18 拒絶/隔絶
「おー、雅樹!」
診察室を出た所で、廊下突き当たりのエアロックから姿を見せた山崎が彼とは対照的なにこにこ顔で声をかけてきた。
「どうしました? それに、もう動いて平気なんですか?」
「ああ、平気だ。さっきは怒鳴ったりして悪かったな」
「気にしてません」
「危ないところを助けられたのにな。それに、どうしてあそこが弱点だとわかった?」
「あいつの動力が新開発の超高密度ナトリウム電池だと知っていたので。それに、装甲の弱い部分がほかに思いつきませんでした」
「うん? なんだか理由になっていない気がするぞ? 軍用車がペネトレーターの一撃で大破するなんて聞いたことがない」
「確かに、普通に何かが刺さっても爆発しない程度の対策はされてますよ。ただ……」
「ただ?」
「ペレトレータから探査用センサーユニットを抜いて代わりに飲料水のボトルを詰めました」
「え? ああ!」
山崎はようやく得心のいった顔で破顔した。
「なるほど、君も学生時代にずいぶんイタズラをした口だな。水と金属ナトリウムの爆発燃焼は定番のネタだからな」
ガハハと豪快に笑いながら雅樹のかたをバンバン叩く。
「結局、試作品の未完成さが裏目に出たんだな……。ま、おかげで命拾いしたけどよ」
笑い疲れて小さくため息をついた山崎は、思い直したように右手に抱えたランチボックス大のパーツを掲げてみせた。
「そうだ。これ、ようやく見つけたぞ!」
びっしりと注意書きの刷り込まれた表面の透明樹脂コーティングはキズだらけで、しかも赤っぽい砂ぼこりにまみれている。所々黒く焦げている部分もある。だが、相当分厚くコーティングされているらしく、内部に透けて見える金属部には一片のくもりもなかった。
「〝昭和〟のクラッシュパルスレコーダーだ。出港から墜落までの交信、航法の全記録がここにある。さっそく児島に頼んでこいつを解析してもらおうと……」
「……あの、班長、それ、解析は一旦保留にしませんか?」
「え? ああ、それは構わないが……」
あまり気乗りしない様子の雅樹に、山崎は一瞬困惑したような表情で答える。
「どうかしたのか? リー先生と喧嘩でもしたか?」
いきなり図星を刺されて言葉に詰まる。
「い、いえ、別に」
「それならいいが……」
山崎はあいまいに言葉を濁す雅樹をいぶかしげな表情でのぞき込むが、雅樹はうつむいたままで目を合わせようとしなかった。しばらく無言で向かい合った揚げ句、山崎は小さく肩をすくめてふたたびエアロックに歩み去った。
一方、雅樹は山崎が何げなく発した言葉にがく然としていた。心臓の音が聞こえてしまうのでは、あるいは足の震えを彼に気取られてしまうのではないかと気が気ではなかった。
ゆっくりとつばを飲み込み、山崎の言葉を脳裏で慎重にリピートする。冷や汗がこめかみを伝うのが自分でも判る。
「試作品の未完成さが裏目に出た」
確かに班長はなんでもないことのようにこう言った。だが、この火星であの車両が試作品である事を知っているのは、非公開コミュニのボードメンバーである自分と、もう一人、メイシャンだけのはずである。なぜ、班長がそれを知っているのだろう。
(彼は何者だ?)
どこまで知っていて、一体何をしようとしているのか。
雅樹は自分の中にあった山崎班長に対する絶対的な信頼感が急速に揺らぎ始めるのを感じて不安になった。メイシャンの杞憂はやはり正しく、自分は間違っていたのだろうか。
これまで、一人で好き勝手に生きてきた彼にとって、人を使う立場に立つのはもちろん、何が正解なのか誰にも判らない問題に立て続けに決断を強いられるこの状態はひどい重荷だった。その上、一つの問題がちっとも片付かないうちに新たなトラブルが次から次へと飛来し、振り返って自分の判断を見直すことはもちろん、先を見通すことも全く不可能だった。
ただ一つ間違いないのは、自分のミスで自分でない誰かが確実に命を落とす、という厳然たる事実だけ。
それなのに、この極限の状態にありながら、今や雅樹には頼るべきものが何一つ存在しなくなってしまった。
『司令代理! すぐにコマンドルームへ。地下の空気漏れが止まりました!』
児島の弾んだ声がスピーカーから響く。だが、今の雅樹にはそんな朗報すら苦痛だった。
自ら堅く閉ざしてしまった診察室のドアを振り返りながら、彼は大きなため息をつき、唇を血がにじむほど強く噛んで階段に足をかけた。
コマンドルームには重苦しい空気が立ちこめていた。
『すごく頭が痛いの。みんなよ。それに熱もあるみたい』
モニタ越しに久美子が訴える。
発熱のためか、頬は薄い桜色に染まり、黒目がちの瞳は潤んでいる。しかし、一方で彼女のまぶたはひどく落ちくぼみ、刻一刻と衰弱している様子も同時にはっきり見て取ることができた。
「明らかに酸欠に起因する症状よ。それに疲労と空腹。もはや限界ね」
あわてて駆け付けたメイシャンの声も暗い。高山並みの薄い空気、そして不安。耐え続ける彼女達の体力は通常の数倍の勢いで消耗している事だろう。
『一番小さな子が目を覚まさないの。すごく苦しそう。もう呼んでも返事してくれないの。ねえ、どうしたらいい?』
「まずいわね! 昏睡状態に陥っている可能性もあるわ。ボーリングはどのくらい進んでるの?」
「昼に、七本目のライザーパイプを繋ぎました。一本が五・五メートルほどですから……」
指を折りながら答える児島。
「まだ四十メートルには届かないのね。最短に見積もってもまだ数時間はかかりそうね。それまで持ちこたえられるかしら……」
背後で交わされる二人のささやきを耳に、無力感に心をさいなまれながら、それでも雅樹はマニュアル通りに答えるしか方法がなかった。
「とりあえずその子の服を緩めて、頭の方を足より低くしてテーブルに寝かせるんだ。」
『それだけでいいの?』
「大丈夫。あとほんの数時間の我慢だ。君達はこれまでずっと頑張ってきたんだ。もう少し、あと少し我慢してくれな」
『がまん、がまん。おじさんは最初からずっとそればっかりよ。本当に助けてくれるの? ねえ?』
彼女の非難めいた問いが雅樹の胸に突き刺さる。
「ああ、約束だからな。きっと助ける」
反射的ににっこり笑って答えながら、同時に雅樹はそうやって言葉で慰める以外に何一つ有効な手段を持たない自分がひどく歯がゆかった。
地震発生からすでに三十時間以上。今だ一人の遭難者も救い出せぬまま、二度目の闇が迫りつつあった。
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