10 苦渋/鼓舞

「今はエアロックの邪魔になる岩を取り除いてる。でも、数が多いからなあ。時間がかかりそうだ」


 作り笑いを顔に貼り付けてモニタに向かう雅樹の気持ちは重い。今だに子供達を救う何の手立ても思いつかないのに、口からでまかせの報告をするのが辛かった。


『ほんと? よかった! あとどのくらい?』


 だが、久美子は彼の言葉をまったく疑いもせずに屈託のない笑顔を見せる。


「……あ、ああ、まだ半日くらいはかかる。がんばれるか?」

『うん、でも、さっき、守くんが泣いてたの。おなか空いたって』

「そうか……」

『あ、でも大丈夫。まだお菓子が少し残っているから。それより眠い』

「だろうな。もう遅い時間だから。みんなまだ起きてるのか?」

『ううん、私と薫ちゃんだけ。少し眠ってもいい? 迎えに来たら起こしてね』

「ああ、判った。それじゃまた」

『じゃあね。バイバイ!』


 小さく手を振って久美子の姿がモニタから消える。その途端、雅樹は背中をばしんとどやされた。


「辻本司令代理、あなたがそんな深刻な顔をしててはダメ。それじゃあの子達が余計に心配するでしょ。指揮官の一番大きな仕事は部下の士気を保つこと。たとえどんなに困難な状況に直面しても、あなたがにっこりと笑えばみんな安心できるものよ」

「そんな……こんな状態では無理だ」

「こんな状態だからこそ、よ。それがあなたの最も大切な使命だと思って」

「……はあ」

「それじゃ進入ルート探しを続けましょう」


 不承不承うなずく雅樹に、メイシャンはそう励ました。

 二人の前には、基地本館の平面図と監視カメラの映像が分割表示されたデータパッドがあった。

 基地の地下最下層、中央部に丸く示されているのは基地の生命線でもあるスーパーコンピュータとその維持施設。そして、図書館施設ライブラリはコンピュータ区画を取り囲むドーナツ状の区画だ。

 すでに、図書館からエアロックに延びる通路の全てに×バツ印がつけられている。

 もちろん、雅樹が研修から逃げ出すために編み出した独創的なルートも例外ではない。


「さあ、他に思い付くルートを言ってみて」


 タッチペンを手にメイシャンが促す。


「……着陸床からの地下貨物搬入口を経由するのは?」

「ええと……まるでだめね。次は?」

「画像解析室から山頂観測ドームに向かうエレベーターのシャフト」

「ここも潰れてるみたい」

「給排水配管の点検トンネル」

「ええと、駄目……でも、なんでそんな所まで知ってるの?」

「気にしないでください。それじゃ空調用のヒートパイプ点検路」

「お、ここなら……はあ、やっぱりダメ」


 カメラ映像を切り替えながらその都度ため息をつくメイシャンを前に、雅樹はいらいらと腕のクロノに目を落とす。残りは四時間あまり。


「先生、やっぱりこんなまどろっこしいやり方じゃ……」

「それは言わないで!」


 口の前で人さし指を立てながらメイシャンは彼の言葉をぴしゃりとさえぎった。


「最後まであきらめないと約束してくれたじゃないですか」


「でも、もうどこにもルートが……」

「待って! これは何?」


 雅樹のグチを無視して平面図をスクロールさせていたメイシャンは、メインAIが収まるサーバールームから外に向かって伸びる一筋の点線を見つけて指さした。線はあちこちで不規則に折れ曲がりながらも管制塔の方向に向かって延びている。


「え? ああ、これは高圧電力線か、光通信ケーブルの記号です。残念ながら通路じゃありま……いや、まてよ!」


 雅樹は飛び付くようにメイシャンからデータパッドを奪い取った。

「ODDN-64/8、あ、やっぱり光ファイバーだ。六十四プライの大径ケーブルが八本! これなら……」

「六十四プライ?」

「ええ、通信用の光ケーブルの束が通ってるんです」

「ああ、なるほど」

「この部分の断面図データは? ここに監視カメラは入ってませんか?」


 腫れ上がった不自由な手で検索しようとする雅樹から、メイシャンはパッドを取り返した。


「私がやります」

「それ、かなり旧型の光ケーブルです。ずいぶん昔に設置されたんでしょう。昔は人間が結線作業をやる必要があったんで、運がよければかなり大きな口径のトンネルになっているはず……どうです?」


