蕾 ―兆し―
第10話
女性の美しさを花に喩えることは昔からよくある表現だ。
その美は初めから存在するものではなく、芽吹き、育ち、蕾を付け、そして花開くように次第に完成されていく。
咲いて初めてその蕾の中に秘められた綺麗な花弁を知ることがあるように、今までそこまで意識したことのない女性が目を惹くこともある。
彼女にとっては突然ではない。開花しつつあった蕾が開く一押しがあっただけだ。
何気ない動作から感じる色香、見慣れたはずの姿を眩く思う。
目を離した一時で花開いた。ただそれだけ。
きっかけは人によって異なるだろう。
それは恋かもしれない
恋する女性は美しいと言われるように、誰かに良く見られたいという思いが契機かもしれない。
思春期は特にそうだ。
惚れた腫れたが一大事で、自分の全てを投げ出してしまってもいいと思えるほどに、誰かを好きになる。今までの人生観を変えてしまえるだけの想いだ。蕾が開くには充分。
また、それは破瓜かもしれない。
女になる。男を知る。古今、様々な言葉で表され、記録される生命の営み。
経験し、何か変わってしまうことも不思議ではない。
いや、人によってはもっと小さな出来事がきっかけかもしれない。
開いた花の美しさは誰かを魅了するためのもの。
昆虫を誘い受粉の手伝いをさせるように、想いは誰かに向けられたもの。
それに誘われるは性。
しかし、美しい薔薇に棘があるように、迂闊に近づいてはいけないかもしれない。魅せられた先に在るものが幸福なのかはわからない。
その花の意味を図り間違えてはいけない。
四月も終わりに近づいてくると皆が新しい環境に少しずつ慣れ始め、あたりに漂っていたどこか浮ついた空気も落ち着いてくる。
俺たち大学生にとっては忙しい新歓時期が終わり始め、授業の雰囲気もつかんできて、今からようやく始まると言った感覚だった。
別れを惜しみ門出を祝う桜の花も散り、花粉から身を守るためにマスクをつける人が増え、温かさが少しずつ暑さへと顔を変え始めている。
車窓に流れる景色も出会いの季節が終わり始めていることを物語っているようだった。
「また何か考え事してたでしょ。」
混雑する電車の中、向かい合う形で立つ楓が言う。
高校の頃からできるだけ通学は一緒にするようにしていた。最寄り駅が違うので、同じ電車に乗る形で合わせており、今もそれは続けていた。
「いや、なんか春だなって。」
「ふーん。なんか誤魔化されてるきがするけど。まあ、今年も花見とせずに終わりかけてるけどね。もうそろそろゴールデンウィークだしさ。」
「もうそんな時期か。今年は忙しくてすぐ過ぎていったね。」
「本当だよ。デートもあまりいけなかったじゃん。」
「ゴールデンウィークこそデートしようね。それとも、どこか旅行でも行く?」
「今から旅行の計画立てても遅いでしょ。宿も新幹線とか飛行機もいっぱいだろうし。」
彼女のそういった提案は、その場の思い付きだけで発言されたものだ。
本当に行くつもりなら周到すぎるほど準備をするのが彼女だから。
それでも提案を否定されてか、少し不機嫌そうな表情をする。
何かを言おうと口を開く前に電車が次の駅に停車し、乗客が少し降り、少なくない人数が乗り込んでくる。
扉付近に立っていた俺たちは端により、楓を守るように近くに抱き寄せる。
距離が近づいたことで、楓の匂いがして鼓動が少しだけ早くなる。
「渚っていつも優しいよね。こういう時にさりげなく守ってくれるし、いつも車道側歩いてくれたりとか。そういうところグッとくる。」
「そうかな。彼女に優しいのは彼氏として当たり前じゃないの?それくらいの気遣いは普通だよ。」
「それでも嬉しいんだ。いつも大切にしてくれているのが。」
ふいに後ろから肩をたたかれる。
知り合いでもいたのかと振り返る前に声をかけられた。
「公共の場だというのにお熱いね。聞いててこっちが恥ずかしくなっちゃう。」
「いつからそこにおったん?」
「さっき少し移動したところ。見つけたのもう少し前やったけど、混んでるから声もかけづらかったし。」
斜め後ろにいるようで俺からはあまり見えないが、沙智ちゃんがいるようだった。
「そんなに恥ずかしい話してなかったでしょ?」
「いや、十分ラブラブさが溢れてたよ。三年付き合っててそれはなかなかやろ。」
「楓がこういうこと言うのは割とあることだけど、沙智ちゃんたちと話してる時はこんな感じじゃないの?」
「紹介してもらってからは惚気が多いけどね。でも、実際に二人が話してるの聞くのとはわけが違うやん。」
第三者にそう指摘されると恥ずかしくなるもので、助けを求めるように楓の方に目をやると不機嫌そうな顔が目に入る。
あからさまに機嫌が悪いというのではなく、これを放っておくとどんどん悪くなっていくパターン表情だ。
「どうしたの?」
気づいて声をかけるだけで少し表情は柔らかくなったが、まだ不機嫌そうなまま彼女は口を開く。
「前も思ったんだけど、なんで沙智のこと名前で呼ぶの?」
読み違えた。
既に機嫌が一番底に近いようだ。
悪いことをしたわけではないのに思わず謝りそうになるくらいに冷たい声で、追及すようにゆっくりと発された言葉が刺さる。
「別に深い理由はないよ。苗字知らないんだもん。」
弁明をしながら楓の頭を撫でる。
少しこちらをにらみ、「ふーん」とだけ言ってそっぽむく。
不満そうではあるが認めてくれたようだ。
「うわー。それはちょっと重すぎるよ、楓。それくらいで嫉妬するのはちょっとさ。名乗ってなった私も悪いかもしれないけど、愛が重すぎる女は嫌われるぞ。」
「うるさい。」
沙智ちゃんはニヤニヤとしながら楓を煽る。
「俺も聞かなかったら悪いんだけどね。よかったら苗字教えてくれない?」
「
「あまり聞かない苗字だね。」
「一度聞いたら忘れないでしょ。」
「改めて宜しく、百合園さん。」
苗字で呼んだだけなのに少し遠くなった気がする。
元から近い関係ではないが。
「沙智が嫌じゃないなら、沙智のこと名前で呼んでも良いよ。」
「だから重いって。彼女だからってそれ許可するって変だよ。まあ、私は名前で呼んでくれていいよ。私も渚君って呼ぶから。」
再び眉間にしわを寄せる楓を見て、沙智ちゃんは不敵な笑みを浮かべるのだった。
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