08 発熱/非難

 どこにも抜けられない、行き止まりのエアロック。


 貴重な数時間分の酸素と、さらに貴重なバッテリーを浪費した結果ようやく手にしたもの。それは、メインAIへの有線インターフェースと、置き忘れられたような短時間作業用のミニボンベ四本だけだった。

 二人で分け合うと、わずか二時間分にすぎない。

 NaRDOアズプール基地はマリネリス峡谷の西端にそびえ立つ巨大な岩山の内部を半球状に掘り抜いて造られた地下型の施設で、中央ドームからタコの足のように伸びた数本のトンネル通路がそれぞれのエアロックに繋がっていた。しかし、データパッドに表示された施設マップを見るかぎり、その全てが落盤により完全に遮断されていた。


「ところで、この〝災害時モード〟って何でしょう? なんだかひどく情報が制限されているみたいなんですが」

「え?」


 諦めきれず、さらなる情報を求めてデータパッドをいじっていたメイシャンがポツリとつぶやいた。

 画面をのぞき込もうとして立ち上がりかけた雅樹は、途端に全身をつらぬく激痛に凍り付いた。

 この数時間のうちに痛めた右ももはパンパンに腫れ上がり、今や身じろぎすらつらい状態だ。だが、自分の代わりに命の危険すらともなう爆破作業のほとんどを肩代わりしてくれたメイシャンの苦労を考えれば、まだ我慢できる。


「どれですか?」

「ほら、ここです」


 どうにかパッドを覗き込んだ雅樹に、彼女は画面上部の赤い点滅表示を指し示した。


「パスワードの入力を求めてます。どうしますか?」


〈-災害時緊急Aモード-

 現在、情報は制限されています。詳細事項にアクセスするためには技官級以上のIDとパスワードが必要です〉


「これは……」


 どうやらこれほどの大地震でも地下のメインコンピューターは無事らしい。

 雅樹は少しだけほっとすると、メイシャンに体を支えてもらいながら、うろ覚えのパスワードをぽつりぽつりと入力する。

 センサーや監視装置が異常を感知すると、基地を管理するメインコンピューターのAIは自動的に情報や基地の管理機能を制限し、改めて人間側の適切な指示を求めるように設定されている。

 Aモードは最大級の緊急レベルのはずだ。雅樹は先週受けた研修でその説明を受けたばかりだ。


〈あなたは正規の基地運営要員として認証されました。現在の状況を表示しますか?〉


 雅樹は一瞬だけメイシャンと顔を見あわせると、スクリーン上で点滅するアクセスボタンに震える指先を触れた。


〈辻本雅樹-主任技官

 貴官を現時点における最上位の正規職員と認め、基地指揮権を仮託、あわせて現状を報告します。

災害の種別: 不明

災害の規模: 特Aランク

災害の詳細: 不明

生存者数: 不明(現在生存確認済み: 十名)

行方不明者数: 百二十六名

被害を受けた基地設備: 不明 (確認済み:別表を参照)

国際法にもとづく救助要請: 通信設備破壊により不可能……〉


「生存者がいる!」


 ずらりと表示されたあいまいで悲惨な状況レポートの中で、雅樹にはその一行だけが輝いて見えた。


「……よかった」


 小さくつぶやくメイシャンの声も心なしかうわずっている。


「しかし、生存者が十人もいるのに、相変わらず俺が最上位っていうのは変だな」


 雅樹は首をひねる。


「何だか違和感がある。基地内と連絡を取るのはちょっと待ってもらえませんか」


 主任技官の職位はそれほど高くない。

 基地内の一般職としてはまあまあのポストだけど、各部署の責任者、副司令、司令と上にはまだ何人もいる。それが軒並み行方不明というのはどう考えても異様だ。

(何かがおかしい)

 いぶかしがるメイシャンにそれ以上答えず、雅樹はむっつりと考え込んだ。




「やはり、基地内の生存者と連絡を取ったほうがいいんじゃないでしょうか?」


 重苦しい沈黙に耐えかね、メイシャンがぽつりと問いかける。

 日はすでにとっぷりと暮れて、二人の周囲を本物の闇が覆っていた。エアロックの入口に座り込んだ彼らの頭上には、火星の二つの月の一つ、ダイモスが鈍い光を放っているばかり。もう一つの月、フォボスはまだ昇っていなかった。


