第3話

少々古風な店構えを目前にして葵は頷いた。手元の端末には目前の風景と同じ画像が映っている。

画面上で指を動かし画像をひとつ進めると、看板犬のシロタロウが現れた。駅名に加えてシロ、犬、というキーワード検索ですぐに出てきた本日の目的の人物、いや犬物だ。


途中で敵に遭遇しなくてよかった。

昨日、猫の集会から帰って飼い猫のソラに見てもらったところ「あと三度くらい」と言われた。

回数が増えていないことを問い詰めたが、増えてはいるものの一回分にも満たないとの回答で終了した。


敵の消去自体は簡単だが補給に手間がかかるようだ。

敵は見つけたらすぐに消したほうが良い、とソラに言われているが、あと三度で無くなることを思うと温存しておきたかった。


扉に手をかけて押すと鈴の音がカランと響いた。落ち着いた雰囲気の店内は外から見たよりも広さがあった。

一番奥のテーブル席の向こうに柵は柵、その中でもそりと動く大きな毛玉。シロタロウだ。


「どうぞ、お好きなお席に」


小さな老婆がカウンターから声をかけてくれたので葵は少し頭を下げ、奥の犬の近くの席に座った。


「ご新規さん! ようこそ!」


伏せていた大型犬は頭を上げて葵を見て、すぐに床に顎をぺたりとつけた休憩の態勢に戻った。カウンター席に座っていた女子高生が水の入ったコップをメニュー表を持ってくる。客ではなく従業員らしい。

遠目には学校の制服かと思ったが近くで見ればヒラヒラしたアレンジやアクセサリがついていて、制服風のアイドルの衣装に近かった。古風な店内には不似合いで店主の趣味が疑問だ。


「ご注文お決まりになりましたらお呼び下さいね」


にこりと笑うウェイトレスは結構かわいかった。思わず妙な愛想笑いを浮かべた葵は入り口で見て決めていたメロンソーダではなくオリジナルコーヒーを注文した。オーダーを伝えたウェイトレスの背に、少しそわそわしながら声をかける。


「あの、犬を見てもいいですか」


振り返る仕草で、肩まである髪がふわりと揺れる。まるい頬がやわらかく微笑んだ。


「どうぞ遊んであげてください。ボールありますよ」


ウェイトレスの動きで察したらしくシロタロウがおもむろに立ち上がって尻尾を振りはじめた。


「ボール? シロと遊ぶお客さん?」


葵は柵ごしに頭を撫でながら小声で急いで告げる。


「チヒロさんのこと聞きたいんだけど、どこにいるか教えてくれる?」

「シロじゃなくてチヒロのお客さんだったの! いるよ! いるよ!」


えっ、と驚きの声を上げる葵の後ろには薄汚れた小さなゴムボールを手にしたウェイトレスが。


「あっ、もしかして御厨さんの後継者? 良かった、カバーすんの大変だったんだぁ。チヒロはボクだよ」


シロタロウとの会話を把握していたようで、従業員仕様の言葉遣いから一気に友人に対するような態度に変わった。いきなり当人に会えると思っていなかった上、カウンターにいる老婆に会話が聞こえていないだろうかと不安もあり葵は黙ってしまった。返答のないことにチヒロは首を傾げた。


「アレ? 御厨輝聖さん知らない? 祓川の向こうに住んでて、小学生の娘さんがいて、一か月くらい前かな、引退した人」


葵は目線でカウンターの老婆を示した。あ、と得心が行った顔でチヒロが笑う。そうして少しだけ声を落とし。


「あの奥さん、ボクがそういう設定で友達とヒーローごっこしてると思ってるから大丈夫だよ」

「そ、そうなんですね、良かっ……良かったです」


カウンターの老婆は幼い孫を見守る顔でニコニコしている。問題はないかもしれないが恥ずかしい。


「みくりやさんは俺の前に担当していた人ってことでしょうか」

「あ~知らなかったんだ。言っちゃってよかったかな……まいっか、べつに御厨さんも隠してるわけじゃないだろうしねぇ!」


隠してるわけではない、と断言していない。葵は笑い顔が引きつるのを感じて必死に笑顔を維持した。猫のほうが個人情報の扱いに慎重だなんて。


「えっと、お名前聞いてもいい?」

「……葵です。よろしくおねがいします」


笑顔は相変わらずかわいい。かわいい相手に興味を持ってもらえるのは普段であれば嬉しいのだが今は素直に喜ぶことができない。姓は何となく伏せてしまった。


「あおくんいくつ?」

「……高三です」

「あ~年下かぁ~! ボクね、じゅうく! 敬語いいよ距離感あるのやだしタメで! あおくん、どのへんに住んでる? 川の向こう? 反対側の市街地方面じゃないよね?」


シロタロウの柵の中へボールを放り込みながらの質問に葵は少し身構えた。


「川の向こう側です。反対だと何かあるんですか」


シロタロウの尻にぶつかったボールが柵の中で転がり、それをくわえたシロタロウがチヒロにボールを差し出す。受け取ったチヒロが再度ボールを投げる。


「だったら、あおくんが御厨さんの次で決定だね。反対側は今ボクが週一くらいで様子見に行ってて、知らない間にもしかして引退したのかもって。やる気のない子だから」

「やる気のない……」

「ん~、何もしないわけじゃなくてね、でも敵を探すのとか頑張らなくて、でも引退もしなくて……あっ、奥さんコーヒー淹れてくれたみたい。もってくるね」


ボールを渡されたので、葵はシロタロウの柵の中にボールを投げた。ぽこんと軽く尻に当たって落ちたボールをくわえたシロタロウが葵にボールを渡してくる。唾液で若干濡れていた。シロタロウがボールボールと言うので二度ほど繰り返したところでチヒロがコーヒーを持って戻ってきた。


