06 負傷/治療
目の前に広がるのはぼんやりとした明るいオレンジ色の空間。
(俺、死んだか?)
はっきりしない頭で一瞬そう考えた雅樹だったが、何気なく身動きしようとした途端、右足に走る激しい痛みに思わずうめき声を上げた。
「あ、気付きましたか?」
声と共に彼の顔をのぞき込む若い女性の顔があった。
宇宙生活者に多いショートボブ、化粧っ気のないなめらかな肌、明るい焦茶色の瞳。
(えらくきれいな人だなぁ)
ぼんやりそう思う雅樹に、彼女は見るからにほっとした表情で続ける。
「右足と左上腕にかなりひどい打撲傷を負っています。骨は折れてないと思いますが、ヒビが入っているかも。かなり痛むと思います。鎮静剤を飲んでおきますか?」
(えーっと、一体誰だったっけ、この人)
まだ十代と言っても通りそうな整った顔を見つめながら、彼の思考はぼんやりと宙をさまよう。
「あ、メイシャン先生か!」
いきなり大声で名前を呼ばれてビクリと固まる彼女の姿に、彼の意識は急速に現実に引き戻された。
キャンプへの往復はお互い与圧服を着ていたし、診療中は別行動だったので、考えてみれば、彼女の素顔をきちんと見たのはこれが初めてなのだ。
「な、なにか?」
凝視されてうろたえるメイシャンを取りあえず放っておいて、彼はあちこち痛む上半身をだましだまし、ゆっくりと起き上がる。彼が寝かされていたのはビバークテントの中だった。思ったよりはるかに狭い空間で、天井が頭につかえそうだ。
「急に動かないほうがいいです。恐らく脳しんとうも起こしています」
言いながら彼女は経口補水液の入った気密ボトルを差し出した。
「俺、どうなったんですか?」
雅樹の問いに、彼女は小さくうなずきながら答えた。
「バギーごと岩の下敷きになりました。主任が最後に引き倒した岩が岩山を微妙なバランスで支える役割を果たしていたみたいで、岩雪崩がバギーを襲ったんです。でも、主任を引きずり出すまではバギーもどうにか潰れずに頑張ってくれて……」
「ということは、先生が?」
「ええ、主任を助け出して間もなく、バギーはぐしゃりと」
「その、主任って言うのやめてもらえます? なんだか俺じゃないみたいで」
「あ、すいません。でも、どう呼べば……」
「辻本でも雅樹でも、お好きに呼んでもらって結構です。それと、あの、どうもありがとうございました」
「いえ。別にお礼を言われるような……」
もごもごと言葉を濁し、目をそらして顔をわずかに赤らめるメイシャン。だが、すぐに真顔になって雅樹の顔を正面からじっとのぞき込んだ。
「でも、あ、辻本……主任、一体これからどうします?」
答えようのない問いに雅樹は言葉に詰まった。
「えっと……バギーはもう駄目ですか?」
「はい。ご自分で確認された方がいいと思いますが、頭から運転席まで完全に潰されてしまって。今はかろうじてお尻が見えている程度です」
「ああ!」
「実は近づくのも怖かったんです。もしかしたら急に爆発したりするんじゃないかと思って……」
「まさか!」
そう答えながらも、不注意で虎の子のランドバギーまで失ってしまったのは相当なショックだった。彼は目を閉じ、深いため息をついた。
「痛みますか? やはり薬を飲まれたほうがいいと……」
涼やかな声が、脳裏に引っ掛かった何かを呼び戻す。
「先生! 今、何とおっしゃいました?」
「は? いえ、やはり薬を飲まれたほうがいいのではないかと……」
「違う、その前!」
いきなり態度を急変させた雅樹に、メイシャンは戸惑い気味に答える。
「ですから、バギーは完全に潰れてしまって、もしかしたら爆発するんじゃ……」
「それだ!」
思わず大声を出してしまい、傷がうずいてうずくまる雅樹に、メイシャンは不安そうな視線を向ける。だが、彼はそれに構わず矢継ぎ早に質問を投げかけてきた。
「まだバギーの後部は見えているんですか? バッテリーは無事でしょうね?」
「いえ、詳しいことまでは判りませんが、取りあえず原形が残っているのは座席の後ろ、リアゲートの辺りだけ、だったと思います」
「十分です」
雅樹は傷だらけのヘルメットを取り上げ、痛みに耐えながらゆっくりと装着する。
「あの、どういうことでしょう? 私には何が何だか――」
「説明は後です。俺は何時間気を失っていたんですか?」
「ええ、三時間ぐらいですけど」
「ということは、残りは八時間か……」
貴重な時間と酸素の浪費に眉をしかめ、彼は簡易エアロックになっているテントの入口にずるずると這い込んだ。
「とりあえず、先生はここにいて下さい」
だが、メイシャンもヘルメットを素早く装着し、二人並んで腹ばいになるのがやっとの狭いエアロックに滑り込んで来た。
「いえ、私も行きます!」
「ここにいて下さい。危ないですから……」
「かまいません。それに、今のあなたは歩くのもつらいはずです。医者として、患者を放っておくわけにはいきません」
「だめですって! 失敗したら今度こそ命がないかも知れません。ですから……」
「判ってます。それに、どっちにしろ私達の残り時間は八時間です。それが少し早くなったからどうなるって言うんですか?」
きっぱりと言い放つと、彼女は素早く内側シールドの気密ジッパーを閉じ、雅樹を無言でうながした。排気ポンプのコトコトという作動音を聞きながらしばらくためらった彼は、排気完了のアラームと同時に外側ジッパーを勢いよく開いた。
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