第11話 偽りの友達


 倉敷さんは、意外にも押しの強い女の子だった。


 その積極性を、是非とも掃除を押し付けてくる同級生に発揮してもらいたいところだったが、彼女のなかで、たとえフリだとしても、『友達』相手ならば言いたいこともちゃんと言えるようであった。


「それじゃあさ、友達っぽく、まずはお互い下の名前で呼び合おうよ」

 昼休みのチャイムがなる前に、教室に戻ろうとしたわたしにそんな提案をしてきた。

 嫌だ、と、即座に言ってやりたかったが、一度承諾してしまった以上、やるなら徹底的にやったほうが良いだろうと思う建設的な自分もいた。

 変なところで、わたしは几帳面なのだ。


「わかったよ。智子……って、呼べばいいの?」

「うん、ありがとう、愛美ちゃん」

 ……本当に躊躇がないな、この子。

 色々いいたいことはあったけれど、今は素直に倉敷さん……智子の好きなようにさせてあげよう。

 どうせ、いくらフリだからといっても、わたしと一緒にいるなんて、いつかは耐えられなくなるはずだ。

 ただ、利用させてもらう分には、存分に利用させてもらおう。


 具体的には、今日の放課後、わたしは早速、智子と友達になったことを、ある人物に伝えることにした。

「おおっ! じゃ、早速二人は仲良くなっちゃったんだね!」

 予想していた通り、二年A組の教室に、またしてもやって来た憂ちゃんがキラキラした目でわたしたちを見つめる。

「うん、色々、話を聞いたら気があってね」

 よくもまぁ、こんなに心にも思っていないことが言えるもんだと自分自身に感じつつ、わたしは隣にいた智子にアイコンタクトを送る。

 わたしと憂ちゃんの関係、もとい近江一家については、これまでに少し説明しておいたので、話を合わせてくれるはずだ。

 そして、わたしが憂ちゃんに放課後、つき合わされて困っているというニュアンスのことを伝えると、智子は「私が何とかしてみる」と言ってきた。

 実際、智子はわたしの予想以上にはたらいてくれた。


「そうなの。それでね、昨日助けてもらったお礼っていうわけじゃないけれど、今日はこのまま、図書室で愛美ちゃんとお勉強しようと思って。ほら、愛美ちゃんは転校してきたばっかりだから、微妙に授業の進行速度とか違ったみたいで……」

 その後、智子はわたしに勉強を教える理由を、懇切丁寧に解説していったが、『お勉強』という台詞が出てきたあたりから、若干眉をひそめて、憂ちゃんは浮かない顔をしていた。

 本当に、わかりやすい性格をしているなぁ、この子は。

「――っていうことなんだけど、良かったら、憂ちゃんも一緒にお勉強していく?」

「いっ、いやいや! あたしはその、間に合ってますんで! そうだなー、愛美ちゃんたちの勉強を邪魔するのも悪いしなー。あーあー。本当は勉強したかったけどなー」

 口笛を吹く真似をしながら(どうやら音は出せないらしい)しれっと、帰ろうとする憂ちゃん。

 いや、べつにわたしたちに気を遣って残る必要なんてないんだけど。

 だけど、そんな大根芝居をする憂ちゃんに対しても、智子は優しく語りかける。

「憂ちゃん。愛美ちゃんのことは、しばらくわたしに任せてもらえるかな?」

 人をペット扱いみたいに言わないでほしいと反論しそうになったところで、憂ちゃんは「うん、それじゃ、愛美ちゃんをよろしく!」と言って、来たときと同じくらいの猛スピードで立ち去ってしまった。


「これで、いいかな?」

「……うん、そんな感じでこれからも宜しく」

 上出来だ、と言いたいくらいだったが、素直にお礼が言えないところが、わたしらしいといえばわたしらしい。

 でも、これで無事、昨日みたいに憂ちゃんに振り回されることはしばらくなさそうだ。

「それじゃ、また明日も、宜しくね」

 憂ちゃんが去ってしばらくして、わたしたちも学校から出ようとしたのだが、

「えっ?」

 という、素っ頓狂な声を智子が発した。

 ん? という怪訝な表情をつくったわたしだったが、少しオドオドしたように、智子が告げた。

「えっと、だから、図書室、今から一緒に行くんだよね?」

「…………は?」

 いやいや、なんでそうなる?

