第2話
「あれ本当に敵だったのかな」
葵のベッドの上で毛づくろいをするソラに向かって訊ねる。葵は非常にションボリしていた。
「俺としては触る前も後も区別つかなかったし、人格が消えた的な演技してるだけにしか思えなかった。仮に消えてたとしても触る前も普通の犬で何も害は無かったわけだし、消す必要あったのかな……」
「あの犬、自分のいる場所を不思議がってただろ。寄生されてるのから戻った奴はみんな乗っ取られてる間の記憶がない。食べるはずだった飯も遊ぶはずだった玩具も家族や友達とのやりとりも全部覚えてない。相手が良い奴だったら乗っ取られて良いって、人生全部差し出していいって言うのか」
「……それは、まあ、やだけど」
「だろ」
演技ではないか問題は解決されていないが、ソラとしては議論の余地のないことなのだろう。ひとまず文句を言うのは諦めた。現状、葵に困る部分は何もない。妹のかわいがっている、可愛いと思えなくもないペットが頼ってきているのだ。協力してやるのも悪くない。
「この調子でガンガン敵見つけてガンガン消していけばいいって事か」
「そうして欲しいとこなんだが……お前、動物そんな好きじゃないだろ」
今さら動物好きかどうかが問題だろうか。葵の疑問にソラは早速答えてくれた。
「敵を消すエネルギーは生き物に接触した時に貯めてるんだ。で、今までお前が触ってきた人間や動物の数が普通より少なそう」
瀬戸家で飼われる動物はソラが初めてだ。動物を嫌いではないが特別の興味はない。道端で犬猫に会っても触れることはなく、飼育係になったことも無い。
「動物嫌いでも人間との接触が多けりゃいいけど、それも少なそう」
幼いころは田舎に住んでいて同年代が少なく、親戚も多くなかった。ノリの良すぎるクラスメイトにベタベタ触られるのは苦手で友人とのスキンシップも得意ではない。彼女はいたことが無い。
「今日消した時に俺が感じ取った雰囲気的に残り超少ない。あと二度か三度でカラになる」
要約すると、せっかく救世主になったが他者との接触が少なかったために活躍できません。ということだ。葵は顔を覆った。ぼっち野郎と罵られた気分がしていた。普通に友達いるもん。言い訳をしたかったが言い訳することで残念さが増す気がしたのでやめておいた。ふすぅと鼻息を吐いたソラが静かに告げる。
「とりあえず、補給だ。猫の集会に行け」
売地と書かれた看板の裏側に座る葵の周囲には猫。そして猫。
散歩を済ませてしまった完全室内飼いのソラは不参加のため見知らぬ猫に一人で囲まれた葵は非常に緊張していた。
不審がる猫たちに「救世主です」と恥ずかしすぎる自己紹介をして参加した初めての猫の集会。好きなタイミングで寄ってくる猫の頭や背を撫でて猫の話を聞くのが仕事だ。
一番高い位置にいる毛並の悪い猫は特に物知りなようで色々と語ってくれた。
救世主と呼ばれる人間は大勢いること、選出の基準は不明だが一定範囲内に一人は現れるようになっているらしく能力の返上があった場合は新しい救世主が生まれること。
能力の返上のくだりが気になったが、訊ねる前に前任者の話になりタイミングを逸した。仕事と家庭の合間に必死に補給と討伐をこなしていたが妻に浮気を疑われ泣く泣く引退したという悲惨な話に神妙な顔しかできなかった。
「この近辺で現役はチヒロくらいか」
数匹の猫がそうだな、と同意を返す。知らない名前だが、恐らく動物の話を聞いた上で役目を受け入れた同じ目的を持つ仲間なのだろう。葵は周囲に人のいないのを確認してから小声で訊ねた。猫に囲まれて独り言を呟く姿を見られたくはない。
「どこに住んでる人?」
