19 逡巡/決意

「リー先生はまだかい?」


 腕組みをして地上の一点を見つめたまま、山崎が誰とはなしに問いかけた。

 視線の先には、数基の大型投光器に明々と照らし出され、闇の中にぽっかりと浮かび上がった縦穴があった。だが、トータル三千ワットのまばゆい光をもってしても、穴の底はなお薄暗く、地上からはっきりと見通すことまではできない。


「もうすぐ来ると思います。さっき非常エアロックのあたりで見かけましたから」


 雅樹はキズだらけのランドバギーを慎重に前進させながら答える。

 ガツンという激しい衝撃と共に車は立ち往生する。小さく舌打ちをした彼はギアをリバースに戻してバギーをわずかに後退させ、再び慎重に前進に入れ直してそろそろとアクセルを踏み込んだ。今度は素直に前進する。


「あー、ギアもいかれてますね。もう走れないですよ」

「またも記録更新だな。雅樹、おまえ今年一年で何台廃車にした?」

「もう考えたくありません」


 山崎の冗談混じりのツッコミが笑えない。


「まあいいさ。今回はウインチだけ動けばいいから。とりあえず用は足りるだろう?」


 昼間の戦闘で山崎と共に三十メートル以上も吹き飛ばされ、赤い砂の上で完全に裏返しになっていたバギーだったが、数人がかりで引き起こし、試しに再起動してみると、意外なほど簡単に息を吹き返した。

 フレームに亀裂を生じ、さらにサスペンションが完全に抜けて地面に腹を擦りながらしか走れないひどい状態だった。それでも何とか自走可能だったのには誰もが少なからず驚き、同時にほっとした。

 まともに動くウインチを装備しているのは、もはやこのランドバギーだけだからだ。

 深い縦穴の底に装備とメイシャンを送り込み、さらに子供達全員を引き上げるためにはもう少し働いてもらわなければ困るのだ。


「ところで先生は何を? あそこはもう使い物にならないはずだよな」


 腕のクロノを覗き込みながら訊ねる山崎に雅樹も首をひねる。

 一方、児島はバギーの鼻面を穴の縁ぎりぎりまで誘導しながら答えた。


「何だか忘れ物をしたって言ってましたけど……」

「……そうか」


 雅樹は小さくつぶやきながらシートに体を戻すと、サイドブレーキを引き、さらにスパイクピンを最大まで突きだして固定した。

「……よし、準備できました」

「仕方ないな。先に装備を下ろしましょうか」


 促されてウインチのコントローラーを運転席から引き出し、児島に渡す。彼は早速、無口な二人の地質調査隊員と共に救急装備品の入ったバッグをウインチのフックに取り付け、慎重に穴の中に降ろし始めた。

