第15話

 静けさを破るようにぱたんっと本を閉じる音がして、横を見ると花穂ちゃんと目が合った。

 まるでそれを待っていたかのように彼女は口を開く。


「良かったらお昼一緒にどうですか?」


 集中していて気にしていなかったが、スマートフォンの画面には十一時四十分と表示されていた。一時間近くもここに居たということだ。


「俺もそろそろお昼ご飯食べようと思ってた頃だからありがたい誘いだけど、沙智ちゃんも来るんでしょ?いいの?」

「沙智なら良いって即答すると思いますよ。あの子も友達の彼氏のことが気になるタイプですから。根掘り葉掘りいろんなこと聞かれるかもしれませんけど。」


 そう言って彼女はまた微笑む。

 今日はよく笑う。

 こうして二人で話していると見た目通り、穏やかな女の子だ。

 数回しか会ったことがないが、いつも楓とのことを揶揄われたりしていたので少し苦手だった。そんな印象が変わっていく。


「覚悟しておくよ。」

「本当に困ったら私も助けてあげますから。じゃあ、そろそろ行きましょう。五十分に門前で待ち合わせなので。」


 あまり広げていない荷物を片付け、席を立つ。

 俺よりも先に準備を終えていた花穂ちゃんとともに、普段は使わないエレベーターを待つ。

 こうして並んでみると思っていたよりも彼女の身長が高いことに気が付く。

 いつも隣にいる楓が女性の平均くらいだと言っていたが、ヒールのある靴を履いているとはいえ、楓よりも10cm近く高い気がする。


「そんなに見られると恥ずかしいですし、楓ちゃんに浮気認定されちゃいますよ。」

「ごめん、ごめん。じっと見てるつもりはなかったんだけどさ。楓より背が高いなと思ってさ。」

「そんなこと言ったら私よりも沙智の方が背は高いですよ。私は3cmのヒール履いてこれですけど、沙智はヒールなしで今日の私よりも高いですよ。」


 エレベーターに乗り込みながら沙智ちゃんのことを思い出そうとしたが、彼女の背が高いという印象はなかった。

 一緒に居ても二人よりも恋人の方を意識しているからかもしれないと思って一人で嬉しい気持ちになる。


「楓ちゃんみたいに細くて小柄な女の子が好みですか?」

「それはどう答えても俺の負けだからノーコメントで。」

「沙智がいないうちに答えた方が良いかもしれませんよ。」

「今答えても沙智ちゃんにも言われそうだから止めておくよ。」


 追求から逃げるようにエレベーターを降りる。先に降りたのは花穂ちゃんだが。

 彼女の半歩後ろに続いて歩く。歩く間にそれは逆転していて、俺の方が前にいた。



「良いよ。むしろ歓迎。」


 既に門前にいた沙智ちゃんは二つ返事でそう答えた。

 いくつかのブロックに区切られたこの大学にはそれぞれに正門や裏門、通用口が存在するが、彼女が待っていたのは教養地区の正門前だった。

 夏が近づいてこそいるが、春の延長線上にある柔らかな日差しなので二人とも日傘はさしていなかった。


「ほら、言った通りでしょ。」

「なら遠慮なくご一緒させてもらうよ。」

「私たちは良いけど、楓には言ったの?後で恨み言言われるのは渚君じゃなくて、私たちだと思うから一応連絡しておいてもらえた方がありがたいんだけど。」

「あっ。そう言えば何も伝えてないや。」


 そもそもこうやって会っている段階で一言二言言われそうだが、一緒に食事をしたとなれば彼女の機嫌を損ねることは確実だ。

 ズボンのポケットからスマートフォンを取りだし、恋人にメッセージを送る。


『大学で沙智ちゃんと花穂ちゃんとの二人に会って、昼ご飯一緒に食べることになった。』


 今の時間はまだ働いている最中であろうからすぐには返事が返ってこない。

 それでも楓にきちんと報告をしたというだけで少し安心する。


「楓ちゃんへの連絡完了ですか?」

「大丈夫……とは言い切れないかな。俺は何か言われるだろうな。」

「相変わらず嫉妬深いよね、楓は。」

「それだけ渚さんが愛されてるってことじゃないですか?心配になって束縛してしまうみたいな。」

「そう言われがちだけど、俺自身は束縛されてるとはあまり感じてないんだけどね。」


 歩き出した沙智ちゃんについて行くようにしてどこかへ向かう。

 この二人の間では行く店はもう決まっていたのかもしれない。

 学校が休みの間は学食も開いていないため、付近の店に行くしか選択肢はないだが、大学と住宅街しかないこの辺りでは学生をターゲットにした飲食店は大学の休みに休んでいることも少なくない。

 一人ならコンビニでテキトーに買って済まそうと考えていたので、彼女たちがどの店に行こうとしてようとも口を出す気はないし、道理もない。


 土日に比べて長期休暇の間は活動しているサークルも少ないのか駅の方へと向かっている間も人の姿は多くなかった。

 何人か同じサークルの人とすれ違ったりもしたが、その中でも同回生の女の子から怪訝な目を向けられたのは恋人以外の女の子二人と歩いていたかと心配になった。意外と顔の広い楓の知り合いだったのかもしれない。



