05 切望/失望


「できることなら、地質調査隊のベースキャンプに引き返したいんです。あそこなら仲間もいるし、数カ月分の補給物資がストックされてる。でも、壊れかけのこいつじゃとてもあそこまではたどり着けないでしょう」


 廃車寸前のバギーから予備の酸素ボンベを取り出してメイシャンに手渡しながら、雅樹はセラミックのボディーを叩いた。

 〝昭和〟の墜落現場を中心に渦を描くように一時間ほどバギーを走らせた後、二人は基地の入り口に覆いかぶさる岩石群の前で車を停めた。

 中央広場の跡地からつごう数十数体、焼け焦げ、ちぎれた与圧服を吐き気をこらえながら拾い集めた末、二人は無為な死体集めを諦めた。

 基地の外に生存者はいない。

 それよりも、基地に閉じ込められているはずの生存者の救助を最優先することに決めたのだ。


「………デジタルマップもGPSもなしキャンプに辿り着ける自信はありません。バギーのわだちに沿って帰ろうにも、風が吹けば消えてしまう。消極的ですが、ここで外部からの救助を待つのが最善だと俺は思います」


 バギーのそばに拡げられた緊急ビパーク用の気密テントから慎重に備品を取りだしながら、メイシャンも小さくうなずいた。


「二人で三日分のチューブ食、簡単な救急セット、与圧服のリペアキット、それから救助信号の発信機。エマージェンシーキットの中身はそれだけです」

「まあ、所詮は車載キットだからなあ。発信機は使えそうですか?」

「だめです。スイッチを入れてもまったく反応がないわ」

「やっぱりか……」


 わずかに期待もしていたのだが、結果はやはり予想通りだった。


「どうも、地震と同時に太陽嵐に襲われたようですね」

「太陽嵐?」


 耳慣れない単語にメイシャンは眉をしかめる。


「ええ、火星震と同じくらい珍しい現象です。瞬間的、爆発的に起きる激しいフレア電磁嵐です。太陽活動が活発な時期には時々発生するものなんですが……」

「ですが?」

「今はちょうど活動の谷間にあたる時期なので、ちょっと考えにくいんですよね」


 雅樹は首をひねる。


「無線機器が軒並みやられているところを見ると、相当に強烈だったんでしょうけど」

「確かに変です」


 メイシャンは首をひねる。


「そもそも、火星ここで使われている機器で対策されていない物なんてあるんですか? 太陽風や荷電微粒子の影響は当然予想できた事だと……」


 雅樹は彼女の言葉を遮るように大きく首を振り、バギーのウインチの調子を確認しながら小さく肩をすくめてみせた。


「完璧なシールドなんて無理ですよ。電波を使う以上、どうしてもアンテナから電磁波が入り込む。普通はフィルターで不必要な信号は取り除くもんですが、想定を超える強力な電磁波を受ると、それ自体が焼き切れてしまいます」

「でも、私達は問題なく会話できてますよ。無線がだめなのにどうして?」

NaRDOうちでは短距離通信用のインターフェースに赤外線レーザーを使ってます。もちろん与圧服同士の直接交信も赤外線です。混線を防ぐために用途別に方式を分けたんだそうです。それが幸いしました」

「……服務規程はご存じないくせに、そういう所はお詳しいんですね」


 込められた皮肉に顔をゆがませながら、雅樹は運転席に滑り込む。


「さて、どうやらいけそうです。先生も手伝って下さい」


 メイシャンがあわてて隣に乗り込むのを横目で確認し、雅樹はまず目前の大岩に向かってゆっくりとバギーを前進させた。

 メインのエアロックは小山ほどもある岩塊に完全に押し潰されて手の打ちようがなく、彼らが向かったのは基地の裏手にある緊急脱出用の非常エアロックだった。基地が開設以来ほとんど使用されたことのない、ほどんど忘れられた施設だ。

 もちろん、ここも岩や瓦礫に覆われてはいるものの、他の出入り口に比べればかなりましだった。


「ところで、一つ聞いていいですか?」


シートに深く座り直しながらメイシャンが口を開く。


「何をです?」

「どうして誰も知らないようなマイナーな出入り口を御存知なんですか?」

「えー、ああ、その……」


 思わず口を濁す雅樹。

 彼がここを知っているのは、研修教官に見つからないようにこっそり基地を抜け出すルートに利用していたためだ。

 理由を聞いたときのメイシャンの冷たい視線が簡単に想像できる。だが、冷や汗をかく雅樹の内心を知ってか知らずか、彼女はそれ以上突っ込もうとはせず、無言で前方の大岩を見つめていた。


「で、どうするんですか?」

「バギーを使って手近の岩から一つずつ取り除くつもりです」

「え、でもそんな事をしていたら時間がいくらあっても――」


 メイシャンの指摘に、雅樹はついつい怒鳴り返してしまう。


「そんなことは判ってます! でも、これしか思い付かないんです! 他にいい方法があったら教えて下さいっ!」


 鼻息も荒くバイザーの酸素残量計をチェックする。五時間四〇分。もう一本ずつの予備を含めても、残された時間はほんの半日しかない。


「着陸床のクレーンやリフターが無事ならもっとましな方法がありましたよ!」


 返事はなかった。サイドブレーキを引きながらちらりと目をやると、彼女はうなだれたままで黙り込んでいる。


(ちょっと強く言い過ぎたか?)


