「すまない! 全部俺の責任なんだ。本当にすまない!」

「……班長の?」


 かすれた声で聞き返す雅樹から目をそらすように顔を伏せた山崎は、言いにくそうにぼそりと口を開いた。


「……私は、長いことNaRDOを裏切り続けて来た。私は火星に派遣されてからずっと、地質調査部隊の総責任者という立場を利用して、NaRDOに虚偽の報告を繰り返してきたんだ」

「裏切り? 虚偽?」

「ああ。報告では、このマリネリス峡谷の地下にはたいした鉱物資源は存在しないことになっている。だが、実際はマリネリス西部一帯……つまり、我々の足下に、含有量が恐ろしく高い貴金属やレアメタルの高品位鉱床が存在するんだ」

「え?」


 激痛にかすむ視界。その向こうで、山崎は申し訳なさそうに顔をゆがめた。


「あの二人は……」


 言葉を切って男達を睨みつける山崎。


「私の監視人として送り込まれてきたある組織のメンバーだ。彼らは私の報告で調査対象から外された地点に数年前から複数の地下鉱山を設置し、極秘のうちに大量の鉱石を採掘して、自前の輸送船でひそかに運びだしていたんだ」

「そんな、どうしてそんな……」

「……大昔、火星の地殻は惑星規模の大変動で大きくひび割れ、地下深くから希少金属を含む熱水やマグマが大量に噴き出して谷に満ちた。それがマリネリス大峡谷だ」


 雅樹から視線を外し、どこか遠くを見るような表情で語り始める山崎。


「その後、水の底に沈んだマリネリス大峡谷には、周りの高地からさらに多くの金属資源が流れ込んだ。さらに時間が流れ、火星が干上がった後、吹き寄せた大量の土砂が谷を埋めた。こうして、太陽系屈指の高品位鉱床は何億年もの間、誰にも知られることなく隠されていたんだよ」


 雅樹は、ややもすると途切れそうになる意識の片隅で、班長はなぜ、こんな長話をするのだろうと不思議に思う。


「ここの鉱石は巨万の富を生み出す。危ない橋を渡るだけの価値があるんだ。だが、私の任期ももう終わりだ。このまま調査が終了すれば、いよいよテラフォーミングの第一歩、マリネリスギガドーム計画が開始されてしまう。峡谷全体に大量の作業員が送り込まれ、秘密鉱山の存在自体が危うくなる。君がここに来たのもその準備のためだろう? だが……」

「だが?……」

「ここでアズプールで原因不明の重大事故が起こる。そうすれば、事故原因を調査、特定し、対策を講じる数年の間、時間が稼げる。彼らはその時間を利用してぎりぎりまで採掘を続けるつもりなんだ」


 長身の男が面白そうな口ぶりで付け足した。


「おまけに、各国で火星開発見直しの世論が一斉に巻き起こることになっているよ。戦後復興もままならない今、巨額の税金をつぎ込み、大勢の死者を出してまで惑星開発を続ける必然性はないという……な。うまくいけば開発はこの先十数年に渡って完全に凍結される」

