第1章 はじめまして

第2話 待ち合わせ

 GWが終わりを迎えた五月半ば。


 電車に揺られること約二時間、わたしは目的の駅へと到着していた。

 都会から離れたこの街は、駅が街の中心部となっているようで、それなりの人の密集度でごった返していた。


 ――今日からわたしは、この街で暮らすのか。


 そう思うと、ロケーションでも行っておこうかと思う気持ちもあるのだけれど、迷子になってこの場所に戻ってこれなくなっても仕方がない。

 それに、これから迎えに来てくれる人に、いきなり迷惑をかけてもいけないだろう。

 珍しく……本当に珍しく、わたしが他人を慮る行動を取っているというのに……。


「…………こない」


 かれこれ一時間、わたしは改札口の前の広場で呆然と立ち尽くしていた。

 あまり荷物を入れていないはずのリュックサックを背負っていることすら、しんどくなってきた。


 もしかして、わたし、だまされた?

 そんな単語がさっきから何度も頭によぎっている。


 そもそも、おかしいと思っていたのだ。

 まだ中学生のわたしを、居候させてくれる大人が本当にいるなんて。

 わたしは、自分に悪態をつきながらあの日のことを思い出していた。


 たまたま家で見つけた、親戚の名前と電話番号、住所が書かれたノート。

 名前の横には、殴り書きのように『×』と書かれていたから、きっとお金を借りようして、親戚中に連絡を取っていたのだろう。

 わたしにとっては、嫌いな両親のことがますます嫌いになる要因の一つにしかならないものだった。

 だけどわたしは、そのノートを見て、一つの決断をした。


 今から思えば、無謀と言うか、突拍子な考えだったと思う。

 あろうことか、わたしは一通りそのノートに書かれた名前と住所をメモして、片っ端から手紙を送ったのだ。

 そのノートには、電話番号も書かれていたけれど、いきなり電話をするのはさすがにハードルが高すぎるし、文章ならば、いくらかわたしの話の内容に真剣さが伝わってきそうな気がするんじゃないかという安易な考えもあったのは事実だ。


 そして、手紙の内容は、一度、父親と母親と離れて暮らしてみたい、というものにした。ただし、中身はわたしからは想像もできないような、至って積極的というかポジティブなものだった。

 高校生になったら海外にホームステイしたいので、その練習として(今から考えればこれはこれで失礼な言いかただったかもしれない)他の家で生活をしてみたいという旨を手紙に書き記したのだ。


 もちろん、海外にホームステイしたいなんて全然これっぽっちも思っちゃあいない。


 ただ、わたしはあの場所から逃げ出したかった。

 自分の家族が暮らす家から一秒でも早く離れたかった。


 だが、こんなのはたから聞けば頭の悪い話だったし……うん、何の考えもない中学生らしい、馬鹿な計画だったと思う。


 でも、たった一通だけ返事があった。


 数日後、『近江おうみ由吉ゆきち』なる人物から、手紙が届いたのだ。

 しかも返信の内容は『それなら是非、うちに来なさい』という了承と受け取れるようなものだった。


 驚いた、なんてものじゃない。


 やっとわたしは、解放されるんだ。


 思わず、そんな言葉を叫びそうになりそうだった。


 念のため、わたしは手紙を返してくれた近江さんという人を、もう一度ちゃんと調べてみることにした。

 といっても、人物像を調べる要素なんて、両親が残したメモしか存在しない。

 だが、何もないよりはマシだと自分を納得させて、その人物像を洗い出してみた。


 その結果、『近江由吉』という人物はノートの名前の横に、唯一『○』という記号と、中学生から見ればおよそ想像できない大金の数字が記されてあったことが後になって分かった。