 小さく舌打ちをすると、無言のまま車を降り、バギーのフロントバンパーに装備されたウインチからカーボン製のワイヤーを引きだして手近の小ぶりな岩に巻き付ける。〝小ぶり〟とはいえ両手で抱えきれないほどの大きさだ。

 フックを固定し、リモコンで慎重にウインチを作動させる。ワイヤーがぐいと岩を締めつけ、ピンと張りつめる。だが、次の瞬間ずるずると滑りだしたのはバギーの方だった。


「くそっ!」


 軽い車体が逆にネックになった。メイシャンの体重程度では足しにもならなかった。

 雅樹はウインチを戻すと慌ててバギーに駆け寄り、運転席に飛び乗ると、ホイールのスパイクピンを四輪とも最大まで突きだして再びウインチを作動させる。


「頼むぞ、動けよ!」


 再びワイヤーが張り詰め、ぶるぶると細かく振動しはじめる。


「動け! 動けっ!」


 ホイールがずるりと滑る。

 雅樹は上下に大きく体を揺らして牽引力トラクションを稼ぎながら、心の中で神に祈った。

 がくりと岩が揺れる。


「頼むっ!」


 彼の祈りが天に通じたのか、ついに岩が滑り始めた。

 一度動き始めると、さっきまでの抵抗がウソのように楽々と引き寄せる事ができた。雅樹は小刻みにバギーを後退させながらゆっくりと岩を引き寄せ、五十メートルほど動かした所で車を停めた。


「よし、先生、降りて下さい」


 メイシャンは無言のまま首をかしげる。


「ここで全体の様子を見張っていて欲しいんです。まだ上から崩れてくるかも知れませんから」


 雅樹の言葉に、彼女は相変わらずむっつり黙り込んだまま車を降りた。

 それ以上の言葉をかけるタイミングをつかめず、雅樹はなんとなくぎくしゃくした雰囲気のままバギーを前進させる。

 再び手近な岩にワイヤーをかけ、同じように引きずる。今度は抵抗もなく簡単に引き寄せることができた。

 何度か同じことを繰り返し、数個の岩を一カ所にまとめた雅樹は、それらをひとまとめに縛り上げ、それをアンカー代わりにしてもっと大きな岩を引くことにした。

 バギーの後部ウインチをアンカーに繋ぎ、ワイヤーを繰りだしながらゆっくりと車を前進させる。

 思い切って身長の二倍以上はありそうな大岩に狙いを定め、ワイヤーをかける。さらに前後のウインチを同時に作動させてワイヤーをぴんと張った。


「よしよし!」


 ゆっくりとギアを逆進リバースに入れ、後部ウインチの巻き取り速度に合わせながらじわじわとバギーを後退させる。カーボンファイバー製の超高耐力ワイヤーが張力を受けてギリギリと軋んでいるのが、ハンドルを持つ手に不気味な振動となって伝わってくる。


「頼むから最後までもってくれ!」


 この程度で切れてしまうようならお先真っ暗だ。なんせ、後になればなるほど相手は巨大になっていくのだ。


「頑張れよ、切れるなよ」


 無意識にそう声に出しながら、一方で彼は苦笑する。


「なんだか、朝からずっと祈ってばかりだ……」


 彼は無神論者だ。

 両親とも技術屋という根っからの理系一家に生まれた彼は、ことあるごとに神様仏様を持ちだしてそれにすがろうとする人達の考え方がよく理解できなかった。

 だが、今、この絶望的な状態に追い込まれて、ようやくそんな人々の気持が少しだけ判ったような気がしていた。

 故郷ちきゅうをはるかに離れた広大な荒野にたった二人。空気も水も食料もなく、救援はまったく期待できない。

 その上、相棒は医学知識と思い入れだけはたっぷりの工学オンチ。

 こんな深刻な場面で誰に頼ることもできない。


「これじゃ神様に祈りたくもなるよなぁ」


 思わずグチも出る。

 そんな一瞬の気の緩みが彼の注意力を鈍らせた。


「主任! 危ない!!」


 インカムに飛び込んできたメイシャンの悲鳴じみた叫び声にふと我に返ったとき、彼の眼前にあったのは、バランスを失ないなだれ落ちて来る巨岩の群れだった。


「!!」


 一瞬の躊躇の後、彼は、前部ウインチのワイヤーを切り離し、アクセルを踏み抜かんばかりの勢いで蹴飛ばした。だが、猛然と赤い砂ぼこりを巻き上げ空転するホイールがようやくグリップを取り戻したとき、岩の群れはすでにバギーの真上まで迫っていた。

 メイシャンの絶叫が希薄な火星の大気をも震わせる。


「お願い! 逃げてっ!!」


 だが、その声は轟音にかき消され、雅樹の耳には届かなかった。

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