第24話 壊れていくわたし
「くそっ……」
どうしてこうも、わたしは上手くできないのだ。せめて、自分の人間関係くらいは、管理できる人間になりたかった。生まれたころにできた、人間関係は、失敗ばっかりなのだから。
せめて……。
――あなたなんて……。
「やめてっ!」
頭の中で、あの日の言葉が、何度も反復される。
わたしを苦しめるように、その言葉が響く。
「…………はぁはぁ」
ゆっくり深呼吸して、空を見上げると、ちょっとだけ輝いている星が見えた。
そうやって、一時間ほどベンチに座っていたわたしは、ようやく立ち上がることができるまで回復することができた。
「……捜さなきゃ」
お腹の痛みがなくなって、頭の中の声も聴こえなくなって、わたしはやっと身体を自由に動かすことができた。
そして、やるべきことも、ちゃんとわかっている。
「あの子を、止めなきゃ」
智子は、『自分がなんとかする』と言った。わたしが置かれている状況を、たった一人で解決しようとしてくれている。
だとしたら、本当に急がなくてはならない。あの子は、どこか後先を考えないところがあるというか、思い込みが強い子でもある。
白と黒をはっきりと分けないと、気が済まない性格。
そしてこの場合、『白』がわたしと仮定すれば、『黒』は誰なのか、おのずと答えが導き出される。
きっと智子は、霧島たちを追いかけているはずだ。
変な気を起こさなければいいが……。
少し前に智子のアドレスにメッセージを送ったが、智子からの返事はない。
電話も試してみたけど、反応なし。
これだから携帯機器は嫌いなんだ。大事なときに、連絡が取れない。
わたしは、乱暴にスマホをポケットにしまって、走り出した。
自分の足で捜すしかない。
そう思った、矢先だった。
ブー、ブー。
と、ポケットのスマホが、震えはじめる。
タイミング的に、近江家の誰かからの着信だと思った。こんな遅い時間まで独りで外出したことはなかったし、過保護なあの人たちの誰かが、わたしを心配して連絡をしてくることだって、十分に考えられた。
だから、画面を確認したらすぐに電源を切るつもりだった。
しかし、画面には『倉敷 智子』と表示されていた。
「智子!」
期待していなかった分、相手から連絡をくれたことに驚く。だが、そんなことで動揺している場合じゃない。
早く出て、ありったけ文句を言ってやる!
「智子! あんた今どこにいるの! お願いだから変なことしないでっ!」
叫ぶわたしとは対照的に、スピーカーからは雑音しか聞こえてこない。
「ねぇ! 何か言ってよ!」
不安に押しつぶされそうなわたしは、いつのまにか声が震えて……悔しいけれど、目頭が熱くなってきてしまっていた。
『……ははっ』
そんなわたしの心境を切り裂くように、乾いた笑い声が聞こえてきた。
「えっ?」
頭がパニックでおかしくなりそうだった。
ほんの少ししか聞こえなかったけれど、その笑い声が智子のものではないことくらい、わたしにはすぐにわかった。
そして、笑い声の正体も、同時に判断できてしまった。
『どうも、二日ぶりってところかしらね。元気にしてた? まぁ、私たちとしては、元気にしてもらってちゃ色々と困るんだけどさ』
「……霧島」
『こらこら、ちゃんと先輩って呼ばなきゃ駄目でしょ? まだ教育が必要かしら? んーでもごめんね。私たち、もうあなたにあまり興味がなくなっちゃったの?』
「……なに、言ってんの?」
『ふーん、まだ気づかないんだ。こうして私がわざわざ親切ご丁寧に、電話しているのにね。あなたの友達っていう子のスマホでさぁ』
「あんたっ! 智子にっ……!」
『そう焦らないで、愛美ちゃん。いや、違うな、焦ったって無駄っていったほうが正しいかしら?』
どういう……意味だ?
