02 疾走/困惑

「だーかーらー! その件については何度もあやまってるじゃないですか! いいかげんに機嫌を直して下さいよっ!」


 角張った岩が無秩序に転がる荒涼としたオレンジ色の大地。

 不毛の荒野を猛スピードで疾走しながら、辻本雅樹主任技官は半ばうんざりといった調子で隣のシートにおさまった小柄なFタイプの与圧服に話しかけた。

 途端にバギーは地面のコブに乗り上げて大きくジャンプする。宙に浮いて空回りするモーターの悲鳴のような空転音が身体を震わせ、ホイールを支える電磁サスペンションが一気に目一杯まで伸びきった。

 地球の約四割という重力のため、バギーはゆるやかに弧を描きながらひどく長い距離を滑空し、やがてオレンジ色の砂煙を引きずりながらどさりと着地した。


 ギンッ!!


 伸びきっていたサスペンションが一気に底まで沈み込み、不気味な金属音を響かせる。

 彼はアクセルを軽くあおり、着地の反動でつんのめりかけた車体を安定させると、大径のメタルホイールが4輪ともしっかり大地を噛んでいる事を慎重に確認しながらさらにアクセルを踏み込んだ。


「……別に怒ってなんかいません。ただ事実を端的に申し上げているだけです。辻本主任技官、あなたは普段から責任感というものが――」

「もう勘弁して下さい。その分の遅れはちゃんと取り戻しますから!」

「当然です! でも、あなたが寝坊さえしなければこんな無謀な走りをしなくても十分式典に間に合ったはずです」

「うーっ!」


 雅樹はうなりながらさらに底までアクセルを踏み込んだ。

 スピードメーターはすでに時速一八〇キロに達しようとしている。何の整備もされていない荒れた岩沙漠を走るスピードとしては限界に近い。パンク知らずのメタルホイールが地面のギャップをとらえるたび、カヤバの電磁サスペンションは悲鳴を上げてフルボトムし、車は横転しそうなほど大きく不安定に跳ね上がる。六点式のシートベルトで体はボディーにがっちりと固定されているものの、胃袋が口から飛び出しそうな激しいショックが立て続けに二人を襲う。


「それで、間に合いそう……ですか?」


 しかし、小柄な与圧服の主は猛烈な揺れに平然と耐え、そう問いかけてきた。


「この調子で……最後まで行けたとして……それでもぎりぎりでしょうかね」


 雅樹は内心舌を巻きながら答えた。

 この女医は一体どんな神経の持ち主なのだろう。ヘルメットとミラータイプのバイザーの反射に遮られ表情までは読みとれない。しかし、特にサバイバル訓練を受けたわけでもないごく普通の女性宇宙飛行士がこれほど荒っぽい運転にまったく悲鳴もあげず、それどころか冷静に物事を考えていられるなんて。


(何て名前だったっけな?)


 ふと、そんな疑問を抱く。

 彼女とは昨日が初対面だった。雅樹が基地を離れてあちこちほっつき回っている上に、彼女自身も任期半ばで帰任した老医師と入れ替わりにNASA基地からの異動で月末に着任したばかりだからだ。

 確か中国系の名前だったような……

 頭のすみでぼんやりそんな事を考えながら、彼は目前に迫った大岩を避けるために左に大きくステアリングを切った。




「五、四、三、周回軌道離脱準備……離脱! 降下開始!」


 惑星間輸送船〝昭和〟のブリッジ。

 主任宙航士は声高にそう宣言すると、隣の副宙航士と一瞬顔を見あわせ、同時に目の前のコントロールスティックに右手を沿えた。

 とはいえ、今やこのクラスの船舶の操作はほとんどAIによるオートコントロールで、実際に彼ら宙航士が手動着陸を行ったことは、訓練を別にすれば一度もない。

 これは儀式のようなもの、彼らはもちろん、クルーのだれもがそう考えていた。


「まもなくアズプール基地上空に到達。着陸軌道に遷移、対地位置を保ちつつ垂直降下します!」


 主任宙航士はふたたび良く通る滑らかな声でそう報告し、彼の背後で船長が短く同意の声を返す。その声を聞きながら、副宙航士はモニターにオレンジ色で映し出された実際の降下曲線と、あらかじめプログラミングされたグリーンの予定線を比べてみる。

 いつも通りコンピューターの操船は見事だった。座標軸は三軸とも完全に一致し、何もかもが順調に遷移していた。




『アズプールコントロールより全隊員に通達! 輸送船〝昭和〟は現在基地上空およそ九〇〇〇メートル、毎秒二〇メートルで降下中。着陸床内部で作業中の係員、至急地下の待避所に避難して下さい。繰り返します。着陸床内部で作業中の係員、大至急耐爆壁の外に退去してください!』


 アラームと共に基地中に響き渡る管制塔からの一斉放送に、オープン回線がふたたび歓声で沸き返る。

 そんな隊員達の喜びの声を頭の隅で聞き流しながら、管制室勤務の地上管制オペレーターはモニター画面を高速で横切る光点に眉をしかめていた。

 基地の東方およそ二〇キロ。発信されている識別信号は辻本雅樹主任技官のバギーに間違いない。だが、そのスピードがまともじゃなかった。光点の右上に識別コードと共に表示されている速度表示を見て、オペレーターは思わず舌打ちをする。


「あのバカ! また壊すつもりかしら……」


 彼女はインカムを取り上げ、あいかわらず無茶な運転をしてるらしい彼に一言文句を言ってやろうと回線を開いた。




『こら! 何やってんだ! このばか者っ!』


 雅樹はいきなり無線に飛び込んできた大声に慌てて車を急停車させた。グリップを失い派手に横滑りするメタルホイール。巻き上げられたもうもうたる砂煙が霧のように二人を包み込む。


「地上管制! 何か言ったか?」


 バイザーに付着した細かい砂ぼこりを人さし指の脇で拭いながら、彼はヘルメット内蔵のインカムにどなり返す。


『こちらアズプール地上管制。虎の子のランドバギーを最後の最後にまた潰すつもり? そんなに飛ばさなくても交替式典には十分間に合います。安全運転でどうぞ!』

「そう言うなよ。着床の瞬間を自分の目で見たいんだよ」

『あら、それはそれはおあいにくさま。〝昭和〟はあと一分ほどで着床で……』


 声はいきなり割り込んできた猛烈な空電音ノイズにさえぎられて唐突に切れた。

 雅樹は顔をしかめ、胸元のコントローラーでボリュームを最小に絞りながら雑音に負けない大声で返事を返す。


「おい! アズプール地上管制! どうした? 何があった?」


 返事はない。


「地上管制! おいこら! 返事をしろよっ!」


 だが、それ以上不審に思う間もなく、今度は鈍い地なりをともなって大地が猛烈に揺れ始めた。


「おおおっ! けっこう大きい!」

「地震? いえ、この場合は火星震……ですかね?」


 雅樹はこんな時にまで妙に冷静な乗客のつぶやきにあきれ返りながら、激しい揺れに耐えようとハンドルにしがみついた。

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