第4話

踊る足がステップを踏む。ひるがえる短いスカート。葵の目はうつろだ。

短いスカートの下はスパッツでパンツは見えない。見えなくて良かった。心底からそう思う。

曲が終わってポーズを決めたチヒロがウインクをする。拍手がおこった。数人の男と二人の女がワアワアきゃあきゃあ声援を送る。


「今日はきてくれてありがとう!」


一人一人と握手をして回るチヒロを、隅の席に座ったままの葵は遠くから見つめていた。人間も動物であるので握手による接触は補給の一環なのだとシロタロウが教えてくれた。確かに定期的な補給は悩ましい課題であるが、発想の方向が斜めすぎる。


「それでは皆様、奥さんのおいしい飲み物をお楽しみくださ~い」


静かなクラシックが流れ始める。カウンターで微笑む老婆が用意してくれたカップをチヒロが運び始める。昨日初めて訪れた店内の雰囲気に近いが、テーブルは満席で小声の会話がさざめいて随分とにぎやかだった。


「あ、えっと、改めまして。よろしくお願いします」


同じテーブルの反対側の席に座る男にぺこりと頭を下げられて、葵も慌てて頭を下げた。葵の手元には横文字の社名と肩書きを添えられた御厨輝聖という一枚の名刺。浮気を疑われ引退した前任のみくりやさん、である。

チヒロに呼び出されて学校帰りに喫茶店まで足を延ばしたところで突然引き合わされた。挨拶をして自己紹介をしている途中でチヒロの歌と踊りが始まってしまったので何も話せていなかった。


「ええと、葵くんは新人さんとのことで。何か気になることや聞きたいことはありますか? チヒロくんは少し会話が得意ではないので要領を得ないこともあるでしょう。私でよければ分かる範囲でお答えします。とりあえず連絡先交換いいですか。普段は何をお使いですか? メール? ライン?」


御厨に言われてスマートフォンを取り出す。御厨はタブレットを取り出していた。美形でもなく目を引くブサイクでもない。見た目はそこらにいる冴えないオッサンだが、言動行動ははっきりしていて仕事の出来そうな雰囲気がした。


「えっと、敵を一回消すのに必要な補給の数が知りたいです」


チヒロとラインでやりとりした際には、動物に聞けば残り何回分くらいか答えてくれる、という間違ってはいないが求めているのと少しズレた返答をもらっていた。


「必要な数は場合によって増減するようで……おおむね二十匹から五十匹程度と思われますが、はっきりとは。理由は分かりません。少なくとも寄生されている動物の大きさは関係ないようですし、補給の際の動物の大きさも関係ないように思います」


結局のところ正確な回数は分からないままだが、何を求めているかを正確に把握した返答に葵は安心した。御厨の口ぶりから、恐らく複数回試したであろうことも窺えた。せっかくなので一番の疑問をぶつけてみる。


「あの、敵って何なんですかね。どうして俺らが選ばれたんでしょう」

「結論から言えばどちらも不明、ということになります。私はあれらの何体かから話を聞いてみたんですが……」


そこで葵は気付いた。そういえば、自分の家で飼っている猫を味方だと思い込んで敵の言い分を全く聞かないままだ。葵の表情で思っていることを察したらしく、御厨は急いでフォローを入れてきた。


「大丈夫です、あれらは平たく言うと生物全体の敵でしたので我々が対抗していくのは当然です。あれらは、本人たちにも象や亀のような寿命の長い動物にも発生の起源が分からない程度には昔からいるようです。動物に寄生し意識を乗っ取り知恵をつけ成長し、いつかは世界中の動物を乗っ取り支配するのが目的であるらしいのですが、まあ知能が低い。自分を消す能力がある相手に向かって、頑張ってたくさん寄生して増えて、いつかお前らも支配してやるぞ! などと白状する程度には……」


「絶望的な頭の悪さですね」

葵の苦笑いに、御厨も苦笑いを返した。


「恐らくあれらが目的を達成するだけの知能をつける日は訪れないと思われます。蟻や羽虫のような小さな生き物の中で増えて、……増える方法は私も未だ把握していないのですが、小さな生き物の中であれらは増えることができるようです。接触によって寄生先を徐々に大きな生き物へ、賢い生き物へと変えていく。寄生された側のデメリットとしては寄生されている間の記憶の欠落。寿命が縮んでいると動物たちは言いますが、私の知るサンプル数が少なく確信はありません」


