第13話 ショッピングと契約
わたしは今、近江家に来るとき以来に乗る、白いミニバンの座席に、ちょこんとおとなしく座っている。
もちろん、運転手は由吉さん。
それは以前と変わらない。
しかし、この前と違うところをあげると、わたしは助手席ではなく、後部座席に座っていた。
そして、左には久瑠実さん、右には憂ちゃんというポジショニングで、助手席には、蓮さんが乗っていた。
「うふふ、こうしてみんなと出掛けるのって、久しぶりね」
「そうだよ! 特に、蓮お兄ちゃんは塾とか学校が忙しいって言って、全然家に居ないし」
「あはは、ごめんごめん。でも、今日はちゃんと予定を空けておいただろう?」
嬉しそうに微笑む久瑠実さんに、不満を漏らしながらも楽しそうにする憂ちゃん。
そういえば、以前、憂ちゃんは『みんな忙しくて遊んでくれない』なんて言っていたっけ? その欲求がわたしのところに向けられてしまったのは甚だ迷惑だったのだが、どうやら、これから家族団らんで何処かへ出かけるらしい。
って、いやいや、ちょっと待て。
それなら、わたしは必要ないじゃん!
どうして素直に車に乗り込んだ、三十分前のわたし!
訳のわからない状況を何とか整理しようと、必死で思考を巡らせる。
えっと、まず、わたしが車に乗ってしまったことは仕方がない。起きてしまった出来事を反省するほど、無駄なことはない。自分の行動の失敗を嘆いたところで、時間が戻るわけじゃない。
それならば、次に起こる出来事に焦点を置こう。
問題は、これから行く目的地だ。
由吉さんは、何故か行き先を教えてくれなかった。
一応聞いたのは聞いたのだが、「ふふふ、着いてからのお楽しみだよ、愛美ちゃん」という、含みを持たせた返答しか得られなかった。
いや、教えてよ。
こっちにも、心の準備ってものがあるんだから。
まさか、このまま家族で行楽地に出発! なんてことにはならないよね?
もしそんなことが現実になってしまったら、わたしの日曜日は地獄へと変貌してしまう。
そんな、戦々恐々と怯えるわたしだったが、着いた先は、わたしが初めて由吉さんと出会った駅の駐車場だった。
「よし、それじゃ、行こっか」
車を降りた由吉さんを先頭に、わたしたちが向かった先は某携帯ショップであった。
ん? 携帯ショップ?
何だろう。誰か機種変更でもするのだろうか? なんて他人事のように呑気に考えていると、店に入ってショーウィンドウの前まで来て、由吉さんがわたしに言った。
「さぁ愛美ちゃん! 好きなものを選んでいいよ!」
「……ふへっ?」
思わず、ヘンテコな奇声をあげてしまった。しかし、そんなことは全く気にした様子のない由吉さんの代わりに、隣にいた久瑠実さんが、優しい声で説明してくれる。
「愛美ちゃん。携帯持ってないでしょ? もう中学生なんだから、持ってないと不便だと思って由吉さんに昨日相談したら、『それじゃ、明日、みんなで買いに行こう』ってことになったの」
「はぁ……?」
なるほど、そういうことか……って素直に納得できるほど、今のわたしに心の余裕はなかった。
なんでやねん、と関西圏の人間でもないのに、ツッコミを入れたくなる。
確かに、わたしは携帯電話を持っていなかったし、今や中学生にとっては必需品であるのはそうなのだけれど、さすがに近江家にそこまでお世話になるわけにもいかない。
まさか、あの人たちがわたしの携帯電話料金なんて、払ってくれるわけもないし(食費といった、生活費すらちゃんと近江家に払っているのか、微妙かもしれない)。
ただでさえ居候として迷惑をかけているというのに、これ以上、近江家の人に負担を掛けるわけにはいかない。
「あの、わたし……必要ないですから。機械とか……苦手ですし」
なので、わたしにしては珍しく、本音を吐露することになった。
機械が苦手という、どうでもいい情報が嘘というわけじゃない。
わたしには、携帯なんて必要ないのだ。
――だって、連絡をとりたい相手なんて、いなのだから。
このとき既に、わたしの中の近江一家に対する気持ちが、微妙に変化していたのだけれど、わたしはそれに気づくことはなく、そのまま話を進めていた。
「うーん、でもごめんね。これは愛美ちゃんには必要っていうのもあるんだけれど、本当のことを言っちゃうと、私が持っててほしいのよ。ほら、この前みたいに愛美ちゃんに何かあったら怖いし、お友達と遊びにいったら、帰りの時間なんかも教えてほしいから」
久瑠実さんは、珍しくわたしの意見を聞いても一歩も引かなかった。
この前みたいに……っていうのは、多分わたしが万引き犯に仕立て上げる中学生と遭遇したときのことだと思う。そして、久瑠実さんの性格を考えれば、わたしに携帯を持たせたいという意見も納得できるものだった。
「大丈夫大丈夫! スマホってさ、難しそうに見えて、めちゃめちゃ簡単だから! このあたしのセンスに任せてくれれば、愛美ちゃんにぴったりのスマホを探してあげるよ!」
目をキラキラさせながら、憂ちゃんが宣言する。
いや、この子に任せるのは不安すぎる。
「愛美ちゃん。遠慮しなくていいと思うし、罪悪感を持つこともないよ。父さんたちがこういう人だっていうのは、もう分かってると思うし、大人しく言うことを聞いていたほうが楽だと思うよ」
わたしだけに聞こえるように、そう小さな声で呟いたのは、蓮さんだった。
蓮さんの言葉は、説得力があって、わたしに拒否権がないことくらいも、近江家で過ごすことによって嫌でもわかってしまうようになってしまった。
蓮さんのいう通り、この人たちは、きっとこういうことを、何の疑問も持たずにやってしまう人たちなのだ。
「……わかりました。久瑠実さんの心配がそれで解消するのなら……買います」
正確には『買ってもらいます』という日本語が正しいのだけれど、そんな些末な日本語の言い間違いに由吉さんは気づくことなく、早速、嬉しそうに近くにいた店員さんに話しかけていた。
しかし、携帯電話一台買うだけで、家族そろって外出するとは。
この日の出来事もまた、まだまだわたしの知らない近江家の『家族』という実態を、見せつけられたような気がした。
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