八月、世界線は、赤。

補綴

金木犀と泥棒

 あたしの青春がある意味終わった。


「ごめん、俺、お前のこと友達としてしか見れないし、そういうふうに思われるのはちょっと・・・」


 高校一年の春に同じクラスで好きなバンドが同じで意気投合して、仲良くなった彼に遂に告白して、振られた。

 しかも、九月二十四日、夏休みもかなり前に明けて、それでもまだなお肌が黒く焼けた姿をよく見かけるこの時期、そして来週には文化祭があるというこの大事なとき。

 言えずにただ静かに黙っていた方がよかったのかもしれない。でも、それでも、言いたかった。言わなくちゃと思った。

 周りにも「付き合ってんの?」と冷やかされるくらいに仲が良くて、ライブやフェスにも何度も一緒に行った。でもまぁ、彼からするとあたしは恋愛対象外だった、ということだ。

 まぁ、あたしを好きになってくれる男子は本当にごく少数しかいない気もするけれど。

「そっか。残念。」

 さっきから付き合えないの言葉以降、何も耳に入ってこなかったけれど、そう言ってみれば、彼はごめん、と呟いてくる。

 そういうの、いらないんだよなぁ。

 すごくつらくなる。どうしようもなく惨めで、泣き出しそうになった。

「あ、でも普通にライブ行こ。なんだったら今の告白も全部聞かなかったことにしていいから!」

 泣きそうな気持ちに厳重に蓋をして、笑いながら話しかけた。告白を忘れたりなんてしないで。本当はそう思っているけれど、同じバンドを好きな仲間でもあるから、仲良くしたい。そう思うのは身勝手なんだろうか。


「あ、そう。わかった。」

 どこか嬉しげにも見えるその笑顔がどうしようもなく苦しい。彼が嬉しいと思っているのはこれからもライブに一緒に行ける、という点であって、告白をなかったことにできることじゃないって、今まで一緒にいたからわかっている。そしてそれも上っ面で本当はこいつ気持ち悪いなと思っていることも。いつも感じていたその優しさが今はものすごく、痛い。

「っ、うん。じゃあ。ごめん、時間とって」

 彼は部活へ向かい、あたしは教室へ戻る。昇降口での告白は、もしかすると誰かに聞かれていたかもしれない。あぁ、嫌だなぁ。変に噂されたり、馬鹿にされたり冷やかされたりするのは。


 教室に戻ると、クラスの友達が二人残っていて、どうだった、と口パクで話しかけてきたから、笑って軽く首を振れば、つらそうな顔を二人ともして、あたしのそばに駆け寄ってきた。

「そっかぁ」

「うん、友達としてしか見れないって」

 二人とも顔を顰めながら、どこかわかっていたような、そんな心を顔から漏らしながら、私の鞄を持ってきてくれて、帰るよう促してくれる。


 それからあたしたちはいつも通り、近くのショッピングモールのフードコートに行って、飲み物とポテトを買った。スマホをいじりながらポツポツと会話を交わす。二人は傷にわざわざ触れないように、日常と同じことをして、告白の詳細さえも、深入りせずにいてくれた。

 ポテトを食べながら涙が出た。

 好きだったのにぁ。嫌だなぁ。今でもこんなに好きなんだなぁ。

 泣いているあたしを慰めるように何度も二人は肩を叩いたり背中を摩ってくれた。涙は変な味がして、ポテトはいつもと同じように丁度いい塩加減で、余計に胸が締めつけられた。


 ひとしきり泣けば、あとは日常に戻る。

 いつもの日常と少し違うのは恋が実らないことを知ったことくらいだ。

 いや、知っていたけれど、それでも好きだった。

 今でも好きだ。確かにこれは恋心だ。

 それだけはどうしても譲れない。譲りたくない。叶わないことなんてわかっていたに決まっている。だってあたしは彼に恋愛感情を抱かれるような存在ではないから。

 そう思っているこの感情を、どこかで冷めたあたしが馬鹿にしている気がして苦しくなった。

 帰りの電車ではしょうもない、いわゆる生産性のない会話を交わした。最近の天気が中途半端だとか、担任のハゲが見ていて可哀想に思えるだとか。

 最寄り駅であたしが電車から降りると直ぐにドアが閉まる。

 電車の中で二人が手を振りながら笑いかけてくる。返すようにあたしも手を振った。二人は揺れて走行音が鳴る電車の中、女性専用車両へ入るドアをスライドさせて、姿を消した。人混みの薄れたホームはどこか寂しかった。