「何も聞かずに来ちゃったけど、渚君はここでよかった?」

「お邪魔させてもらってるんだから、気にしないで。それにここは前から気になってたし。」


 男だけで入るには勇気がいる落ち着いて小洒落た雰囲気の店内。お客さんも女性の方が多い。

 駅から大学とは逆の改札の方にある小さなイタリアンレストラン。

 ランチメニューが安くておいしいと前に聞いたことはあったが、来る機会には巡り会わずにいた。

 外見から想像していたよりは店内は広く、学生以外にも近隣の住人らしき人が何組かいたが、まだ席には余裕があった。


「私たちは前に一度楓ちゃんと来てるんですけど、今度、二人で来たみるのも良いんじゃないですか?また来たいって言ってましたし。」

「普段だと割と混んでるから少し早く来るか、三限目始まってから来た方がいいよ。」


 俺の前に沙智ちゃん、その横に花穂ちゃんが座り、いつもなら楓が座る俺の隣は空席だった。

 ランチメニューと日本語とイタリア語で書かれた紙を見ながら悩んだ末、三人とも別のパスタを注文する。


「それで、楓とは最近どうなん?」

「どうと言われても良好な関係を築いてるよ。」

「普通の返答やね。」

「友達が上手く行ってるってのはいいことじゃない。沙智は今彼氏いなくて二人が羨ましくて仕方ないだけだから、気にしないで。」


 予想はしていたとはいえ、話題はやはり楓とのことだ。

 出された水が仄かにレモンの風味を感じるものだったことに驚きながらも、当たり障りのない答えを返す。


「だって、楓の話聞いてると青春だなって感じて羨ましくもなるよ。」

「青春って呼べるほど青くもないけどさ。もう大学生だし、落ち着いてきてるからさ。」

「高校生の頃の話とかも惚気話聞かされるけど、楓って本当に渚君のこと好きだよね。」

「デートした次の日とか見るからに幸せそうですもんね。」


 二人してどう取っていいかわからない笑みを見せる。

 自分の知らない所でどんな話をされているのかが気になったが、俺が恥ずかしくなるだけだと思ったので深く突っ込まないでいた。


「そういえば、楓ちゃんとは昔からそういう感じなんですか?」

「どういう?」

「なんというか束縛というか、連絡を徹底しているというか。」

「そうそう。さっきも言ったかもしれないけど嫉妬深さが過ぎるというか。この前だって渚君が私のこと名前で呼んだだけ不機嫌そうにしてたしさ。愛が重いっているのかな。渚君ンもしんどかったら私たちに相談してくれてもいいよ。」


 花穂ちゃんが言葉を選びながら、言いづらそうにしているのを沙智ちゃんが拾う。

 前から二人が気にしていたことなのだろう。


「大丈夫。それが俺たちのルールだから。」

「ルール?」

「二人で確認したものも暗黙の内に決まっているものもあるけど、二人で上手くやっていくためのルールが俺たちの間にはあってさ。別に細かく決まっていてガチガチに縛っているわけでもなくて、大雑把に言えばお互いが幸せであるための行動を心掛けるってとこかな。」


 よくわからないというのが二人の表情からは見て取れる。

 他人の理解を求めているわけではないが、心配をかけるわけにもいかないので補足をする。


「相手が安心してくれるなら、誰とどこに行くとか全部言った方が良くない?わざわざ隠して相手を不安にさせるなんて良いことではないからさ。別にどこにいるとか誰と話したとか四六時中監視しようってつもりは楓にもなくてさ、聞かれたら答えるし、嘘もつかない。それがお互いの幸せに繋がるならそれでいい。俺は楓が幸せならそれでいい。楓も俺が幸せならそれでいい。なら、どちらかが幸せでなくなることをする必要はない。だから、俺は楓を重いと感じたことはないし、彼女に束縛されているという考えもない。心配してくれているのは嬉しいけど、俺たちにとっては普通なんだ。」

「でも、それは――」

「二人がそれでいいならいいんじゃないかな。私だって花穂だって口をはさむ権利も何もないわけだしさ。ただ、少し楓のことが心配になっちゃうときがあるからさ。でも、二人幸せそうだからいいんじゃないかな。」


 気まずさにも似た重たい空気が流れる。

 価値観など皆違う。

 俺たちの話をするとこういった雰囲気になるのは仕方のないことだ。


「あっ、思い出した。今度誰か良い人紹介してくれるって話やったよね?覚えてる?合コンとかは花穂が好きじゃないから、普通に食事行くだけでいいからさ。友達紹介してよ。できればフリーな人。それで浮気しなさそうな人。」


 話の流れを変えるようにわざと大げさな表情を取りながら、沙智ちゃんがこちらに身を乗り出す。

 何とも強引ではあるが、心の中でほっと溜息をついた。


「覚えてるけど、そんなに条件あったっけ?」

「条件は今考えました。」

「私は別に興味ないんですけど。」

「大学生と言えば恋愛でしょ。」


 いつの間にか重たさは消え、彼女たちらしい快活な会話が戻って来た。

 しかし、食事が運ばれてきた後も、大学へ引き返している道中も楓の絡む話は意図的に避けられていた。

 彼女たちの中に何か懸念が残っていることは去り際に見た二人の表情から伺えたが、彼女たちが何を心配しているのかはまだわからなかった。

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