「オリジナルコーヒーになります~こっちがミルクで、こっちお砂糖で~す。ボクのことはどこで知ったの?」


コーヒーのカップや砂糖の容器を次々にテーブルに置いて、チヒロはそのまま椅子に座る。葵も座りながら、猫の集会ですと答えた。


「猫の集会かぁ~思いついた時に思いついたことを、猫ってすぐに話すよね。分かりにくかったでしょ?」


チヒロは思ったことをそのまま口に出しているのかだろうか。少し分かりにくいな。と今まさに思っていた葵は微妙な笑顔で頷いた。猫の話は確かに気ままだったが文章の破綻具合はチヒロのほうがひどい。


「必要なことを順番に聞くなら犬のほうがいいんだけどね、話す機会って意外と作りづらいよね、たくさんの犬と。野良とか放し飼いの猫と違って犬は飼い主がいて、不審がられちゃうと困っちゃうから」

「シロにきいていいよ! シロ知ってるの何でも話す!」


ずっとボールボールばかり言っていたシロタロウが名乗りを上げる。チヒロも便乗するように。


「訊いてくれたら何でも教えてあげるよ! ボクが知ってることなら何でもね! いろんな動物に話を聞くのはやったほうが、もちろん良いと思うけど大変だし」

「ありがとうございます」


チヒロに笑顔を向けてシロタロウの頭を撫でた。コミュニケーションに難はあるが好意的な協力者と出会えたことはありがたい。


「ホントよかった、あおくんがやる気のある子で。動物たちを、世界を守るって言うのに危機感ない人多過ぎるよね。御厨さんみたいに事情があるとしょうがないけど」

「こちらこそ、チヒロさんみたいに優しい先輩がいてくれてよかったです」


えへへと照れて笑うチヒロは、かわいい。容姿がすべてとは思わないが、かわいくないよりはかわいいほうがいいので、これもありがたいことだ。


「高三ってことは、もうすぐ卒業だね。進路決まってるの」

「はい大学もう決まってて、推薦で」

「学生さんなら時間けっこうあるのかな、学校にもよるかな、大学生って忙しいのかな……ま、最悪大学やめちゃうって道もあるしね!」

「えっ」

「ボク高校やめちゃったんだ。だって世界を救う方が重要だし!」


葵は呆然とした。チヒロは確かに世界を救う正義の味方で、後輩に優しく教えてくれる、良い人なのだろう。悪人ではない。だが少し、ほんの少し思慮が足りない。あまり考えず思いつくまま喋ったり、前任者の情報をホイホイ垂れ流したり、安易に高校を中退したり。

世界よりもチヒロの人生を救う方が先決なのではないか、という気持ちも湧いたが、何も葵がチヒロの人生に責任を持つ必要はない。彼氏でもあるまいし。今後もしかしたら彼氏になるかもしれないが、今の気持ちで行けばご遠慮願いたかった。もし告白されても考えてしまう。


コーヒーを飲み終わり、チヒロと面識もできた。葵はちらっと出入り口を見た。

とりあえず最低限目標は達成した。もう少し聞きたいことも無くはないが、少し、頭を整理したい。あまり長くチヒロと話していると良くない影響を受けそうな気分もあった。


「あっ、もう出る? ラインとか交換してもいい?」


ポケットからスマートフォンを取り出すチヒロに、葵も応じた。連絡先を好感しておけば、聞きたい時に聞きたいことを聞くこともできそうだ。画面に表示されたチヒロの顔の写真と四文字の名前に葵は動きを止めた。


「あの……名前、これ……」

「本名だよ。名字の二文字目と名前の二文字目でチヒロって、ニックネーム的な」

「すみません、待って、ちょっと」

「あっ、女の子だと思ってた? ごめんね、最近はやりの女装男子ってやつだよ~」


チヒロのかわいらしい笑顔と、武知康宏の文字を繰り返し見つめる。

そんな流行は知らない。


「チヒロなら男の子でも女の子でも使えるでしょ。葵ちゃんも男の子でも女の子でもいいよね、かわいい~!」

「はは……そうですね……じゃ、これで……」


葵はカウンターの老婆の横でかわいらしく手を振るチヒロに小さく頭を下げた。チヒロの人生に責任など持たない。彼氏にはならないし何なら彼女にもならない。もし告白されても断る。絶対にだ。

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