第6話
日曜。
動物園の前で大きく手を振るチヒロに葵は軽く手を上げるのが精一杯だったが、楓はチヒロに負けず劣らず大きく手を振って返した。
「わ~ホントに楓も一緒でいいんですか? よろしくおねがいしま~す!」
嬉しそうな楓に葵も少し嬉しくなる。まだもう少し幼い頃には何度か訪れた動物園も久しぶりだ。
「お兄ちゃん写真! 写真!」
楓の嬉しそうな声に促されて、動物園の看板下、シロクマの人形の横で軽くポーズをとって立つチヒロに向かってスマートフォンのカメラを向ける。楓は葵の隣にいる。
「楓も早くあっち並んで」
「えっ!? えっ……お兄ちゃんも! お兄ちゃんも一緒に!」
ツーショットは恥ずかしいらしい。楓はチヒロのことを男だと思っているのだろうか、女だと思っているのだろうか。疑問が湧くが訊ねるのも怖かったので黙っておいた。
三人で撮るとなると撮影者がいなくなる。見知らぬ人に声をかけるのもなあと周囲を見回す葵に、チヒロが声をかけた。
「自撮りでいいよ~ボクが撮ってあげる!」
手を差し出されたのでスマートフォンを渡す。
「寄って寄って~!」
楓を挟んでくっついて、パシャリ、パシャリと二枚。戻ってきた画面を確認するとSNSで見るような集合写真が映っていた。圧倒的リア充感に葵は恐れおののいた。自分のスマートフォンで、自分を被写体に、このような写真を作成できるとは。
「おとな一枚、高校生一枚、小学生一枚おねがいしま~す」
元気よく窓口のお姉さんに告げ、まとめて料金を払ってしまったチヒロに慌てて二人分の料金を差し出すがチヒロには軽くかわされてしまった。
「お金はたくさんあるから、いくらでもボクを頼って!」
楓は純粋に目を輝かせて大人すご~いと喜んでいるが葵は複雑な気分だった。喫茶店のバイトだろうか。親から小遣いでも貰っているのだろうか。深く聞くことは何となく憚られた。不道徳な何かがあったら非常に気まずい。
動物園なので当然ながら動物は多いが、すべて柵や檻の向こうだ。喜ぶ楓と、動物園は久しぶりな葵のためにとチヒロはひと通り園内を回ってくれた。
ゾウもライオンも久しぶり久しぶりとチヒロに声をかける。普段は人の少ない平日に一人で来て、触れ合いコーナーに直行して、そのまま最短距離で帰るらしい。説明を聞いてなるほどと頷く葵に合わせて楓ももっともらしい顔で聞いていた。なりきりの演技に付き合ってくれているらしい。
園内を一周して最後にたどりついた触れ合いコーナーにはウサギとモルモット、そしてヒヨコとニワトリがいた。繁殖力が強く安価で替えの用意がしやすい生き物であると気付いた葵は微妙な気持ちになった。
楓がニワトリを追っている間に、せっせとモルモットと触れ合いながら隣のチヒロにこそりと訊ねる。
「ここの小動物ってどのくらいで入れ替わるんですか?」
モルモットはどれも小声でモソモソと喋りつづけていて、それが複数匹いるため個別の言葉は聞き取りづらかった。メシよこせ、人間の手つめたい、小屋に帰りたい、は辛うじて聞き取れた。
「効率的な補給できなくなっちゃうからね、考えないほうが良いよって。教えてくれたの御厨さん。昔はボクも気にしてて、しばらく来てなかったりしたけど」
モルモットを順に撫でていた葵の手が止まる。
「心配しないで。そんなにすぐ死んだりしないよ。でも、昨日とか一昨日まで元気にいたのが急にいなくなったり、続いたりすると悲しくてね。小さい子に変な持ち方で痛がってるのとか、分かるのボクだけなの、ボクだけだから、でも言うと大人に怒られたりあって、子供も大人も悪気はないのボク分かってるんだけど、誰も悪くないから、もしかしたらボクが悪いかもしれないね」
整然としないチヒロの言葉は要領を得ないが、言いたいことは粗方伝わった。沈み込む葵を見たチヒロは、はたと気づいて急に元気な声に切り替えた。
「あっちのヤギもさわれるんだよ。エサは百円!」
葵の手を取って引っ張る。どう見てもカップルだ。振り払いたい気もしたが、あんな話を聞いた流れでそこまでするだけの勇気が無かった。
「珍しいのねチヒロ、今日は一人ではないのね。ミクリヤでもないのね」
二匹のヤギが寄ってくる。木で作られた無人エサ売り場に百円を置いたチヒロが袋に入ったヤギのエサを葵に渡しながらヤギに向かって紹介を始めた。
「ただのお友達じゃないよ! なんと、救世主なのだ! 引退してね、御厨さん。葵くんだよ、よろしくね!」
声が大きい。葵は周囲を気にしたが、声の届きそうな範囲に人はいない。ニワトリを追っていた楓がきょろきょろしていたので、手を振ってアピールする。気付いた楓が手を振りかえした。
「あらあら、まあまあ。新人さんなのね。かわいらしいお坊ちゃんだわ。チヒロをよろしくお願いしますね」
見た目ではわからないが何となく奥様っぽいので多分メスだろう。チヒロのことをよく知っているようだ。エサを差し出すと食べようと首を伸ばしてきた。チヒロが首のあたりを撫ではじめたので葵もそれに倣った。
「チヒロは昔はよく来ていたけれど、しばらく来なくなって……今日のごはんは鮮度がイマイチね。……でもチヒロ、最近はまたたくさん来るようになったのよ。チヒロが来てくれると嬉しいわ。……においが薄いわね、このごはん。……アオイもぜひ、たくさんここへ来てね」
ヤギの寿命は知らないが、このヤギはそれなりに長く生きているのだろう。少なくともチヒロが動物園に通い出したころからずっといる。葵は笑って答えた。また来ます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます