第10話 昼下がりの密談

「あのっ、遠野さん……」

 だが、わたしの悲劇は終わらなかった。

 なんと、倉敷さんは、昼食を摂ろうとしたわたしのところにやって来たのだ。

「ご飯……一緒に食べない?」

 呆然とするわたしをよそに、彼女は自分で持ってきたお弁当を掲げて、そんな提案をしてきた。


 これはマズいな。

 直感的に、そう思った。


 ここでわたしが、倉敷さんを拒絶したら、間違いなくクラスメイトの目に映ってしまう。人の少なかった朝の教室とは状況が違うのだ。

 もし断れば、わたしの評判を悪くなるかもしれない。

 だから、今のわたしは朝とは違って拒否が存在しない。もしかして、この子はそんなことまで計算して、話しかけてきたのだろうか?


 いや、それはさすがに考えすぎかと頭を悩ませていると、わたしが一向に口を開かないことを不審に思ったのか、倉敷さんは慌てて、こんなことを付け足した。

「えっと、一旦、外に行ってみない?」

「外……?」

「うん、そっちのほうが遠野さんもいいかなって思って……」

 倉敷さんの提案は、わたしにとっても価値がある交渉内容だった。

 この宿木中学校は昼食を教室で摂る生徒が半分くらいで、残りは外に出掛けて食べていることが多い。

 というわけで、ここでわたしが倉敷さんと教室を出ても、不自然ではないはずだ。

 それに、周りの目を気にせずに話すことができる、絶好の機会だ。


「うん、わかった」

 素っ気ない返事だったはずなのに、倉敷さんは頬を緩ませてにこっと微笑んだ。

 昨日は気づかなかったけど、可愛らしい笑顔をする子だな、なんて思ったりもした。

 目立たないタイプだけど、それなりに愛嬌があって周りからも好かれそうだ。

 あとは、自分が自分のことをどう思っているかによって、相手からも見方が変わってくると思う。

 なんて、わたしが言うには些か皮肉めいている台詞は最後まで口に出すことはなく、二人で並んで校舎の廊下を歩く。

 そして、久瑠実さんが作ってくれたお弁当を持ちながらやって来たのは、体育倉庫の横にちょこんと設置されていたベンチだった。

 どうしてこんなところに三人掛けのベンチが設置されているのかは不明だったが、わたしにとって幸運なことに、人が近づいてくるような気配がない場所だった。


「ここね、人目につかないから、わたしのお気に入りなんだ。本を読んだりするときに、落ち着けるから」

 ベンチにハンカチを敷きながら(わたしの分も合わせて二枚敷いていた)そんなことを言う倉敷さん。

 だけど、わたしはそのベンチに鎮座する前に、どうしても、倉敷さんに伝えなくてはいけないことがあった。


 一対一なら、猫を被る必要もない。


「あのさ、わたしに関わろうとするの、やめてもらえないかな?」

 今度は、きっぱりとした、拒絶の言葉を口にする。


 すると、自然と、今まで溜めてあった感情が、次々と吐きだされた。

「わたし、誰かと慣れあうとか、そういうの無理だから。あんたは、昨日のことでわたしに恩義を感じているのかどうか知らないけれど、わたしにとってはすっごい迷惑なの。それに、さっきもいったけど、あなたを助けようとしたのは、わたしじゃなくて隣に居た子。学年は違うけど、あの子なら、あなたのお望み通りの関係を築けるんじゃない?」

 本来のわたしの姿をみて、倉敷さんは分かりやすいくらい目を見開いてこちらを見ていた。


 少し、やりすぎてしまっただろうか?

 いや、今さらそんなことを気にする必要もないか……。

 早口で言いたいことを遠慮なく告げたわたしは、もうここに用はないとばかりに踵を返そうとした。


 ――だけど、わたしの足は止まる。


 何故なら、わたしの制服を頼りなく、倉敷さんが握ったからだ。

「それでも……それでも、わたしは、あなたに助けてもらったの。だから、せめて、せめてこれだけは、ちゃんと言わせて」

 ――ありがとう、遠野さん。

 彼女は、小さな声でそう呟いた。


 やめてよ……。

 そういうのだけは、本当に駄目なんだってば……。


 わたしは、耐えきれなくなって、振り返る。

 倉敷さんは涙を流しながら、笑顔で、わたしのほうを見つめていた。


 ああ、どうしてわたしは、いつもこうなんだろう。

 自分の人生が、全然思い通りにならない。

 わたしは、ただ自由になりたいだけなのに。

 どうして、世界はわたしと関わろうとするのだろう?


「…………ご飯だけ」

「えっ?」

 わたしは、ぶっきら棒に告げた。

「ご飯だけ付き合ってあげる」

 わたしは、これ以上倉敷さんの表情を見るのが嫌で、乱暴にベンチに腰掛けて、持っていたお弁当箱を広げることにした。


「うっ、うん!」

 そんなわたしの行動に、どうしてそこまで嬉しそうにできるのか理解に苦しむ。

 一体、どうしてこの子はわたしに拘るのか。

 そんなことを一瞬だけ考えたが、すぐに結論に至ってしまう。

 いやいや、そんなこと、分かりきっていることじゃないか。

 彼女が窮地に立たされていたときに、たまたま助けたのがわたしだっただけの話。


 だから、これは只の、タイミングの問題だ。

 彼女は別に、わたしじゃなくても良かった。

 わたしの代わりなんて、いくらでも、存在する。


「あのさ、これは本当にお願いなんだけど、恩義っていうのか、義理? みたいなのは、感じなくていいから」

 しつこいくらいに、わたしは倉敷さんに同じようなことを言う。先ほどの早口でいった悪態じゃなくて、今回はかなりオブラートに包んでいるけれど。

 しかし、それでも冷たい言動に聞こえてしまったのか、倉敷さんはそのまま俯いてしまったので、わたしは久瑠実さんが用意してくれた彩が鮮やかなお弁当を食べ始めることにした。

 栄養バランスの取れた、かなりレベルの高いお弁当。かなり辛口で評価するならば、量がわたしのような小食な人間にとっては多いと感じてしまうくらいだろう。

 そういえば、手作りのお弁当なんて近江家に来るまでずっと食べていなかったな、とか考えていると、遠慮気味に倉敷さんが口を開いた。


「ごめんね。こんなこと、遠野さんに言うのは失礼かもしれないけど、わたし、遠野さんを初めて見たとき、わたしにそっくりだなって……思ったんだ」

 わたしは、動かしていた箸をぴたっと止めた。

 わたしに、似ている……だって?

「さっき、『誰とも関わりたくない』って言ったよね? それは、私も考えていることっていうか、思っていることっていうか……そういうこと、考えちゃうことがあるんだ。あっ、でも遠野さんは違ったの。なんかね、この人となら、こんな私でも仲良くできるんじゃないかなって思ったんだ……」


 えへへ、と照れたような声を上げる倉敷さん。

「私ってね、なんだろう……。上手く言えないんだけど、面倒事を押し付けられることが多いんだ」

「面倒事……ねぇ。具体的には?」

 気が付けば、いつの間にかわたしは倉敷さんの話に、興味を持ち始めていた。

 もしかしたら、わたしと似ていると言った彼女が、どんな人間なのかを知りたくなったのかもしれない。

「えっと、一年生のころは、学級委員長をやらされたの。もちろん他薦だけどね。それで、今もあのクラスの学級委員長をやらされているの」

『やらされている』という言葉のニュアンスから、彼女の気苦労が伝わってきた。

 というか、この子、クラスの学級委員長だったのか。人を見た目で判断してはいけないって言うけれど、倉敷さんに人を牽引する力は備わっているようには、とても見えなかった。実際、彼女自身もそのことは自分で分かっているようだけど。

 おそらく、他薦というよりは『こいつなら断ることはないだろう』くらいの、多数決というよりは削除式の採決がとられたのだろう。

 自分はなりたくないけれど、誰になっても文句はいわないという、一般的な考え方だ。

 だけど、残念ながらわたしはそんな倉敷さんを慰めるような台詞は言わずに、逆に彼女を責めるような口調で、言い放った。


「ちゃんと断らないあんたが悪いんじゃない?」

「あははー、厳しいなぁ。遠野さんは」

 しかし、わたしのそんな台詞に対して、倉敷さんは気まずそうに笑うだけだった。

 どうやら、自分の非は自覚しているらしい。

 わたしは、そういう人間が嫌いじゃない。


「もしかして、遠野さんって、『いじめっていうのは、いじめられる人間に問題がある』って考えているタイプ?」

「そんなわけないでしょ」

 咄嗟だったから、口調が荒っぽくなってしまったけれど(もう随分と前に彼女には自分の『正体』を見せているので今更感は否めないが)、さすがにわたしでさえ、そこまでの極論を持ち合わせちゃあいない。

 いじめっていうのは、いじめる奴が悪い。

 たとえそれは、どんな理由があっても、だ。

 あいつらは、自分の正当性を他人に押し付ける愚か者どもで、唯一わたしが、家族以外で自分より下のヒエラルキーに位置する人間だと思っている。


「そっか。でも私はね、いじめられる人にも、責任がないわけじゃあないと、思っているんだ」

 しかし、倉敷さんには珍しく、自分の意見の主張を続ける。ネットで発言すれば炎上間違いなしの思想だが、彼女にとってはそれが真実なのだろう。

 それはまるで、自分を断罪しているような発言だった。

 その理由も、わたしじゃなくても気付く人間は多いだろう。

 念のため、答え合わせをするためにわたしは倉敷さんに聞いてみた。


「あんた、いじめられてるの?」

「うーん、どうだろう。掃除を一人でするように押し付けられるのって、いじめなのかな?」

 だから、そんなことわたしに聞かれても困るんだって。

 ただ、いじめって、当事者がいじめだって思ったら、それはいじめになるとか、教育委員会の偉い人が言っているのをテレビで聞いたことがある。

 そのケースを当てはめるのだとしたら、答えは倉敷さんにしか分からないということになる。

「なるほど、じゃあ、さっきも遠野さんが言ってくれたけど、断らない私も悪いわけだから、いじめじゃないね」

 その旨を伝えてあげると、倉敷さんは自分で結論をつけたようだった。

「でも、やっぱり私の考えた通り、遠野さんって、わたしと似ている気がするよ」

 いや、だからどうしてそうなる?

 自分の状況を自分で結論づけるのはどうぞ勝手にやってくださいという感じだが、わたしを巻き込まないでほしい。

 しかし、それ以上に彼女は突拍子もない提案をしてきた。


「あのさ遠野さん、やっぱり私たち、友達になれないかな?」

「……は?」

 この子、とんでもないこと言わなかったか?

「友達って、あの友達?」

「うん。教室でおしゃべりしたり、お弁当を食べたりする、あの友達」

 ほかにどんな友達があるの? と無邪気に笑う倉敷さん。いやまぁ、わたしも他のトモダチっていったら、昔テレビでやっていた映画の登場人物しか思いつかないけどさ。

 えっと、あれって漫画が原作なんだっけ? そういう知識が疎いのではっきりしたことは憶えていない。

 そんなことはともかく、まさか暗喩的に倉敷さんが『一緒に世界を支配しようぜ!』なんて言っているなんて考えたわけじゃないことくらいはわたしにでも分かる。

 しかし、友達って……。


「嫌だよ。面倒くさい」

 それこそ、わたしはここで、きっぱりと断った。

 これ以上、わたしを困らせるようなことはしないでほしい。


 ――お願いだから、わたしと関わろうとしないで。


「でも、私は遠野さんと、友達になりたい」

 だが、倉敷さんは一向に引き下がってくれる気配がない。わたしをこの場所に連れてきた時と一緒だ。

 えっと、こういうときは、何て表現すればいいんだっけ。

 すっぽんみたいに、しつこい奴だ。と、言えばいいのだろうか?

 ……なんだか違う気がするが、それこそわたしの心境は、すっぽんに噛みつかれたような感覚だった。

「わたしと友達になってもいいことないって。やめときなって」

 だから、わたしは彼女を拒否する言葉を言い続けるしか抵抗の手段を持っていなかった。

「そう……」

 わたしの説得が功を奏したのか、倉敷さんが若干引き下がってくれたように見える。

 この辺が潮時だ。

 そう思ったわたしは、まだ途中だったお弁当のふたを閉めて退場しようとしたところで、


「じゃ、友達のフリでいいよ!」


 という、一種の妥協案を、倉敷さんが提案してきた。


「フリ?」

「うん、友達のフリ。お弁当を食べたり、クラスで話したりするけど、本当の友達じゃなくて……その、なんていうのかな。お互い干渉しないっていうか、必要なときだけ、友達でいるの。それなら、遠野さんにもメリットがあるよ。私一人さえ友達をつくれば、あとは友達を作らなくても、不自然じゃないっていうか……」

 自分で言ったのに、倉敷さんは上手くわたしに説明できないようだった。

 しかし、わたしは倉敷さんが言わんとしていることが理解できた。

 そして、この提案は、倉敷さんのいう通り、わたしにもメリットのある話なのは理解できた。


 つまり、利害関係の一致。


 わたしは確かに、誰とも仲良くなりたくはないと思っているが、誰かと仲違いになりたいとは思っていない。

 そして、クラスという団体行動を重んじる空間では、個人でいるというのはとても危険で、標的にされやすい。

 ちょっとしたきっかけで、群れになって一人を攻撃し始める連中が現れる。

 残念ながら、前の学校のわたしは失敗して、いじめられはしなかったものの、明らかに『クラスに馴染めない可哀想な奴』というレッテルを貼られてしまっていた。

 問題になるようなことは起きなかったけれど、学校での居心地は決して良かったとはいえない環境で過ごしていたのは確かだ。

 だから、この学校では、せめてクラスメイト達から、普通の人間だと見られるように努力しようとしたのだが……。


 ふむ。

 これは、ひょっとしたら利用できるかもしれない。


 昨日のたった一日だけで、愛想を振りまくことに、くたびれていたところだ。

 それならば、こうしてわたしの正体を知ってしまった彼女と行動したほうが、得策なのではないか?


「……フリでいいんだよね? 本当の、友達じゃなくて?」

「うっ、うん!」

 私の返答をきいて、嬉しそうにする倉敷さん。


 仕方がない。

 現状では、彼女の口車に乗せられたほうが賢明だと判断した。

「……わかった。その代わり、さっきも自分で言ってたけど、お互いのことは詮索しないし干渉もしない。ただ、周りに仲良く見られるように振舞うだけ……これでいいの?」

 契約内容を口上で説明すると、倉敷さんは真剣な表情になって、コクンッと頷いた。


「じゃ、なってあげるよ。都合のいい友達ってやつにね」

 こうして、わたしに、仮初めの友達ができたのだった。


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