 どうやら、相当のお人よしか、ただの馬鹿のどちらかに分類できる人間のようだ。


 それから、『近江由吉』なる人物は、わたしのお父さんとお母さんに連絡をとって、わたしを預かることが正式に決定するまでの手続きも全部請け負ってくれた。

 もちろん、お父さんもお母さんから、反論なんて何もない。

 わたしが親戚に手紙を送っていたことも、何も言われなかった。


 もう、わたしのことなんて存在していないように扱われていたことに気付く。


 だけど、それを悲しいと思わないくらいには、わたしはもう可笑しくなってしまっているのだろう。

 わたしは、最後に顔を合わせた両親には何も言葉を残すことなく立ち去ってきた。


 あの人たちは、わたしなんて、いてもいなくても一緒なのだ。

 むしろ、厄介者を引き取ってくれて、ありがたいなんて思ってたりして。


 そんな経緯があり、結果、ほとんどわたしは何もせずに、あの家から出て行くことになったのだ。


 ――それなのに、結果がこの有様だ。

 やはり、わたしを迎えにくる人間など、この世には存在しないらしい。


 いやいや、何を他人に罪をなすりつけるような発言をしているのだ?

 誰かを信じた、わたしが悪かった。


 よし、あと十分待ってこなかったら、このまま海外に高飛びしよう。

 パスポートも持っていないわたしが、そんな突拍子もないことを考えたところで、人混みをかき分けてこちらに向かってくる人物が目に入った。


「わああああ! すいません、すいません! 急いでるんです! 道あけてください!」 


 白いカッターシャツに薄茶色のジーンズ。ところどころ剃り残しの髭を生やした中年男性がこちらに近づいてくる。


「あっ!」

 そして、リュックサックを背負った私の顔を見ると、頬を緩ませて手を振りながら小走りでわたしの目の前までやってきた。


「君! 遠野とおの愛美まなみちゃんでしょ?」

 そして、その男の人がわたしの名前を呼んだ。


「……ええ、そうですけど」

 無愛想な返事をしたわたしだったけれど、その人は両手を合わせて頭を垂れた。


「ごめんね! 渋滞に引っかかっちゃって迎えにくるのが遅れちゃったんだ! 待たせちゃったよね、愛美ちゃん?」

「……ああ、いえ、気にしないでください。さっき来たばかりなんで」

 とりあえず落ち着いてもらうためにそう言ったけど、考えてみれば、私まで「さっき来た」のなら、それはそれで問題だ。これではわたしも一時間遅刻したことになってしまうではないか。


 しかし、中年の男性はそのことに気がつかなかったのか「そっか! よかったー」と安堵の表情を浮かべた。

「愛美ちゃん。遠いところからよく来たね。今日から君の住む家の主の近江おううみ由吉ゆきちです。おっと、名前が『ゆきち』だからって、お金を持ってるって思わないでくれよ。毎月お小遣い制の厳しいサラリーマンなんだから! はーはっはっはっ…………」

 駅のホームに中年男性の笑い声が木霊して、改札に向かう人たちが怪訝な目を彼に向けていた。


 もちろんわたしも例外なくその一人だった。

 彼もその様子に気づいたのか、調子よく笑っていた声がしだいに小さくなり、表情をひきつらせ始めると、急いでポケットから携帯を取り出してどこかに電話し始めた。


「……あっ、もしもし久瑠実くるみさん? どうしよう、僕の鉄板ギャグが愛美ちゃんに全然通じなかったよ! えっ、そんなことでわざわざ電話してこないで、って? うん、うん、それはほら……渋滞とか色々あって、愛美ちゃんも怒ってないみたいだし……わかった、それじゃ、愛美ちゃんと一緒に帰るね」

 電話口にそう告げた後、もう一度頭を下げてきた。


「ごめんね愛美ちゃん。このギャグ結構ウケるんだけど……中学生からしたらセンスがなかったのかな?」


 あっ、あれはギャグだったんだ。

 気づいてあげられなくて、申し訳ないことをしてしまった。

 まぁ、面白くても笑顔のつくれないわたしは、どっちみち場の空気を乱してしまっていたことだろうけれど。


「迎えが遅れちゃったお詫びってわけじゃないんだけど、駅前に美味しいクレープ屋さんがあるってこの前、ゆうが教えてくれたんだ。愛美ちゃんにごちそうするよ」


 と、私の返答を聞く前に、彼は私の手を握って先導してくれた。


 久々に握られた手の感触は、温かくて、わたしよりもずっと大きな手だった。

 でも、それをわたしは、まるで異世界人と触れ合ったような、そんな気持ち悪さを感じてしまったのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る