わたしの動揺を電話越しでも感じ取ったのか、また『ははっ』という、霧島の笑い声が聞こえてきた。
『えっとね、まぁこっちに来れば全部わかっちゃうんだけど、その前に愛美ちゃんには嬉しい報告だよ』
「……ふざけないでよ。それよりあんた、今どこにいるの? 智子はそこにいるの?」
そう尋ねるわたしの言葉が聞こえていないのか、霧島は話を続ける。
『もう、私たちはあなたに手出ししないわ。あんなちんけな嫌がらせがどうでも良くなるくらい、楽しませてもらったからね』
「いいからわたしの質問に答えてっ! あんたたちは今どこにいるの!」
『全く、キーキー煩いわねぇ……。まぁ最初に会ったときみたいな、クソ生意気そうなあなたがそんな必死な声を出すってことは、あの子は相当、特別だったみたいね。それじゃあ、愛美ちゃん。今から私が言う場所に行ってみなさい。とっても素敵なものが見れるはずだから』
霧島は、必死で笑いを堪えているのか、変な息遣いをしながら、駅から少し離れているコンビニの名前を口にした。
『それじゃ、私たちはもう、あんたたちには構わないから、さようなら。短い間だったけど、楽しかったわ』
本音を言うと、もうちょっと遊びたかったけどね、と霧島は吐き捨てて、電話を切った。
「……くそっ!!」
わたしは、持っていたスマホに怒りをぶつけるように、投げ捨てた。
せっかく由吉さんたちが買ってくれたスマホだったが、そんなことを気にしている暇なんて、今のわたしにはこれっぽっちもない。
走る。足を動かす。
今のわたしはそのことだけに全力を注ぐ。
仕事帰りのサラリーマンが、不審な目を向けられたが、どうでもいい。
とにかくわたしは、走り続けた。
息が切れて、苦しかった。
どうでもいい。
どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。
わたしのことなんて、どうでもいい。
あの子が、ちゃんと無事でいてくれるだけでいいから。
お願い、だから……。
そんな祈りを何度も頭で反芻しながら、走り続けた。
実際はほんの少しの時間しか経っていないのだろうが、何時間も、走り続けた気がする。
そして、霧島が指定してきたコンビニの前へと、たどり着く。
だが、霧島の姿どころか、わたしと同じくらいの学生さえ見当たらなかった。
智子の姿も、どこにもない。
感情的になって、スマホを投げ捨てたのはまずかったかもしれない。あれは、智子の居場所を探す唯一の手掛かりだったのに……。
「うっ、うわあああああああああっ!」
そんな中突如、静観な街中で男性の悲鳴が響き渡る。
聞こえてきたのは、コンビニの裏からだった。
嫌な予感がしたわたしは、一目散に、悲鳴が上がった場所へと行くと、そこには尻餅をついた二十代くらいの男性がいた。その隣に、ゴミ袋が放り投げられている。コンビニの制服を着ているので、店員なのだろう。
そして、わたしに気が付いたその男性が、恐怖に脅えた声を絞り出すように、告げた。
「ひとがっ……ひとがなかにっ……」
男性が指さした先は、業者用の大きなボックスだった。
そのボックスが、今は扉が開いて、悪臭を放っている。
飲食店などのゴミが、放り込まれているのが容易に想像つく。
わたしは一歩ずつ、そのボックスへと、近づいていく。
足が重くて、鉛のようだった。
それを無理やり引きずるようにして、ボックスの前に、立つ。
開いていた蓋のせいで、すぐに中の様子が、窺えた。
そこには、まるでゴミに混じるように、ボロボロで傷だらけの智子がいた。
「あは、あははは、あははははは!」
誰かの笑い声が、後ろから聞こえてきた。
わたしは、ゆっくりと振り返る。
そこには、スマホのカメラを掲げた伊丹の姿があった。
「あ~、いい動画が撮れたよ。あんたがそんなに焦ってる姿を見るなんて最高~」
――わたしはただ、黙って伊丹のほうに視線を向ける。
「いやぁ、さっきの店員、どっか行っちゃったけどいい声出してくれたわ。それであんたが駆けつけてくることになったし、これ、永久保存版でしょ?」
あはは、ともう一度笑う伊丹の姿を、わたしはただ、その場に立ち尽くしているだけだった。
「どう? オトモダチがひどいことされちゃった気分は~? でも、その子が悪いんだから? あんたにやったこと、全部学校に言ってやるからって聞かなくてさ。だ~か~ら、ちょっと痛い目に見てもらったってわけ?」
わたしの身体が、燃えるように熱くなっていく。
ああ、駄目だ。
おかしく、なってしまう。
「ほらほら~、そっちも動画に残してんだけどさ、あんたも見る? 霧島のやつ容赦しなかったからねぇ~。こんなにやったので結構久しぶりで……」
ゆっくりと、伊丹がわたしのところまで近づいてくる。
そして、わたしの手の届く距離まで詰めて来て、話を続ける。
「あんたにも見せてやりたいわぁ~。ほら、ここなんだけど……!!」
だから、わたしは隣に来た伊丹の首を、思いっきり絞めてやった。
「……ガッ!! あ、あんた……」
腐った人間が喚いているが、そんなこと、どうでもよかった。
抵抗するように必死でわたしの腕を掴んでくるけど、そんなの無駄な抵抗だ。
ちょっと、うるさいから黙ってほしい。
首を絞めたら、この馬鹿も何も言わなくなるだろう。
親指に力を入れて、首を潰してやろう。
もっと、もっと、もっともっと。
こいつが苦しめばいいんだ。
「……ガガッ!! ……はぁ!!」
伊丹の口から、泡のようなものがあふれ出してきた。
眼も充血して真っ赤になり、あれだけ抵抗していた腕も、今ではだらんとぶらさがっているだけだった。
ああ、もうすぐだ。
もうすぐで、ちゃんと黙ってくれるよね?