「家は知らん。動物と同居していないようだ」
「川向こうの駅前の喫茶店でシロって犬が仲介してくれるよ」
「チヒロはえらいよ、たくさんがんばってるよ」
「アオイもチヒロみたいになれるといいな」
猫の間では有名らしい。葵のことも動物の間で噂になるのだろうか。奇跡の救世主だ、クールな男性よ、かっこいい……持て囃される姿を一瞬想像したが、囲んでいるのは動物だ。仮にメスでも人間の女子とは違う。勝手な妄想で表情を変える葵をどう思ったのか、物知り猫が静かに語りかけてきた。
「我々は本人の望まぬ喧伝はせぬ。場合によれば隠れたい事情もあろう。望むのならば存在すること以外の情報は漏れないよう配慮しよう。不安に思う者も居るゆえ存在の有無は明かさせてもらうが」
何という心遣いか。毛並ぼさぼさの薄汚い猫が俄然かっこよく見えてきた。かっこよさとは見た目ではないのだ。心のあり方なのだ。感動しつつ葵は答えた。
「あ、全然大丈夫。ガンガン宣伝どうぞ」
人間じゃないメスでも誉められれば一応嬉しい。脳内では小動物に囲まれて賛美の言葉に浸される自分がいた。自分に嘘はつけない。正直は美徳なのだ!
一匹二匹と猫が立ち去りだしたので葵も帰途についた。十匹近い猫に触れたのだから補給も充分だろう。人通りのない路地を歩いていると不意に声が聞こえた。
「愚鈍な毛玉との会合は終了か、救世主」
振り返るが人も動物も見当たらない。敵だろうか。声は低くない。
「こちらだ、上をご覧じろ」
声に誘われ目線を上に上げれば電信柱の上には黒い影が。
「……からす」
「左様。我はこのあたりの首領をしている。この度、能力に選ばれたと知りご挨拶に参じた」
ちょい、と首を下げて見せるカラスに葵は目を見張った。小さな頭は確かにお辞儀をしたのだ。
「地べたを這いまわっていても人間に排除されない愚鈍な毛玉は確かに使い勝手がよかろう。しかし我々のほうが機動性が高く、そして愚かでない」
カラスの頭が良いという話は聞いたことがある。葵はごくりと喉を鳴らした。猫の集会に出る時も緊張したが、カラスとの対峙はそれを上回る緊張感がある。不意に視界の外から黒い影が落ちてきて驚いた葵は一歩後ずさった。
「きらきら、いいですね」
十数メートル先に降り立ち地面をぴょこぴょこ歩いて寄ってくるカラスに身構える葵の目前、電信柱のカラスも地面に降り立った。一回り以上小さいカラスに向かって羽を広げて脅かすように足を止めさせた首領はくるりと葵を振り返った。
「不躾な真似を許してほしい。これはまだ幼い」
カラスが頭を下げる。葵も、いえ、と頭を少し下げて返した。
「救世主、その飾りに触れても構わぬか」
「えっ」
「我々は愚鈍な毛玉と違って本能に負けて救世主を傷つけたりはしない。このように手順を踏む。それを、つついてもよろしいか」
クチバシの向きからして恐らくポケットからはみ出したキーホルダーだ。キラキラしているものは他にない。家の鍵につけていたキーホルダーをはずし、そっと差し出した。
「キラキラ! パパ! キラキラ!」
「キラキラだな! とてもキラキラだな!」
地面に置かれたそれを、ふたつのくちばしが襲う。数秒と経たずにパパのほうがキーホルダーをくわえて飛び去った。
「あっ待ってパパ! あたしもあたしもー!」
娘カラスもそれを追って飛び去って行った。遠ざかる二羽を見送る。少しばかり口をきいたところで、やっぱり動物か。やっぱり話すなら人間だな。
葵は失望と安心を半分づつ抱きながら反対側のポケットからスマートフォンを取り出した。
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