 何も無かったようにイヤホンを耳に差した。


 改札から出るとまだ太陽が沈んですぐだからか、遠くに見える山の隙間に血のように熱い赤がポツリと見えた。

 夏休み、海からの帰り道に彼と見た夕日と、確かに色が変わっていた。

 振られてしまったから、というのもあるのかもしれないけれど、でも、きっとそうじゃない。

 ただ、それは綺麗で。何も変わらないようで変わる、そんな何かが胸に刺さった。


 夜に変わる青の色が、どことなく暗く感じた。夏の青は«真っ青»という言葉が似合う。でも今の青は、«深海の青»なのだ。夏はあお。今は青。

「めちゃくちゃだ」

 声に出してみるとストンと落ちてくる。

 青を比べてあたしは一体、今、何をしているんだろう。

 遠くから聞こえたクラクションに肩が少し跳ねた。


 家への道を歩きながらぼんやりと空を眺める。やっぱり夏の青い夜空とは違う。

 どこか物憂げにさえ感じる今のこの空の青は、どこからやってきたのだろう。今までいた、あの夏の青は、どこにいったのだろう。


 あぁ、もしかしたらあたしのあの恋と一緒にあのあおは盗まれたのかもしれない。泥棒に。

 きっと犯人は彼なんだ。そうだ。あの時のキラキラしていた夏休みの空には、いつもあのあおがいた。


 暗い紺地のヴェールが覆っていく。

 紺地の中を、点滅する赤と白の光は駅の方へと動いて、ずっと動くことも無い青っぽい光は月と一緒に輝いている。

 道のそばのマンションの窓からは人口のオレンジや白の光が溢れていて、肉じゃがや魚を焼いた香ばしい匂いが鼻を抜けていく。どこかから、息切れ切れのリコーダーの音が聞こえて、ふと立ち止まった。


 家に着くと鍵が開いていた。ノブを回して玄関に入る。

「ただいま」

「あ、おかえり。」

 母さんのいつもの声に安心する。

 手を洗ってリビングに行けば、父さんがもう座っていて、出来たてのホカホカなハンバーグやスープたちが机の上に置かれていた。

「今日は学校どうだった?」

 この人に、言ってしまおうか。好きだった彼に振られた、と。

 きっと母さんは驚くんだ。今まで、一緒に行動していた、母さんも知っているその彼に恋心というものを抱いていたことに。そしてそれを聞いた父さんは嫌そうな顔をするだろう。それが普通なのだ。所謂当たり前ではないだろうから。

 言いたかったけれど、言えなかった。喉まで出た言葉は腹の奥まで落ちていった。鉛みたいに重くなったそれをどうも上手く消化できないようで、わだかまりが残った。


 短い青春だった、なんて、ダサい言い回しだけれどやっぱり思う。これから恋ができる気もしない。開いているリビングの窓から甘い匂いを少し涼しげになった風が運んできた。

 金木犀の香りだ。


 夏の青も、恋も、盗まれてしまった。

 代わりにやってきたのは、金木犀の甘ったるい香りと夏の終わり。それから、どうしようもない気まずさと、後悔。

 どうして彼だったんだろう。

 どうして言ってしまったんだろう。

 これからどうすればいいんだろう。


 青を盗んだ泥棒は、こんな惨めな気持ちは盗んではくれなかった。



 青も、金木犀も、嫌いだ。



 母さんの「学ラン、そろそろ出さなきゃね」なんていう声にそうだね、と適当に相槌を打った。

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