04 逃避/幻滅
「……どうしましょう? これから……」
そのまま十分ほど過ぎただろうか。
今だ放心状態で座り込んでいる雅樹を覗き込むように、一足先にショックから立ち直ったらしい彼女が呼びかけてきた。
「どうするって言ったって……」
一面の瓦礫の山を前に、雅樹はぼそりと答えた。
目前に広がるのは、突然の大火砕流で完全に破壊し尽くされ、あげく放棄された
遠くには、巨大な生物のあばら骨にも似た構造材が、崩れ落ちた管制塔の残骸に覆いかぶさるような形で醜い姿をさらしている。
真っ白な美しい船体が印象的だった新鋭長距離輸送船の、無残に変わり果てた姿だ。
「……こんな状態を前に、たったの二人でいったい何が出来るって言うんですか!」
やけっぱちに答えながら、彼はヘルメットのバイザースクリーン内側に表示された酸素残量計に目をやる。グラフ表示はすでに黄色く変化し、ボンベの残り時間がもはや一時間を切っていることを警告していた。
「あなたも気付いているはずです。あ、あなたの……」
「まずは落ち着いて下さい! 私の名前は
「ああ、多分リー先生の酸素も尽きかけているはずです。バギーの予備ボンベであと十二時間程度は延命できます。でも、その後はありません。いいですか! 補給はもうないんですよ! そんな状態で一体何を……」
だが、半ばパニックを起こしかけている雅樹とは対照的に、彼女はどこまでも冷静だった。
「名前で……私のことはメイシャンと呼んで下さって構いません。それより、バギーの無線で他の国の基地に救援を依頼する事はできませんか? 昨日私達が訪ねた地質調査隊とは連絡が……」
「ご存知でしょう! 無線はぶっ壊れてる。だいたいデジタル無線にあんなひどい雑音が入ること自体がおかしいんだ!」
「でも……、念のためもう一度試してみては――」
「無駄です! 先生、あなたは一体何を――」
雅樹は半ばヤケ気味にそこまで吐き出し、残りの言葉を思わず飲み込んだ。バイザー越しに彼を見つめるメイシャンの瞳がひどく真剣な色を帯びていることに気付いたからだった。
「辻本主任技官、あなたこそしっかりして下さい! 現時点ではあなたがこの基地全体の最高司令官なんですよ!」
「は?」
「だから、あなたが最高責任者なんです。この瓦礫の山に埋もれている生存者の命は、すべてあなたが握っているんです。わかりますか?」
「いきなり何を! ちょっと待って下さい、それはどういう……」
慌てて聞き返す雅樹の驚きようにメイシャンは思わず眉をしかめた。
「あなた、もしかして基地服務規定を読んでないのですか?」
「なんですか それ?」
「呆れた。やっぱり読んでないのね」
心底がっかりした表情のメイシャン。
「着任時、備品とデータパッドを受領した時にきちんと説明を受けたでしょう? パッドからメインコンピューターのデータを呼びだせると。ためしに服務規定を読んでおくように言われたはずです」
「……ああ!」
遠い目をしてぼけた返事を返す雅樹に、メイシャンは小さく首を振りながらため息をついた。
「〈基地司令官が不在、もしくは負傷、死亡の場合、健在な次席の職位者がすみやかに職位を代行するものとする〉規定にはそうあります。だから、今はあなたが最高責任者なんです」
だが、雅樹は虚空を見つめたままの姿勢で動かない。
「……メインコンピューター」
「あの、辻本主任技官、聞いてますか?」
「そうだ。データパッドだ!」
雅樹はまるでバネ仕掛けの人形のように一息で立ち上がると、バギーに飛び付いてコンソールボックスを引っかき回し始めた。
「あの、辻本……」
慌てて呼びかけるメイシャンに、雅樹は分厚い宇宙線保護パックに包まれた小箱を突きだした。
「何ですか?」
「データパッド。一度も使ってないからすっかり忘れてた」
言いながら保護パックを乱暴に引き破る。
「無線やGPSがいかれてますから、これだって果たしてまともに動くかどうかは判りませんけど……」
梱包テープを切り、パッケージのふたをはがす。と、くすんだ銀ねずみ色の鉛フィルムに包まれた新品のデータパッドが姿を現した。
彼はフイルムを無造作にむしり取り、バッテリーを装填してモニターに初期設定画面が現れるのを見てうなずいた。保護パックはその名前どおりの効果をしっかり果たしてくれたものらしい。
「行ける……基地のメインコンピューターは基地の地下、それも相当深い所に設置されていると聞きました。災害に対する保護設備も充実してると。だから、インターフェースさえ無事ならこれでアクセス出来るはずです!」
「……まあ、そうですね」
勢い込む雅樹。一方メイシャンは少し自信なさそうにうなずいた。
