捨てて拾う

 今度連れてくるわね、という言葉に我に返った私の前で、友人はにこにこと微笑んでいた。私はうっかり冷房のスイッチを切り忘れた気がして、今朝家を出る前の自分の行動を一つ一つ思い出すことに夢中になっていた。昔から聞き上手だと言われる。面白いことを言うものだ。今度連れてくるね。何を?

「みんなで連れてきましょうよ」

 私の隣に座っていた別の友人がこれもまた朗らかに口にする。いいわね、いいわね、とこぞって友人らは賛同する。

「ね、みんなで見せ合いっこしましょうよ。みんな飼ってるんでしょう」

 ええ、ええ、と皆々頷き合う。私もうっかりどこぞの土産物みたいにこくこく首を縦に振りながら、ようやく何の話をしているのか合点がいった。ああ、そうだった。この友人らは皆、男を飼っているのだった。

 こくこく頷いて微笑み合う像に擬態することで私たちの円環は成立している。円環の中で交わされる話題は皆に共通しているべしという暗黙の了解のもとに選考されている。逆に言うならば、その話題に己が当て嵌っているべきで、そういう努力が私には必要だった。すっかり冷たくなったティーカップを指先であやしつつ、しまったなぁと久しぶりに後悔した。あまり後悔はしたくないのに、今日ばかりはちょっとだけ後悔した。

 私はもう男を捨ててしまったのだ。

 友人らがこぞって男を飼ったと言っては随分と幸福そうな顔を見せるので、私もその幸福を齧ってみたくなったのだ。けれど私が拾った林檎は誰かが齧って捨てていったものだったのか、私は全然楽しくも嬉しくも、況してやしあわせにもならなかった。もういらないかな、と思って捨てたのに、こんなところで必要になるなんて。聞いてない。

 もう一度拾って捨てた男を拾い直しても良いのだけれど、男だって人間なのだから一度捨てた飼い主のところに戻るほどばかじゃないだろう。ついでに情も無いだろう。私だってもう、男に分け与える情の残基など持ち合わせが無い。そもそも私が男を飼ったのは情からなどではないからして。

 さてさてどうしようかしら、と思っていたりすると、案外都合良く男を拾ったりするものだった。きっと一度、もしくはもっと、どこかで飼われていたのだろう。大体の躾がなされているようで、なるほど、もしかして友人らの愉悦はここにあったのやもと私は再考する。

 そうして今度は意気揚々と皆男を引き連れ顔を突き合わせれば、あちこちであらっと声が上がる。あら、あらあら。私の男はあなたの子だったのね。そして私が捨てた男はあなたが拾ったのね。誰も彼も友人同士に唾をつけ合って、ほら見ろ。

 男なんて飼ったって、滑稽なことにしかなりやしない。

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