「だって、図書室で勉強するって……」

「えっと……それ、本当だと思ってたの?」

 わたしが半ば呆れるように言ったのに対して、智子は本当に分からないといった感じで首を傾げていた。


 なるほど、そこら辺の説明を省いてしまったのはわたしの落ち度だ。

 なので、わたしは智子にも分かるように解説してあげる。

「いい、図書室で勉強するっていうのは、あくまで憂ちゃんに理由をつけてわたしと一緒に帰らないようにするための嘘。何も律儀に本当に勉強なんてしなくてもいいのよ」

 ぶっきらぼうにそう告げたわたしは、ため息をついて肩を落とす。

 憂ちゃんじゃないけれど、誰が好き好んで、学校で残って自習をしなくてはいけないのだ。

 しかし、わたしの説明を聞いても、智子は全く納得したような顔は見せなかった。

「でも、愛美ちゃん。本当のところはどうなの?」

 うっ、と思わず反射的にしかめっ面を作ってしまった。

 先ほど、智子が憂ちゃんに言ったことは、あながち嘘ではないのだ。

 わたしが通っていた学校とは本当に使っている教科書が違うかったし、まだ習っていない数学の公式が当たり前のように使われていて、全然授業の内容が頭に入ってこないことをたった二日の内に経験した。

「それに、そのまま帰ったら、憂ちゃんに……近江さんたちに、変だと思われない?」

 確かに、智子のいう通りにはいう通りだったのだが、わたしもそこまで馬鹿じゃない。

 ちゃんと時間つぶしくらいして、適度な時間に帰るつもりだ。

「それならさ、さっきわたしが言ったこと、現実にしたほうがいいんじゃない」

 言いにくそうに、だけどきっぱりと、智子は宣言した。

「私、これでも勉強の成績はいいほうだから力になれると思うよ。だから……利用価値は、あると思うよ」

 最後の台詞だけ、ちょっとだけ寂しそうに言っているように聞こえた。


 利用価値。

 それは、わたしたちのこれからの関係を表すのに、ぴったりの言葉のようだった。


「わかったよ」

 どうせ時間を潰すっていっても、何かやりたいわけじゃなかったし、ここは智子の案に乗っても問題はないだろう。

 存分に、利用させてもらおうじゃないか。

 わたしたちは、そのまま、仲が良さそうな友達のように、図書室で勉強会を始めることにしたのだった。


〇 〇 〇


 彼女は自己評価通り、賢い学生だった。


 それに、勉強ができる人の特徴としてよくあげられる、教え方が下手だということもない。

 わたしがどこを理解していなくて、どこを理解しているのか、ちゃんと分かって解説してくれる。

 おかげでストレスなく、ただの時間つぶしだった彼女との時間で、わたしは本当に勉強に取り組むことができた。


「私、こうして誰かと一緒に過ごすのって、凄く久しぶりだな……」

 智子は、わたしの隣で一度、そんな風に呟いた。

 それは本当に、嬉しそうに言っていたのだ。

 でも、一緒の時間を過ごしたはずのわたしは、智子の気持ちがこれっぽっちも理解できなかった。

 わたしと一緒にいて、どうしてそんな表情ができるんだろう?

