ディープクローム
凍龍(とうりゅう)
01 悲劇の足音
「船長、全部署シフトチェンジ完了しました。これよりB班が当直任務にあたります」
たった今シートについたばかりのオペレーターが目の前の空間に浮かんだ
ブリッジも当直交代の喧騒はすでにおさまり、次第にいつもの静けさを取り戻しつつあった。
「船内各所に通達。過去十二時間の状況を把握し、承認せよ」
自身も席についたばかりの船長の命令と共に、それまで足元の赤い惑星を大きく映し出していたセンタースクリーンに、細かいます目に分割された
「各部署、イニシャライズを開始せよ」
マップはパタパタととグリーンに変化し、ほんの数秒のうち、右舷の一画を除いて全てがあわいグリーンに塗りつぶされた。
「あれはどこだ?」
イエロー表示のままのエリアを示しながら船長がたずねる。
「右舷第十三エリアです」
「担当者をスクリーンに出してくれ」
「了解」
オペレーターの澄んだ声と共に若い男性が右側のサブスクリーンに現れた。
『あ、右舷十三の岸上です。A直の報告に気になる点がありまして……』
「どうした?」
『ええ、
「監視カメラの映像は?」
『はい、もちろん確認しました。当該時刻に船影は捉えられてません。念のために
「ふむ」
『それに、本人も所見に見間違いの可能性を記載してます』
「わかった。念のため記録には残しておけ。他には?」
『ありません』
「よし、問題なしと認める」
『了解』
次の瞬間、男の姿はスクリーンからかき消えた。
船長は空白のスクリーンをしばし見据えて大きく深呼吸すると、シートに深く座り直して口を開く。
「よし、火星周回軌道離脱スタンバイ。次の周回で予定どおり降下軌道に遷移を開始する。アズプールじゃうるさいヒナ達が口を開けて待ってるぞ!」
「「了解」」
ブリッジ全員の声がぴたりと揃う。
その様子に、NaRDO惑星間長距離輸送船〝昭和〟の船長は満足気にうなずいた。
同時刻。
輸送船の着床を間近にひかえ、まもなく任期を終了する第十次観測隊員のほぼ全員が着陸床そばの広場に集まっていた。
与圧服姿で居並ぶ誰もがしまりのない笑顔を浮かべ、あたりにはどこか落ち着かないふわふわとした空気が満ちている。
そんな中、
『アズプール基地コントロールより全隊員、および全職員に通達。〝昭和〟は間もなく火星周回軌道を離脱、当基地への着陸軌道に遷移します。なお、軌道遷移後、およそ十分ほどで目視が可能になります。各員、歓迎式典のための準備を急いで下さい。コントロールより以上』
誰かが洩らした小さな歓声がオープン回線に響く。
それをきっかけに、誰もが一斉に空を見上げ、近づいてくる巨大なオレンジ色の船の姿をひたすら待ち続けた。
二十一世紀初頭。
太陽系の資源開発は国家主導から民間のプロジェクトが主流となり、その数と規模は急速に拡大した。
ある年の頭、日本国総理大臣は、資源小国の日本が今後も先進技術国家として生き延びていくための戦略として、より積極的な宇宙資源開発計画を推進すると内外に宣言した。
蛮勇とも
それから数十年。今やNaRDOは六つのスペースコロニーを軌道上に浮かべ、NASAや拡大ESAと互角に肩を並べる世界屈指の宇宙開発組織に成長していた。
NaRDOを含む各国の宇宙開発組織は時に協力し、時に激しく争いながら、一貫して人類の生存域を拡げることに血道をあげていた。
前世紀末から顕著になった地球温暖化はもはや留まることを知らず、生存に適した国土を失った低緯度域の小国家群は追い詰められ、中、高緯度に位置する大国に宣戦を布告するに至る。
中東で始まった戦乱はやがて地球規模の大戦となり、数年にわたる激戦の後、結局大国側の圧倒的勝利に終わった。
だが、戦乱の余波を受けて温暖化はさらに速度を上げて進行し、人類の生存可能域は赤道で完全に分断された。もちろんそれだけでは収まらず、北極、南極の両極にむけて生存限界線はじりじりと押し上げられて行く。
もはや、これは地球と人類との戦争であった。
各国の宇宙開発組織はもはや地球だけでは人類の存続は難しいと判断し、最も可能性のある目標として、将来の火星植民に備えた
そうしてここ、火星アズプール基地も調査研究、観測の拠点として建設された。
派遣される隊員はNaRDOの内外を問わず幅広く集められ、任期は最短一年。
また、基地の維持にあたる管理職員はおおむね四年で交代する。
その目的や形態が前世紀の南極越冬観測隊によく似ている所から、彼らはいつの間にか〝越冬隊〟と称されるようになっていた。
厳しい火星の環境に耐えながら暮らす彼らが待ち望むのは、交替要員と大量の補給物資、そしてなにより家族や恋人、友人直筆の懐かしい便りを載せて一年ぶりに戻ってくる輸送船の姿だった。
だが、歓迎式典の準備で浮かれる隊員達の足元に、惨事は音もなく近づきつつあった。
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