「で、連絡してどうするっていうんですか? 俺たちは基地に入れない。彼らを救う手立ては何もないんですよ。妙な期待も不安も持たせたくない」

「でもせめて、救助活動を始めていると伝えて安心させるくらいは……」

「基地内の彼らには酸素も食料も十分な蓄えがあるはずです。救助隊がやってくるまで持ちこたえることは可能でしょう。助けて欲しいのはむしろこっちです。もう夜明けまでもたないんですよ!」

「でも……」


 メイシャンは唇をかみしめるように黙り込んだ。

 バイザー越しにその横顔を見つめながら、雅樹は耐えがたい痛みを必死にこらえていた。高熱のため、もはや意識ももうろうとしていた。だが、それを彼女に悟られるわけにはいかない。この状態で自分が倒れてしまったら、限界まで張り詰めているだろう彼女の神経もぷっつりと切れてしまうに違いない。


「やはり連絡しましょう。もしかしたら彼らの方でなにかいい方法を思い付くかもしれないじゃないですか」

「しかし……」

「考えてみて下さい。今、あなたはこの基地の司令官です。そして、基地の中では仲間が不安と孤独で苦しんでいます。それなのに、こんな所で手をこまねいてただ眺めているだけでいいんですか? 少なくとも、彼らを安心させてあげる義務があなたにはあるはずです」

「またその話か」


 雅樹はうんざりと答えた。


「別に俺はなりたくて責任者になったわけじゃない。代わりがいないから押し付けられただけだ。それに、こんな時、一体どうしたらいいのかなんて研修でも教えてくれなかった」

「でもそれは……」

「この際です。はっきり言いましょうか。俺には、あなたのセリフは自己満足としか思えない。我々も彼らと同じ、いえ、それ以上の遭難者でしょう。彼らにしてあげられる事はもう何もない! 今第一に考えなければならないのは、まず自分たちがどう生き延びるか、です。違いますか?」


 メイシャンの表情がぎっと険しくなる。


「判りました。もう結構です!」


 彼女はそう言い放つと、データパッドをつかんですっくと立ち上がった。


「私ひとりでやります。ずぼらな人だとは思っていましたが、これほど意気地なしだとは思いませんでした!」


 そのままくるりと背中を向け、大股でエアロックの中に消えていった。


「そっちこそ! どうして判んないんだ!」


 雅樹は、彼女の消えたエアロックに向かって吐き捨てるようにつぶやくと、足元に転がしたままのミニボンベにあらためて目を落とす。一時間用のボンベが四本。あと二時間もすれば、いやおうなしにこれに頼ることになる。

 そして、これが尽きた時、自分たちの命もまた終りを迎えるのだ。

 予告された確実な死。世の中にこれ以上残酷なものがあるだろうか?

 熱でぼやけた意識の中で、雅樹はゆっくりと夜空に目を移す。

 火星のもう一つの月、フォボスがそろそろ地平線から頭を出しはじめていた。火星を八時間あまりで巡る俊足のフォボスは、のろまなダイモスを夜半過ぎには追い抜くに違いない。

 彼はそんな景色に長いことぼんやりと見入った後、深くため息をついた。


「……どうして俺がこんな目に会わなきゃいけないんだろ?」

「……私も、私もそう思います」

「は?」

 

 慌てて視線を戻すと、目の前に泣き出しそうな顔をしたメイシャンがぼう然と立っていた。いつの間に戻ってきたのだろう。


「先ほどは少し言い過ぎました」


 彼女は目を伏せて言いにくそうにそう詫びると、次の瞬間彼の前に正座して両手をつき、深々と頭を下げた。


「なー! いきなり何のまねです?」

「本当にごめんなさい。私、日本ではこれが正式な謝罪の方法だと養父から習いました。だから……ごめんなさい」

「ちょ、ちょっと待って下さいよ。突然どうしたんです?」

「お願いです、彼女達を助けて! もう一度私に知恵を貸して下さい!」


 慌てる雅樹の前で少しだけ頭を起こしたメイシャンは、そう言うとふたたび深々と頭を下げた。


「彼女? ですから、何がどうなって……」

「残された生存者と話をしました……ですが……」


 それなのに、彼女の表情はますます辛そうだ。


「生存者は、全員がちいさな子供たちなんです!」

「こどもー!? どうしてそんな!」

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