クリームソーダを一口飲んで、葵は訊ねた。


「敵を根絶やしにすることはできないんでしょうか。増えるのより早く消していけば、いつかはいなくなりますよね」


「一人や二人では補給が足りず、ほとんど不可能です。夏場の混んだ電車を乗り継いで複数の動物園で触れ合いコーナーをはしごしつつ敵を見つけて消すという作業を毎日繰り返せば、或いは……」


不可能ではないが、容易とはいえない。御厨がカウンターのほうを見たので葵もつられて視線を向けた。チヒロがファンらしき男と笑いあっている。


「じゃあ人をたくさん集めるのは難しいですかね。現にチヒロさんと御厨さんは連絡を取り合って協力体制にあるわけですし、この調子で仲間を増やしていけば」


返ってきた御厨の困り顔に、葵は言葉で説明されるより先に結論を知った。


「市街地方面の担当をしている方をご存知ですか? 無理のない範囲で頑張っているのですが、お仕事がお忙しいようで、あれらを消すのは二か月か三か月に一度といったところのようです。そのような活動方針のかたが多いようで積極的に他の能力者を探そうというかたも多くはありません」


チヒロの言っていた、やる気のない人のことだろう。薄情な人が多いんだな、と葵は思ったが。


「最初は皆さん頑張るんですよ。私もそうでした。葵くんも今はやる気に溢れていると思います。でも、面倒が多い割に見返りは動物から感謝されることくらい、サボったところで人間に害は無い。こんな道楽は正義感のとても強い非常に動物の好きな人でないと続きません。大抵の人が気が向いた時だけやればいいか、というスタンスに落ち着きます」


御厨の説明に納得するしかなかった。人生を犠牲にしているチヒロはおかしいと葵は元から思っていて、家庭のために引退した御厨の事情も理解できる。


「実はインターネットの匿名掲示板で能力者を集めたことがあるんです。大半はネタ扱いでしたがネタに乗るふりで事情を知っているようなコメントもあり、オフ会を開催したところ能力の真偽はともかく数名集まりました」


「おお!」


「しかし、どこで聞きつけたのか、あれらも複数集まってしまいまして……参加者の中に一名、すこし正義感の強すぎる方がいらして公衆の面前で寄生された猫や雀を追いかけ回し……私は主催者でありながら他の参加者たちに顔を見せないまま逃げ帰りました……」


うなだれる御厨に葵は頑張ってフォローを入れた


「そ、それはしょうがないですよ……その状況だと俺も逃げます……」


「警察に通報されるのも困りますし、周囲に変人と思われるのも困ります。私自身が嫌な思いをするだけですむならいいのですが、私の家族に迷惑をかけることはできません」


そこで御厨は息を吐き、少し微笑んだ。


「最善は世界も家族も幸福であることですが、それが叶わないなら私は家族を選びます。私は妻と出会って、娘が生まれて、ようやく幸福になれました。不幸自慢になるので過去の話は控えますが、妻と娘のいない世界など私には考えることができません」


葵は何だか照れてしまった。クラスメイトから時々聞くような彼女自慢のノロケとは次元が違う。真面目に妻と娘への愛を語る成人男性など馴染みが無さすぎる。


「私はチヒロくんの選択が理解できませんが、彼は彼なりに自分の正義を選んだのですから、否定するつもりはありません。葵くんも優先順位を間違えないように気を付けて、何が一番大事なのか、失いたくないのか、よく考えてください」


守りたいものは何か。失いたくないものは何か。葵は考え込んだ。


「うち、猫飼ってて、俺にはそんなになついてないけど、かわいくないわけじゃないし、それに妹が溺愛してて、猫も妹にはなついてて、だから、うちの猫のことは守りたいし、ついでにその仲間も守りたいと思うんです。でも学校とか自分の生活犠牲にするのは嫌だし、だから少ししかできないと思うんですけど、本当は御厨さんみたいに決意してもっとやる気のある人に譲ったほうが良いのかもしれないけど、俺にできることがあるなら、できる、範囲で……」


「いいと思いますよ」


微笑む御厨に葵はほっとした。やる気のない人のことを薄情だなんて思った癖に、自分だって似たようなものでしかないのかもしれない。


「それにしても御厨さんは詳しいですね、相当長く救世主をやってたんですか?」

「いえ、半年ほど前から数か月程度のことです」


チヒロは救世主をやるために高校を中退し、今は十九だという。少なくとも一年以上は救世主をしていたのだろう。たった数か月の御厨よりも色々と理解できていないように思うが……

葵はチヒロのほうを見た。楽しそうに笑っている。自分で詳細説明を行わず御厨を紹介してくれた判断力だけは評価したかった。

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