03 困惑/呆然

 激しい縦揺れは数秒にわたって続いた後、やがて唐突におさまった。

 雅樹はシートにもたれてようやく息をつくと、隣のシートにちらりと目を移す。彼女が一体どんな表情をしているのか興味があったのだ。


「どうかしましたか?」


 だが、彼女は息一つ乱さず小さく首をかしげてみせた。


「いいえ、なんでもありません」


 雅樹はなんとなく釈然としないままぶっきらぼうに返すと、バギーを再発進させようと乱暴にアクセルを踏み込んだ。が、なぜか車体はぴくりとも動かない。


「あ、あれ? 止まってる!」


 あわててステータスを確認する。キーポジションは確かにオンなのだが、バギーの電源は完全に落ちていた。首をひねりながら雅樹はキーをオフに戻し、あらためて再起動する。

 だが、普段なら軽やかな電子音と共にコンソール中央に表示されるはずのウェルカムメッセージは現れず、モニターからGPSシステムまで、全ての航法計器も不気味に沈黙したままだった。


「故障ですか?」


 彼女がため息混じりに問いかける。


「ええ。なんだかそのようです……ね」


 雅樹もまたため息混じりに答えると、シートベルトを解除して車から降り立った。


「修理にしばらくかかりそうです。今のうちに体をのばしておいて下さい」


 呼びかけに無言で頷いた彼女が車を離れ、体を大きく左右に伸ばしながらゆっくりと歩き出すのを視界の隅で確認しながら、雅樹はシート後部のメンテナンスハッチを開き、慣れた手順でチェックを開始しながらつぶやいた。


「ったく、こんな時に!」


 雅樹はメンテナンスハッチに刻まれたロゴをなにげなく指でなぞり、細かいほこりを拭い取る。

〈TOYOTA・ERV-H3-AVM〉

 それがこのランドバギーの名前だ。固体リチウム電池駆動、軸出力一五〇キロワット、航続距離は満充電でおよそ一四〇〇キロ。

 最新の電気自動車EVとしては出力が多少見劣りするが、試験採用されたハイパーセラミック製の軽い車体ボディと強化型の電磁サスペンションはそれを補って余りあるすぐれた運動性をこの車に与えていた。

 だが、あまりに快適な乗り心地に雅樹はついつい仕事を忘れて飛ばし過ぎ、これまでにあわせて三台のバギーをスクラップ置場に追い込んでいる。

 もちろん、必要に迫られ不調トラブル時のリカバリーも今や本職の整備員を凌ぐほどの腕前になっていたが、これほど不可解な不調を経験するのは初めてだった。


「……辻本主任技官、あれ……」 


 その声に、雅樹はチェックを中断して何気なく顔を上げた。眼前に広がる小高い丘の向こう側、薄ピンク色の見慣れた空が彼女の指さした部分だけがなぜかまばゆく輝いている。


「何でしょうか? あれ」

「さあ、そっちは基地の方角ですが?」


 光はすぐに薄れて消えた。だが、続いて立ち上るいくつもの巨大なキノコ雲を目にして彼の背筋に電撃が走った。


「まさか、基地に何か……」


 それ以上の推測は必要なかった。わずかな地面の揺れを二人共確かに感じたからだ。少し遅れてほんのかすかな爆音も伝わってくる。


「!」


 二人は息を飲んで顔を見あわせた。

 火星の大気は現時点ではわずかに六ヘクトパスカル。地球上のおよそ一五〇分の一にも満たない。そんな状況で、しかも二〇キロ近く離れていてさえはっきりと聞き取れる〝音〟。

 その発生源の巨大さは考えるまでもない。


「こちらランドバギー〇四、アズプール基地地上管制、聞こえますか?」


 彼女がインカムにあわてて呼びかける。だが、聞こえるのは先ほどからのガリガリという激しい空電音だけだった。


「アズプール管制! 聞こえますか? こちらランドバギー〇四、聞こえたら応答して下さい!」


 返事はやはり返ってこなかった。

 雅樹は無言のまま視線を手元に落とすと、沈黙したバギーの駆動系に再び生命を宿らせようと猛スピードで作業を再開した。


「バッテリーは無事なんですね?」


 彼の手元を覗き込んで彼女が尋ねる。


「ええ、モーターもまあ問題ありません。くたばったのは多分こいつですね。原因は今のところ不明ですが……」


 答えながら雅樹はドライバーの先で制御ユニットのケースをこんと突く。


「スピードを出し過ぎて壊れたのじゃありませんか?」

「まさか!」


 雅樹はいぶかしげに尋ねる彼女のバイザーを睨むようにしながら大きく胸を張った。


「このタイプの車両の場合、長時間の過負荷で最初にいかれるのはサスペンションかホイールモーターです! それは確信を持って言えます」

「どうして……?」

「……これまでに二台潰しましたから」


 小声で答えながら素早く視線をそらす。彼女のしかめっ面と皮肉のきつい返事が簡単に予想できたからだ。


「えと、とりあえず、制御ユニットをバイパスして、モーターとバッテリーモジュールを直結しようと思います。電磁サスペンションもスタビライザーも効かなくなりますから長距離は無理ですが、基地まではどうにかたどり着けるはず……です。まあ、乗り心地は最悪でしょうが」

「今よりまだひどくなるんですか……」


 彼女の声には予想通りひどく不満げな調子が混じる。雅樹はそれを無視して手早く電力線を繋ぎ直すと、運転席に滑り込んでシートベルトをきつく締めあげる。


「さあ、早く乗って下さい。基地が心配です。車載の無線も通じないなんて普通じゃ考えられませんから」


 彼女はあきれたように肩をすくめて無言でうなずくと、いかにも嫌々といった様子をかもし出しながらナビシートにつき、ベルトを締めながら大げさにため息までついた。


「ところで先生、あなた、お名前は何とおっしゃいましたっけ?」


 雅樹はなんとか彼女の気を紛らそうと、ふと頭に浮かんだ疑問をなにげなく口にする。だが少しばかり無神経すぎた。


「あの……、確か昨日も申し上げたはずですが?」


 彼女の声のトーンがさらに尖る。

 雅樹は眉をしかめると、彼女に聞こえないように舌打ちをしながらアクセルを踏み込んだ。




 サンライズ技工大でテラフォーミングを専攻し、その後NaRDOに入った雅樹は、半年間の新卒研修が終わるとすぐに火星に派遣された。

 国際プロジェクト、〝マリネリスギガドーム計画〟の事前調査のためだ。

 以後、彼は毎日のようにマリネリス大地峡を走り回り、一年間ですでに十二万キロあまりを踏破している。

 だが、本来、彼の目的はこんな僻地でバギーを飛ばすことではなく、火星勤務中に主任技官に昇進し、帰国後にサンライズ五コロニー中央研究センターへの転属を果たすことだった。

 NaRDOは過酷な前線勤務をこなした職員に対し、ご褒美的な転属を暗黙に認めている。それに、中央研のスタッフにはその創造性を最大限に引きだすために、特に恵まれた環境と待遇が保証されている。勤務時間も場所も、個人の裁量でまったく自由に決めることができるのだ。

 元来なまけものの雅樹にはそれがひどく魅力的に見えた。

 だが、彼は結局、前線基地特有の狭く、閉鎖的な人工環境にどうしてもなじむことが出来なかった。

 その反動か、広大な火星の荒野を独りっきりで自由に走り回る爽快さにいつの間にか魅せられてしまった彼は、任務を口実に毎日のように基地を抜け出しては本来の目的であるはずの技官研修をさぼりまくり、任期ぎりぎりの先週末にようやく最終試験を受けたばかりだった。

 そして、基地から五〇〇キロほど離れた地点で作業中の地質調査隊で発生した急病人を往診するため、この若い女性医師と共に荒れ地を往復するのがここでの彼の最後の任務だった。

 だが、思惑とは裏腹に、平穏に終わるはずの任務がどこかでひどくつまづいてしまったように彼は感じていた。胸の奥で妙な胸騒ぎを感じつつ、彼は大地峡をひたすらに走り続けた。




 そして、十数分後。


「本当に……? ここで間違いないのですね?」


 一面の瓦礫の山を前に、立ちすくんだままの彼女がつぶやくように尋ねる。その声は細く、ひどくかすれて聴きづらかった。

 目の前には、楕円形の巨大なクレーターが穿たれている。

 点在していたドーム群は巨大なスコップでえぐり取られたようにすっかり姿を消し、着陸床も管制塔も原形をまったく留めていない。さらに、岩山の側面を掘り抜いて築かれた基地本体も、山頂付近から崩れ落ちた大量の岩塊に完璧に埋もれていた。


「一体何が?」

「……座標に間違いはありません。向こうの山の方角と形にも見覚えがあります。GPSも無線と一緒にいかれてますからはっきりと証明はできませんが……」


 答えながら、雅樹は足元に転がる焼け焦げ、ねじれた金属の破片をゆっくりと拾い上げた。大きさの割にひどく軽い。恐らくチタン-ジュラルミン積層合金だろう。

 断面に見えるのは特長のある二重ハニカム構造。さらに、かすかに焼け残った白色の断熱ペイントとそこに赤字でくっきりと書き込まれた警告文字。

 間違いなく惑星間宇宙船の船殻だ。

 それが意味する冷酷な現実に思い至った瞬間、彼の体中から一気に力が抜けた。


「まさか、〝昭和〟が墜ちたのか……?」


 そのまま、まるで崩れ落ちるように座り込んでしまった雅樹の口から声にならないつぶやきがもれる。


「そんな! どうして? それにみんなは? ……基地は?」


 彼女が震える声でまるでスローモーションのようにゆっくりと言葉を口にする。

 しかし、雅樹はその問いに答えるすべを持たなかった。

 

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