第13話

 肌を重ねた後の安心感をなんと表そう。

 未だ引かない熱を抱え、コンドームの口を縛りながらそんなことを考える。

 ベッドの傍に備え付けられたごみ箱にそれを捨て、乱れた呼吸も整わないまま恋人と肌が触れ合うように布団に体を預けた。

 二人が寝られるように設計されたベッドでここまで距離を詰める理由など考える方が馬鹿らしい。


 待っていたかのように彼女の腕が俺の体に絡む。

 射精をきっかけに冷静になっていく頭で気怠さを押し込めながら、それに応えるために楓の頭を撫でる。

 ピロートークが大事だなんて誰に習ったかもわからないが、相手が満足してくれるなら間違えていないと思う。少なくとも俺たちの間では正解。


 彼女に触れていない腕で枕元の操作盤の傍に置いた水を取り、一口飲む。

 自覚が薄かったが身体は水分を求めていたようで、すぐにもう一口、二口と流し込んだ。


「楓もいる?」

「もらう。」


 体に触れる腕をゆっくりと離して、半分ほど減ったペットボトルを受け取り飲んだ。楓が飲み終わったことを確認して再び枕元へと戻す。

 部屋の薄暗さは行為を終えても変わらない。見えづらいことが二人の距離を近くに感じさせる。


「お風呂入れてくるから少し待ってて。」


 名残惜しそうに俺を掴む彼女の腕を優しくほどき、浴室に向かう。

 二人で入るには少し狭いであろうバスタブの栓が閉まっていることを確認して、蛇口をひねり湯を注ぐ。

 本当はこのまま身体を流してしまいたいと思ったが、恋人の待つベッドへと戻る。

 寝ころんだままスマートフォンを弄っていた楓だったが、俺に気が付いたの枕元にそれを置いて、布団に体を預けた。

 俺もその隣に再び戻る。

 冷えてしまった手を気にしながら、今度はこちらから彼女を抱きしめる。

 少し狭い部屋を選んだからか消し忘れた風呂場の光が俺たちをかすかに照らす。


「いつもありがとう。」


 そう言ってキスをする。

 我ながらわざとらしいと思いながらも彼女にそう伝える。


「好きだよ。」

「ありがとう。俺も大好き。」

「私だって大好きなんだから。」

「幸せ。渚が傍にいてくれるだけで、私は幸せになれる気がする。」

「俺もこうして楓と一緒に居ることが幸せだよ。」


 仲睦まじい恋人同士の会話。誰が聞いたってそう感じるだろう。

 子供が欲しいわけでもないのに何故セックスをするのかと聞かれたことがあったが、それはただ快楽のためだけではなく、この瞬間の幸福感のためかもしれない。

 信頼がなければ、こんな風に無防備な姿など晒すことはできないし、好きな相手出なければ裸など見せる気にもなれない。

 だからこそ、身体を重ねる度に相手が自分のことを好きでいてくれているのだと実感ができる。

 愛故の行為、お互いに愛し合うという行為。彼女はそう語っていた。


「この瞬間、本当に愛されてるって感じられる。嬉しい。」


 意地でも離れないと言わんばかりに覆いかぶさり、全身で俺を捉えたまま、楓が誰に言うでもなく呟く。

 彼女は最中よりも事後の方がいつも楽しそうだ。

 かろうじて拘束から逃れている左手で頭を撫でるとお返しとばかりにキスをされる。この口付けはきっと合図だ。

 求められているのだとわかりながらも、まだ準備の整わない身体、覚めたままの頭。


「今日は積極的だね。」


 時間稼ぎに普段なら口にしないことを言う。


「うーん。そうかな?」

「来た時だって、手を洗うよりも先にキスされたし、その後も押し倒されたしさ。それにしてる時もいつもより体触られた気がするし、キスも多かった。どうかしたの?」

「別に何でもないよ。ただの気分。」


 楓が柔らかく微笑む。

 何かを誤魔化している時の表情。


「本当に?」

「本当だよ。」

「何でもないならいいけど。」

「もしあるとしたら、さっき沙智と花穂に会ったからかな。」

「どうして?」


 予想のしていない回答に思わずそう口にしたが、困ったような表情が返って来た。


「気にしないで。私の問題だから。」


 彼女は言い淀むように数秒唸ったままだったが、もう一度笑って、そう告げた。

 その笑顔が隠したものが気になった。


「でも、楓がなにか――」

「渚、お風呂行こ。」


 踏み込んでほしくないとばかりに遮られた言葉をもう一度口にする気にはなれなかった。

 今は少なくとも楓の中だけに在る問題なのだと、俺にはまだ話すことができないと、そう主張された気がしたから。


 その時感じた違和感のようなものは二人で風呂に入っている間も、もう一度セックスをしている間も消えず、心に刺さったままだった。

 抱えさせてはいけないものを、気づいてあげないといけないものを放っているような感覚。

 思い過ごしであることを願いながら一糸まとわぬ恋人の隣で眠りについた。

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