 重たいバッグの角が穴の縁を擦り、はずみで崩れた小さな土くれがぽろぽろと落ちていく。


「危ないな」

「ああ。この辺りはもともと軟質土だからな。あと二、三十メートルも掘れば岩盤に届くんだけど」

「……はあ」

「はるかな大昔、まだ火星が水であふれていた時代にはタルシス三山から流れ出す大きな川か湖の底だったのかも知れない。砂岩系の岩がかなり分厚くたい積している」

「……はあ」

「まあ、そのおかげでこれほど早く掘り抜くことが出来たんだよ。だだ……」


 解説しながら近づいてきた山崎が眉をしかめる。


「雅樹、お前、まだリー先生と仲直り出来ていないのか?」

「……チャンスがなくて」

「チャンスって……さっきあれだけ議論してただろうに」

「あ、あれは、穴の底に誰が下りていくかって話で」


 山崎は呆れたようにため息をつく。


「悩むまでもないだろう? この大きさでは彼女以外入れない」

「せめて、隣にもう一つ穴を掘って、拡張するわけにはいきませんか?」

「そのことなんだがな」


 雅樹の質問に山崎は渋い顔をする。


「速度優先でマシンに相当に無理させたからな。ケーブルトンネルの分厚い壁をぶち抜いた時の負荷でモーターは焼き切れちまったよ」

「え!」

「おまけに先端のドリルビットも完全にすり切れちまった。もう使えねぇ」

「と、言うことは、マシンは?」

「ま、よく言って鉄屑だな」


 肩をすくめ、お手上げのポーズでため息をつく山崎。

 雅樹もつられてため息をつき、肩を落とした。


「ところで、先生が穴の中にいる時にいきなり崩れたりはしませんよね?」

「それは大丈夫だろう。一応、穴の壁にはゲルスプレーで固定してあるはずだ。その辺は彼らがしっかりやってくれているよ」

「それならまあ……」


 雅樹は再びため息をつく。

 気が進まないのだ。未知の危険に他人メイシャンをさらす度胸がどうしても持てない。


「……にしても、あの人達、無口ですよね」


 何でもいいから話題を変えようと、ウインチを操作する地質調査隊員に目を向けて、思ったままを口にする。


「まあ……俺達はそう人前に出るような仕事でもないから。ベラベラ独り言を言う方がよっぽど怖いよ」


 だが、山崎はなぜか少し焦ったような表情を浮かべる。


「ところで、先生はずいぶん遅いな…」


 そのまま慌てた様子で辺りを見渡し、タイミングよく調査車の陰から姿を現わした小柄な人影を認めて口元をほころばせた。


「お、いよいよ勇敢な我らが王女様レスキュークイーンのお出ましだ!」


 一瞬、雅樹の脳裏に違和感が浮かぶ。だがメイシャンのいでたちを目にした瞬間にそれは吹き飛んでしまった。

 メイシャンの姿は、まるで単身深海に挑むスクーバダイバーのようだった。

 狭い穴の中で少しでも動きやすくするため、彼女は二重構造の与圧服のかさばる対宇宙線、耐熱の防護カバーオールを着用せず、インナー兼用の体にぴったりとフィットした与圧保温服とヘルメットだけを身に付けていた。

 生命維持のためのバックパックすらも持たず、短時間作業用のミニボンベ一本と各種工具をつるしたウエストベルト、それとトランシーバーだけを身に付けたそのそのシルエットは、雅樹が考えていたよりはるかに細く、弱々しい。

(この人は、こんなに華奢だったのか…)

 雅樹には、うかつに手を触れれば折れてしまいそうにさえ思えた。

 彼の正面に立ったメイシャンは、気をつけの姿勢でぐっと背筋を伸ばした。自分の胸ほどの高さから、緊張した表情で彼を見上げるメイシャンの瞳には、彼女らしからぬ不安の色があった。


「……それでは、行ってきます」

「あ、あの、やはり……」

「議論は尽くしました。地下の子供達はもはや一刻の猶予もありません」


 迷いを断ち切るように、メイシャンは硬い口調でそう答えた。


「ああ」


(何か言わなきゃ。それに、せめて励ましてあげないと)

 このチャンスに思い切って昼間の事も謝ろう……。

 彼女を待つ間ずっと考えていたはずなのに、いつの間にかタイミングを逸してしまい、いざとなると自分でもいやになるほど間抜けな言葉しか出てこなかった。

 だが、それはメイシャンも同じだったらしく、さらに何か言おうとして口を開きかけた彼女は、それ以上何も口にしないまま目を伏せ、彼に背を向けてゆっくりと歩き出した。


「あ、あの……」


 彼女の歩みがぴたりと止まる。


「……気をつけて」


 メイシャンは後ろ向きのまま無言で小さくうなずき、児島の差し出すワイヤーを腰のハーネスに通すと、一瞬だけ雅樹を振り返り、穴の中に消えた。

 雅樹はその瞬間、彼女の姿がそのまま永遠に消え去ってしまうような予感にとらわれ、大きく身震いした。

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