「ま……なみ、ちゃん?」
ゴミ箱の中から、声が聞こえた。
「と……もこ?」
聞き間違いだったかもしれない。
でも、微かな声で、確かにわたしを呼んでくれる声が聞こえた。
わたしの中で、スッと、最後に残っていた人間の部分が、戻ってきたような気がした。
「ひっ、ひいいいっ!」
わたしが手を離したら、伊丹は悲鳴を上げながらどこかへ去っていったが、わたしにとっては、どうでもいいことだった。
そのあとは、自分でも驚くくらい冷静に動くことができた。
智子を、こんな場所にいさせてはいけない。
わたしは、智子の身体を引きずりだすために、ゴミ袋だらけのボックスの中に手を伸ばす。智子の肌に触れると、温かくて……少しだけ呼吸で身体が動いているのがわかった。
わたしは、そのことに安堵する暇もなく、重いっきり智子の身体を引っ張る。だけど、中学生の女じゃ、少しだけ起き上がらせるだけで、精一杯だった。
しかし、それが結果的に、全体のバランスが傾いて、そのおかげでゴミが詰められていたボックスが、騒音とともに倒れた。
ゴミと一緒に、智子の身体も外へと放り出されて、わたしは彼女の身体を、やっと抱きかかえることができた。
同時に、今度はしっかりと、智子の姿をみることになった。
服は、手で乱暴に引き裂かれたようにビリビリに破れて、白い下着が露出している。
肌は、痣とネズミ張りが酷かった。内出血を起こしているのか、紫色になっている箇所が目立つ。
髪は汚い油に混じってしまって、ベドベトだったけど、わたしはその髪に触れて、彼女の名前を呼んだ。
「とも……こ」
「……あはは、おかしいな。愛美ちゃんの声が聞こえるよ」
目を開かずに、智子が口を動かした。小さな声だったけど、ちゃんとわたしの耳に届く。それが聞けただけで、わたしは震えが止まらなかった。
しかし、智子はわたしに構わず、告げる。
「私、やっぱり愛美ちゃんに迷惑かけちゃってばかりだね」
「もう……しゃべらなくていいよ……」
「こういう風に……ならないために、愛美ちゃんは……、わたしを遠ざけようとしたんだよね?」
「しゃべるなって言ってんでしょ!」
大声で叫ぶが、それでも智子は、少しだけ笑って、話す。
「私……ちゃんとわかってるよ? 愛美ちゃんが、本当はすごく優しい人だって……」
だからね、と智子は微笑む。
「わたし、ずっと愛美ちゃんと本当の友達になりたかった。教室でおしゃべりしたり、好きなテレビの話をしたり、お気に入りの本の話をしたり、したかった」
智子は、一度も目を開けなかった。ただぎゅっと、わたしの制服を握るだけだった。
「私、愛美ちゃんが心から笑ってる姿、一度も見たことなかった。それが、すごく悔しい。きっと、私じゃ愛美ちゃんを笑顔にさせてあげることが、できないんだね」
悔しいよ……と呟く智子は、掠れた声でわたしに告げる。
「ごめんね、愛美ちゃん。ほんとうに……ごめんね」
それを最後に、電池が切れたかのように、智子は動かなくなった。
ただ、胸のあたりはちゃんと規則正しく、上下していた。
いいよ、智子。
今はゆっくり休んで。
あとは、ちゃんとわたしで終わらせるから。
遠くのほうで、けたたましいサイレンの音が聞こえてくる。
同時に、何人もの人の足音が、わたしに近づいてきているような気がするけれど、そんなことは、もうどうでもよかった。
わたしはただただ、ぐったりとする智子の身体を、ぎゅっと抱きしめるだけだった。
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