第25話 冷たくなったわたしの心

 それからのことは、全く覚えていない。

 気が付いたら、おまわりさんと一緒にパトカーに乗って、警察署で事情聴取を受けていた。


「智子は……あの子は……大丈夫なんですか?」

「ああ、外傷は酷いが命に別状はないって連絡が入った」


 唯一覚えているおまわりさんとのやり取りは、これくらいだった。

 その後、智子の容体を教えてくれたおまわりさんは、現場の状況をわたしから詳しく聞こうとしたのだが、全然答えられないわたしに、頭を悩ませているようだった。

 多分、おまわりさんは、わたしが友達のあんな姿を見て、混乱しているのだと思っていたのだろう。

 でも、わたしは意図的に彼らに情報を与えなかった。あの現場に伊丹がいたことも話していない。

 日本の警察は優秀だから、わたしからの証言が取れれば、すぐにあいつらに捜査の手が回るだろう。


 だからこそ、わたしは黙秘した。

 せめて一日だけ、わたしに時間を与えてもらうために。


 数時間、おまわりさんはわたしと会話したけれど、これ以上は不毛だと判断したのか、腕時計を見て、呟いた。

「もうこんな時間か……。もう帰ったほうがいいね。悪いけど、また話を聞きにいくと思うけど、今日のところはもう帰りなさい。保護者の人も迎えに来てくれてるから」

 部屋にいたもうひとりの若いおまわりさんと目配せしながら、そんなことを言われた。


 保護者って、もしかして……。

 最悪の展開に戦々恐々とするわたしだったけれど、それは杞憂に終わった。

 廊下を出てすぐに、聞き覚えのある声が耳に入ってきたからだ。


「愛美ちゃん!」


 スーツ姿の由吉さんが、わたしのほうに近づいてくる。

 隣には、久瑠実さんもいた。

 おそらく、わたしの名前と制服を見て、学校側から由吉さんたちに連絡が入ったのだろう。

 由吉さんは、大きな身体で、がばっと、わたしを抱いた。


「よかった……ほんとうに、君に怪我がなくてよかった……」

 力強く、痛いくらいに由吉さんがぐっとわたしの身体を抱く。久瑠実さんも、今にも泣きだしそうな顔だった。

 またわたしは、この人たちに迷惑をかけてしまったようだ。

「保護者の方、とお聞きしておりますが、彼女……遠野愛美さんは、直接事件とは関わっていないみたいです。ですが、またお話は聞きに行くと思います。それと……」

 さっきまでわたしと話していたおまわりさんは、久瑠実さんにわたしの状態を伝えているようだった。おおまか、「精神的に大変ショックを受けているから気を付けてほしい」とか、そんなことを伝えているのだろう。久瑠実さんの不安そうな顔は、一向に晴れる様子はない。


「さぁ、帰ろう。愛美ちゃん」

 やっとわたしを解放してくれた由吉さんが、優しい口調でわたしにそう言った。久瑠実さんも、わたしの手をとって、自分の手で包むようにしてくれた。

 そんな彼らに、わたしは返事もしなければ肯くこともしなかったけれど、由吉さんたちはとぼとぼと歩くわたしに合わせて、警察署を後にした。

 由吉さんが運転する車に乗っても、わたしは無言を貫いた。

 いま自分が、どんな表情をしているのかもわからないし、窓に反射する自分の姿も見たくなかった。

 運転する由吉さんはともかく、助手席じゃなく、後部座席でわたしの隣に座った久瑠実さんも、わたしに何も聞こうとはしなかった。


 そして数十分後、車は近江家へと到着した。結局、車の中では、わたしは一言も彼らと口を聞かなかった。

 玄関を開けると、ドタドタドタッと、フローリングが壊れてしまうんじゃないかと思うくらいの勢いで、憂ちゃんが飛び出してきた。


「愛美お姉ちゃん!」

 憂ちゃんの顔は、涙で真っ赤に腫れ上がっていて、くしゃくしゃだった。そして、わたしの姿を見ると、また大粒の涙を流していた。

「こら、憂ちゃん。そんなにくっついちゃ、愛美ちゃんが困るでしょ?」

「だって! だって~!! うわあああああんっ!!」

 久瑠実さんが、そんな憂ちゃんの頭を撫でた。それでも憂ちゃんが泣き止む様子はない。まともに口を聞ける状態でもなかった。

 憂ちゃんも、由吉さんたちからある程度のことを聞いていたのだろう。感情の起伏が激しいこの子らしいと、わたしは思う。


 自分のために流してくれる涙だってわかっていても、その程度の感想しか出てこない。


 わたしは、もう後戻りできないくらい壊れてしまった自分を、このとき実感した。


 そんな憂ちゃんの横を通り過ぎようとしたとき、リビングから蓮さんが出てくるのが見えた。

 彼は、いつものように澄ました顔をしている。だからこそ、わたしは彼と顔を合わしたくなかった。

 きっと、勘の鋭いあの人なら、いま私が考えていることなんて、見透かされそうな気がしたからだ。

 ただでさえ、今日の蓮さんとのやりとりで、こっちは気まずくなっているのだ。

 わたしは、近江家の人たちを無視する形で、二階へと足を運ぶ。


「まっ、愛美お姉ちゃん……」

 上ずった声で、憂ちゃんがわたしの名前を呼んだけれど、振り返らなかった。

「愛美ちゃん」

 次に、由吉さんの声が聞こえた。

「今日は……ゆっくり休みなさい。あと、明日は無理に学校に行かなくていいから」

 わたしは、その問いかけに対しても、返事をせずに、部屋に戻った。

 閉じ込められた室内のせいか、自分の身体に染みついた汗の匂いや、ゴミの悪臭が鼻腔を刺激してくる。お風呂に入ったほうがいいかもしれないが、とてもそんな気分にはなれなかった。


 着ていた制服を全て脱いで、シャツとハーフパンツに着替える。

 さすがに、今日は由吉さんが乱入してくることはなかった。

 動きやすい服装になって、わたしはベッドに潜り込む。

 眠れないだろうけれど、明日のために精神も少しだけ落ち着かせよう。


 わたしは生まれて初めて、早く明日が来てほしいと思いながら、瞼を閉じた。

  

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