 本当に、わたしには、理解できない。

 そういえば、憂ちゃんもよく、今の智子のような表情をしている。


 いや、憂ちゃんだけじゃない。

 近江一家は、わたしのことを温かい目で見てくれて、優しくしてくれる。

 その優しさに、わたしは、どうすればいいのか、わからない。

 わからないのだ。


「……愛美ちゃん?」

 わたしがノートを書く手を止めてしまったことに気付いたのか、心配そうな声で、智子がこちらを見つめてくる。

「なんでもない……」

 言い訳がましく、わたしはそう言って再び手を動かすことに集中した。

 そのおかげか、気が付けばわたしのノートにはびっしりと文字や数式が書き込まれていた。

 そして、最終下校時刻を告げるチャイムが鳴り響き、勉強会はスムーズに事なきを得た。

 智子とは、途中まで一緒に帰路について、わたしは近江家へ向かう。

 その間、智子は自分のことを淡々と話し続けていた。

 それを、わたしは下手くそな相槌を打って答えているだけだった。

 わたしからは、何も言わない。

 それでも智子は、何故か楽しそうにしていて満足気だった。

 そして、別れの道まできたところで、智子が名残惜しそうにわたしに告げる。


「また明日ね、愛美ちゃん」


 遠慮気味に手を振りながら、わたしから離れていく智子。

 わたしは、そんな去っていく智子の背中を見送ったあと、自分が向かうべき近江家まで歩く。

 一人になった途端、外の景色が一段と暗くなってしまったように感じたのは、日が完全に沈んだからだろう。


 そして、近江家の前まで到着する。

 時間的には、昨日とそれほど変わらなかったので、玄関を開けると(鍵はあずかっているのだ)、久瑠実さんが作ってくれたであろう夕食の匂いが漂ってきた。

 魚を焼いた、香ばしい匂いだ。


「おかえりなさい! 愛美お姉ちゃん!」

 扉を開けて靴を脱いだ瞬間、待ちわびたとばかりに、リビングの方から憂ちゃんが飛び出してきた。

 そんな憂ちゃんを適当に相手をしながら、リビングに入ると、予想通りキッチンで久瑠実さんが調理中だった。

「おかえりなさい。愛美ちゃん。お勉強お疲れ様」

 にこっと微笑みながら、わたしに労いの言葉をかけてくれる久瑠実さん。間違いなく、憂ちゃんが報告したのだろう。

 その後、しつこく勉強会の様子を聞いてくる憂ちゃんと一緒に、面白くもないテレビの画面を見ながら過ごしていると、由吉さんと蓮さんも帰って来て晩御飯をみんなで食べた。


 今日の晩御飯のメニューは、ブリの照り焼き。

 相変わらず、真ん中のおおきなお皿に、切り身がいっぱい乗っけてあるスタイルだった。

「愛美ちゃんがお勉強をして帰ってくるって聞いて、ちょうどスーパーで安売りしてたから買ってきたのよ。これで、少しは愛美ちゃんの力になれたら嬉しいわ」

「ん? ママ、『ちょうど』って、どういうこと? ブリって今が旬だったっけ?」

「それはね憂、ブリには、『DHA』っていう、学習能力を高めてくれる成分が多く含まれているんだよ。『日本の子供の知能指数が高いのは、日本人が昔からたくさん魚を食べていたことが理由の一つ』っていう研究結果もあるくらいだからね」

「そうなのか蓮! よし、憂! どんどん食べろ! 賢くなるぞ!」

 うん! と元気よく返事すると、憂ちゃんは一切れ、二切れと、自分の受け皿に乗せていく。

「……ただし、食べるだけで賢くなるわけじゃないから気を付けること。このあとちゃんと勉強しないと、賢くならないよ」

「うわ~ん! 騙された!」

 蓮さんの説明を受けて、悔しそうに、憂ちゃんは自分の頭を抱えて悶えていた。

 いや、このあと勉強すればいいじゃん、という突っ込みは誰もせず、久瑠実さんも、そして由吉さんも、笑い声を上げた。

 本当に、賑やかな家族で、わたしの知らない家族の形だと思う。

 だからこそ、わたしはここに、混ざることができない。


「――ごちそうさまでした」

 わたしはそう言って、一人、席を立つ。

 久瑠実さんの料理はいつも上手で、とっても美味しかったけど、どうしてかわたしは、その味が好きになれそうになかった。


 わたしなんかが、味わって食べていい料理じゃない気がしてたまらない。


「愛美ちゃん」

 リビングから出て、用意された部屋に入ろうとしたとき、呼び止められて振り返る。

 そこには、眼鏡の奥の眼光が鋭く光る、蓮さんの姿があった。

「愛美ちゃん、この場所は、居心地が悪いかい?」

「えっ?」

 固まってしまったわたしは、その場で動けなくなる。

 蓮さんの質問に、どう答えたらわからなかった。

 どう言い訳すればいいのか、わからない。


「君はいつも、僕たちから逃げるようにしているよね?」


 その質問にも答えられず、場は沈黙が支配する。

 だけど、不穏な空気をすぐに察したのか、蓮さんが柔らかい笑みをつくって、わたしに優しく語りかける。


「ごめん。これじゃ、愛美ちゃんを責めているように聞こえちゃうね? だけど、勘違いしないでね? 僕は、それが悪いことじゃないって言いにきたんだ。誰だって、知られたくないことはあると思うから」

 だけどね、と、蓮さんは話を続ける。


「もしも、愛美ちゃんがいつか、僕たちに、この家に来た本当の理由を教えてくれる日が来たら、僕は……僕たちは全力で、君の力になるから。それだけはちゃんと伝えたかったんだ」


 そう言って、蓮さんは、わたしの横を通り過ぎ、自分の部屋へと戻っていった。

 わたしは、ただただ動揺するしかなかった。

 それと同時に、今まで感じたことがない感情に支配される。


 僕たちが力になる、だって?

 何も知らないくせに、簡単にそんなこと言うな。

 わたしが、わたしがどんな思いで生きてきたのか、知らないくせに。


「…………ははっ。何ムキになってるんだろ、わたし」

 わたしは、すぐに自分の頭を冷やして冷静になる。

 そして、同時に今度は焦りのような感情が流れてくる。

 蓮さんは、『本当の理由』と告げた。

 つまり、わたしの嘘が、ばれている。

 どうだろう。その嘘に気付いているのは、蓮さんだけなのだろうか?

 それとも、由吉さんをはじめ、近江一家はみんな、わたしの嘘に気付いているのだろうか……。


 わからない。

 わからないけど、確認なんて、とてもできなかった。

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