 メイシャンは勢い込んで尋ねる彼に無言でパッドを差し出した。ひったくるようにして画面に目を落とした雅樹は、次の瞬間押し殺したうめき声を上げた。

 通信用トンネルの直径はおよそ六〇〇ミリ。大きさは十分だ。だが、その位置は地下およそ四十五メートル。あまりにも深い。

 管制塔が崩壊している以上、地上からトンネルに入るルートを見つけることはまず不可能だった。


「くそっ! どうしてどれもこれもうまくいかないんだよっ!」


 雅樹はついにパッドを放りだし、足を引きずりながらエアロックを飛び出した。

 暗く狭いエアロックの中で長時間作業したためか、それとも長時間ボンベの空気を吸い続けたせいなのか、本当に息が詰まりそうだった。

 タイムリミットまでおよそ三時間四十五分。

 文字通り八方ふさがりの状況で、時間だけが無為に過ぎていく。


「……本当なら、今ごろは荷物をまとめて〝昭和〟に乗り込んでいたはずなのにな」

 深いため息と共にグチる雅樹。

「どうして俺みたいな落ちこぼれが生き残ったんだ? 基地にはもっと有能な奴がいくらでもいたのに……」

「辻本司令代理、別にあなたが悪いわけじゃないでしょう?」


 気が付くとメイシャンが隣にいた。


「その呼び方はやめて下さいよ。こんな無能な司令官はNaRDO始まって以来でしょう。他の誰かならきっともっと……」

「でも、まだ時間があるわ!」


 彼のグチを遮るようにメイシャンが断言した。


「本当にわずかな時間だけ、です。他には何もない」


 雅樹は大きく首を振り、地平線の向こうに焦点の定まらない視線を向けて再び大きなため息をついた。


「でも、まだ私達は生きてますよ。だからきっと……」

「……先生……」


 雅樹は大きなため息をつく。

 死神の足音が背後に迫るこの状況で、なお諦めずにいられるメイシャンの鋼の精神力が正直うらやましい。


「実は私、ずっとぼっちだったんです」

「はぁ?」


 だが、メイシャンは突然関係のないことを話し始めた。


「話しましたよね。シャトルでの事故のこと」

「ええ」

「事故の後、孤児になった私は親切な後見人の世話でサンライズコロニーに住めることになったんです。でも、言葉もわからないし、ようやく話せるようになっても、今度は周りと全然ソリが合わなくて……」

「あー」


 なんとなく判る気がする。

 彼女は絶対にあきらめることなく、遙かな高みにある自分の理想を追い続ける。自他共に認める怠け者の雅樹には、その姿がやたらまぶしく見える。


「他人に多くを求めすぎだ、とよく言われました」

「……ああ、なるほど」

「やはりそこで納得されてしまうのですね」


 しょぼんと肩をすくめるメイシャン。雅樹は取り繕おうと慌てて言葉を探す。


「えーっと、でも、少なくとも俺はとても助かってますよ。そばで誰かに見張られてないとすぐに怠けるタチなんで――」

「それは改善して下さい」


 結局叱られる。


「……いえ、私が言いたいのはそういうことではなくて……」


 だが、雅樹にはその先の言葉が耳に入らなくなった。


「何だ? あれ」


 まるでこぼれ落ちんばかりに目を見開いた雅樹が震え声で口走る。その形相に一瞬ぎょっとしたメイシャンだが、彼の指さす先にあるものを見て、ドキンと脈拍が跳ね上がるのが自分でもわかった。


「もしかして、あれ……」


 言葉にならない。

 地平線で蜃気楼のようにゆらゆらとまたたくいくつもの白い光点。

 それはゆっくりと、確実に明るさを増しながら近づきつつあった。


「あれは……サーチライト?」


「ランドバギー、いや、もっとずっと大きい。多分カーゴキャリアだ」

「やっと救助隊が来たんですね! 良かった!」


 だが、無邪気にはしゃぐメイシャンとは対照的に雅樹はひどく難しい顔になる。


「でも、救助信号も含め、俺たちは遭難してから一度も電波を発していないんですよ。一体どこの誰が救助隊なんか差し向けたんだ?」

「え?」

「それに、一番近い他国の基地……マリネリス峡谷の反対側です。少なくとも五千キロは離れているはずなのに、どうしてこんなにも早くたどり着く事が出来たんでしょう?」

「それは……」


 メイシャンの笑顔がそのまま凍り付く。

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