「そううまく事が運ぶわけが――」

「どうかな」


 男は銃口を左右に振り、口をゆがめて嗤う。


「我々は火星にあるすべての基地に工作員を送り込んでいる。Mサットが機能不全に陥っているのに、どこも大して騒がないのはどうしてだと思う?」

「くっ!」


 山崎が悔しそうに唇をかむ。


「情報操作は完璧に機能していたんだよ。これまでは……な」

「……だが、それでもNaRDO上層部は不審を抱いたんだ」

「おまえの報告てぎわがまずかったのさ」

「違う! 君達が派手に動きすぎたんだ」

「ふん」


 男は不服そうに鼻を鳴らして顔をそむけた。


「先月末、異例の人事異動があっただろう?」

「……まさか!」

「そうだ。任期半ばに派遣医が入れ替わるなんて普通じゃありえない」


 雅樹はメイシャンの言葉を改めて思い出していた。彼女の杞憂はやはり根拠のないものではなかったのだ。彼は、彼女の言葉を真剣に検討しなかった自分を深く悔いた。


『つじも――司令代理! どうしました?』


 長時間途絶えたままの交信を不審に思ったのか、インカムに響くメイシャンの声はわずかに不安の色をにじませていた。


「こちらで問題が……ぐうぅっ!」


 答えようとする雅樹のひざに、男は容赦なく足を踏み下ろした。


『司令代理? 辻本君! どうしたんです? 何があったんですか?』

「さて、山崎さんよ、そろそろ我々の要求を伝えてもらおうか」


 雅樹の傷ついた左ひざを容赦なく踏みしだきながら、男は毒々しい笑いで顔を歪ませた。


「子供達を早く……」

『なぜ? それに辻本君、本当に何でもないの? 声が変よ!』

「……問題ない。早く!」


 この男が子供達の脱出を歓迎するとはとても思えない。

 メイシャンには、余計なことに頭を悩ませず、一人でも多く子供達を助け出して欲しかった。


『みんな衰弱がひどいの。意識があるのは久美子ちゃんと薫ちゃんの二人だけだったの』

「動ける子だけでもいい……早く!」


 その途端、男は雅樹のひざを思い切り蹴飛ばした。


「ぐぅぁぁぁっ!」

『辻本君!』

「いや、その前にまず君にやってもらいたいことがある。リー査察官!」


 声も出せず、のたうち回る雅樹を顧みることもなく、男は大声でそう命じる。


『……あなた、ヤトゥーガの?』

「ほう、もうそこまでつかんでいるのか」


 感心したように鼻を鳴らす男。


『要求は何? 言われたとおりにやる。代わりに引き換えに全員の安全を保障して下さい』


 メイシャンは一切質問をしなかった。地上で何が起きているのか、薄々感づいているのだろう。


「ふっ。要求はただ一つ。基地のコンピューターデータを完全に初期化すること。特に通信記録と地震計データは最優先だ。全部きれいに消してもらおうか」

『約束してちょうだい。誰にも手は出さないで!』

「君に交渉権はない。早くしないと司令代理は二度と自分の足で歩けなくなるぞ」

『えっ! 辻本君。やっぱり何かされたの? 大丈夫なの?』

「……大丈夫だ! ぐわっ!」


 男は顔色一つ変えず、今度は雅樹の骨折した右ももをしたたかに蹴り上げた。


「我々も無駄な殺生はしたくない。だが、素早く行動したほうが彼のためだと思うよ。さて、児島、データパッドを用意しろ。先生がちゃんとコンピューターをクリアするか、ここでモニターさせてもらう」


「僕は嫌です! 山科さんも堀さんも、どうしてこんな――」


 彼の言葉は途中で途絶えた。眉間から血煙を噴きながらゆっくりと地面に倒れ込む彼の背後で、山科の構えたハンドガンの銃口がわずかに煙を上げている。


「ああ、彼は状況が理解できなかったようだな。仕方ない。代わりに司令代理にやってもらおうか」

 男は氷のように冷静な表情のまま、児島の投げ出したパッドを拾い上げる。

「少し汚れたが、機能に支障はあるまい」


 そう言うと、鮮血でべっとりと濡れたデータパッドを、まるでゴミでも捨てるように雅樹の前に放り出した。


『……条件を飲みます。だからもう誰にも手を出さないで!』


 メイシャンが叫ぶように懇願する。


「それは君の働き次第だ。さあ、やれ!」


 掘と呼ばれた男は雅樹の正面に無造作に片ひざをつき、彼の操作するデータパッドを覗き込んだ。

 画面の中ではメイシャンの手によって完全初期化コマンドが発動され、アズプールを制御するスーパーコンピューターの、すべてのデータがゆっくりと消えていった。


「素直でよろしい」


 男はバイザーの奥でにっこりと満足げな笑みを浮かべると、ハンドガンをホルスターにしまい込んだ。


「これで我々ヤトゥーガの活動裏付ける証拠はすべて消えた。輸送船に我々の船が捕捉されたときはどうしようかと思ったが、クラッシュパッドレコーダも無事回収できたし、まあ、これで一安心だな」


 男は上機嫌で立ち上がると、山科と呼ばれた小男に向かって小さくうなずいた。彼は小太りな容姿に似合わず敏捷に駆け出すと、地質調査車のコクピットに消えた。

 辺りをこうこうと照らし出していた投光器がふっと消える。代わりに調査車のヘッドライトがまばゆく輝き、一同を照らし出した。


「さて、そろそろ行くとするか。山崎、お前も来い!」

「しかし、私は!」

「来ないなら別に構わない。そこの児島と同じように額に穴が開くだけだ」

「ぐぅ!」

 

 掘は押し黙る山崎を促すと、しきりに雅樹の方を振り返る彼を追い立てるように調査車に押し込み、タラップに足をかけてふと立ち止まった。


「そうそう、忘れてた。実はこの近くにも小規模な試掘鉱山があってね、採掘効率が落ちてきたんでそろそろ潰そうと考えているんだが……」

「……何が言いたい?」


 雅樹の問いに、男はいい質問だとでも言いたげに大きくうなずく。


「痕跡を消すために、坑道に強力な核爆弾を仕掛けておいた。二日前のやつよりもう少し強力ましなやつを……ね」

「まさか、あの地震は!?」

「そうさ。この基地もかなりガタが来ているようだし、次は持つまい。逃げるなら今のうちだよ。まあ、その足で一歩でも歩けるならば……な」


 男はニタリと笑って、車内に消える。

 調査車はその場でもうもうと埃を巻き上げながら旋回すると、猛スピードで走り去った。

 やがて、地の底から響くような不気味な振動に続き、猛烈な縦揺れが始まった。

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