20 苦悶/侵入
『穴の底に着きました。今、明かりをつけます 、と、見たところケーブル洞の内部はきれいです。崩れた場所はないようですね』
赤外レーザー通信特有の わずかなエコーをともなって、メイシャンの声が響く。
『今、穴の底にプリズムを設置します。これで……』
ノイズに遮られて声が途切れた。
大容量デジタルリンクを前提に開発された赤外レーザートランシーバーは、通信容量の飛躍的増大、さらに長時間通信と機器の小型化を実現した。一方、可視光に近い性質を持つため、電波とは違って直接見通せない場所との通信は不可能だ。
その弱点を補うために、隊員達の間で〝プリズム〟と呼ばれる小さな装置が用意されている。地上であれば見通しのいい山の頂上、今回のような地下であればトンネルの屈曲部に設置することで、レーザー波を拾い上げ、信号を強めて別方向に再発振する機能を持っている。
文字通り、光を曲げるプリズムとしての機能と、中継局としての機能を合せ持っているのだ。
『……これでいいのかな。少し前方に移動してみました。聞こえていますか?』
十数秒のブランクを置いて、メイシャンの声は再び雅樹たち地上組のインカムに届き始めた。
「辻本だ。聞こえてる」
だが、雅樹の答えはどうしても硬くなる。
危険と知りつつ他人を送り込まざるを得ない罪悪感。そして、先の見えない緊迫した状況の中で、自分の判断は間違っているのではないかという拭いきれない不安。二つの悩みが彼の心の中に渦巻き、暗雲を呼ぶ。
『では本格的に移動します。数分後にまた連絡します。
ほんの数分の沈黙が、彼の心の暗雲をさらに成長させた。自分でもなぜこれほど胸騒ぎがするのか判らない。
「大丈夫ですよ、リー先生は」
黙り込み、身じろぎもせずに穴の入り口を睨みつける雅樹の姿を見かねて児島が声をかける。だが、彼は今やそれすら耳に入らないほど緊張していた。
『あと数メートルでメインコンピュータ区画との分岐に到達し……今、到着しました。これから支線に入ります』
その声に、児島も小さく喉を鳴らした。
『狭いですね。腹ばいにならないと入れません。直径は五十センチほど。縦穴の直径とほぼ同じぐらいです。八本あるケーブルのうちの二本がここから分岐しています』
報告の合間を埋める彼女の息遣いも、次第に浅くせわしないものになっていく。
児島がデータパッドに表示した平面図にメイシャンの現在予想位置を素早くプロットし、しかめっ面のままの雅樹に掲げて見せる。図書館はメインコンピュータ区画と隣接しており、分岐点から図書館までは二十メートルほどだ。
『……光ケーブルの1本がさらに細いパイプに分岐して下に降りてます。ケーブルにはタグが付けてありま……〈Media Library〉……これです! 見つけました!』
メイシャンの声が弾む。
「先生! そこから四メートル先に視聴覚ブースの気密隔壁があります。今の場所から二メートルほど後退して、間にもう一つ気密隔壁をはさんだ場所に穴を開けて下さい」
『どうして?』
「今、光ケーブルトンネルは外と繋がっているので真空です。そのまま穴を開ければ、図書館の空気が全部吸い出されてしまいますよ」
一瞬置いて、納得した口調で返事が戻って来た。
『廊下の隔壁をエアロック代わりにするのね』
「そうです。行き過ぎないで下さいよ!」
児島も興奮気味に叫び返す。
『了解。
「司令代理よ、どうやらうまく行きそうじゃないか」
山崎が小さく微笑みながら雅樹のこわ張った肩をほぐすようにぽんと手を置く。
「いえ、まだ判りません」
平静を装ってぼそりと答える雅樹。まだ、ステンレス製のトンネル壁に穴を開ける危険な作業が残っている。レクチャーのために実演して見せた時、メイシャンは激しい光と火花に悲鳴を上げていた。
『……テルミットゲルの塗布、間もなく終了。信管をセットします。念のため、子供達にテーブルの下に入るよう伝えて下さい』
トランシーバー越しの彼女の声がさらに緊張を増した。
テルミットゲルは一見チューブ入りの練り歯磨きに似ているが、爆発的に燃焼する危険な火成品だ。発火をコントロールするためには爆薬と同様にタイマー付きの時限信管を使う。
壁や床にぐるりと円を描くように搾り出し、発火と同時に発生する数千度の超高熱で分厚い金属板すら一気に焼き切ってしまうのだ。
「子供達はもう避難してます。気をつけて!」
『では行きます。点火!』
地下深くからズンと鈍い振動が走り、穴の口から真っ白い煙が吹き出した。大量の砂埃が舞い上がり、辺りの景色が薄いピンク色にかすむ。
『成功です! 隙間から通路の天井パネルらしき物が見えます。これを……』
声に混じってバンッ! という破壊音が響き渡る。メイシャンが焼き切ったトンネル壁を蹴り破っているのだろう。
『通路が見えました。今から降りてみます』
雅樹はごくりと唾を飲んだ。
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