「さあ、早速これでアクセスして下さい」
「は? これはあなたのデータパッドでしょう?」
「だから、俺はこのタイプのデータパッドは一度も使ったことがないんです。使い方がよく判らないんですよ」
「はあ」
メイシャンは不承不承といった感じで雅樹からパッドを受け取ると、慣れた手付きでアクセスを開始する。が、しばしの沈黙の後、彼女は無言のままパッドを雅樹に差し出した。
モニター画面にはたった一行。
〈キャリア信号が受信できません〉
「当然かもしれませんね。たとえコンピューター本体が無事だとしても、送受信アンテナも光学インターフェースソケットもすべて瓦礫の下です」
「え、それは困る!」
雅樹はひったくるようにデータパッドを受け取り、彼女をまねて不器用にアクセス操作を繰り返す。
「困るんだよ。こんなひどい状態で、俺が責任者なんて……そんな……」
ぶつぶつとつぶやきながら二度、三度と無駄に操作を繰り返す雅樹。それをいらいらと見つめるメイシャン。
だが、四たび操作を繰り返そうとする雅樹の姿を目にして、ついにメイシャンの堪忍袋の緒が切れた。
「ちょっと!」
彼女は雅樹の右手首をがっしりとつかみ、そのままそぐいと引き上げると、驚いて顔を上げた雅樹のヘルメットに自分のヘルメットをガツリとぶち当てた。バイザーごしに睨みつけるような彼女の瞳は、激しい憤りに燃えている。
「いい加減にしなさい! そうしてあなたが無駄な責任逃れをしている間に時間はどんどん過ぎていくのよ! 瓦礫の下でひたすらに助けを求めている被災者の声なき叫びがあなたには聞こえないの!?」
ここ数日、冷たいほどに落ち着いた彼女のイメージしか知らなかった雅樹は、その激しさに目を丸くしたまま固まってしまう。
「死神は決して待ってくれない! このまま手をこまねいていれば被災者はどんどん死んでいくわ! 宇宙ではほんの数秒の遅れが生死を分けるのよ。お願いだから! お願いだから……」
のどの奥から絞り出すような叫びは、最後はかすれたささやき声に変わり、消えるようにぽつりと途切れた。
雅樹は無言のまま俯いた。勢いを失った声とは対照的に、自分の腕をつかむメイシャンの手が大きく震えていることに気付いたからだ。
「あの……?」
「十才の頃、私は両親と共に地球~コロニー間の連絡シャトルに乗船しました。サンライズ5コロニーに向かい、そこで順応訓練を受ける予定でした。でも、シャトルは予報されていなかった微小隕石群の直撃を受け……」
「え?」
「私は見たんです。たった今まで私達と向き合って笑いながら話していた人が一瞬で命を落とすのを。救助隊が駆け付けるまでのわずかな間に、次々と死んでいく怪我人の姿を……。でも、その時の私には何もできなかった。両親も、弟も、結局だれ一人救うことができなかったんです!」
「……先生」
「私が医師を志したのは、もう二度とそんな思いをしたくなかったからです。それなのに、よりによってこんな……」
彼女はそこで唐突に言葉を切り、雅樹に背中を向けて黙り込んだ。だがその小さな背中は細かく震えている。
雅樹はきつく拳をにぎりしめ、唇をぐっと噛んだ。
自分が逃げも隠れもできない、ギリギリの崖っぷちに立たされている事をようやく悟ったからだ。
彼は大きくため息をつくと頭を振り、ゆっくりとメイシャンに歩み寄る。
しばしためらい、彼女の肩に右手をそっと添えた。雅樹が思っていたよりその肩はずっと細かった。
「判りました。先生、自分に出来ることなら何でもやります。指示して下さい」
だが、彼女はなぜか驚いたように振り返る。
「私が、指示する?」
「ええ」
雅樹はそう答え、小さく笑ってみせる。
「情けない話だけど、俺はこんな時どうしたらいいのか全然……」
「待って下さい。私は医師です。それはできません」
メイシャンはブンブンと首を振る。
「でも、俺なんかよりずっと場慣れしてそうだし、判断も適確だ」
「そうではありません。医師は基地の運営に関ることを固く禁じられてます。あくまでオブザーバーの立場を貫くことが派遣医の条件なんです」
「今は緊急事態でしょう。そんな事どうでもいいじゃないですか」
「いえ、それに……」
メイシャンはそこで言いにくそうに言葉を濁した。
「それに?」
促す雅樹から目をそらし、たっぷり十秒以上ためらった後、彼女はいかにも悔しそうに言葉を吐き出した。
「……偉そうなことを言いましたが、私もこんな時、一体何から始めていいのか判らないんです」
雅樹は思わず天を仰いでうめき声を上げた。
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