第6話
見慣れた部屋で目が覚める。楓の部屋だ。
白い天井、白い壁、二人で寝るには少し狭いベッド、部屋全体に漂う良い香り。間違いなく彼女の部屋だ。
いつもと違うのは楓が隣にいないこと。普段、家では俺より遅く起きることが多い彼女にしては珍しいことだった。
俺が寝すぎたのかと思い時計を確認するが、七時三五分。学校に行くのと同じような時間だ。
学校が始まって二週間。思っていたより楓と居られる時間が減ってしまっている。
そんな折に『今日、…家族いないの。』とあざとく誘われたら乗ってしまうのが健全で一般的な男というもので、昼過ぎに楓の家に行き、一緒にゲームをしたりして楽しんだあと、二人で買い物に行き、楓が夕食を作るのを手伝い、食後に一度セックスをした後、一緒に風呂に入った。その後は楓の部屋で話しながら寝てしまい今に至る。
楓と付き合う前の俺が想像していた通りの理想の恋人との過ごし方のうちの一つと同じではないか。
ベッドから下りて乱れたシーツを整える。
昨日、使用したままの布団は少し汚れている気がするので後で洗った方がいいかもしれない。昨晩が特段に激しかったということはないが、心なしか普段よりも乱れているように思う。
部屋の窓を開けてから洗面所に向かい、口をゆすぎ、顔を洗って目を覚ます。少し前まで朝に顔を洗うのは目を覚ますためだと思っていた。
階段を下りて一階に向かう。
当たり前だが、ここまで誰とも会わない。
楓は家に家族がいる時は泊めてくれないし、朝起きて家族がもう帰ってきているなんてことはないように家族の方も配慮してくれているようだ。さすがに、親も事後の娘など見たくないからだろう。一度だけ妹の椛ちゃんには事後に半裸で遭遇してしまったので階段を降りる時には気を付けてはいる。
我が家では姉にも妹にも最中を見られてしまったことがあるのだが、それはまた別の話だ。
家族のいない家で唯一、物音のする部屋へと向かう。
扉を開けるとダイニングのテーブルに楓が座っていて、トーストを食べている途中だった。
扉を開けた音に反応をしてパンを咥えたままこちらを振り返る。
「おはよう。俺より早いなんて珍しいね。」
咥えたパンを噛み切り、飲み込み終えたのちに楓は口を開く。
「おはよう。なんか早く目が覚めちゃってさ。昨日も割と早く寝ちゃったし。」
「確かに楓の家に泊まったにしては珍しく早く寝てしまったよね。いつも何だかんだと布団に入ってからも話してしまって寝れないことが多いのに。」
「お互い疲れてたのかな。」
楓は笑う。
何とも幸せそうな表情を見せる。
お互いに偽りがなく、無理をしていないからこそ見せる笑顔。
「朝ごはん用意しようか。もう、渚の分も作っておいてあるんだ。少し冷めてしまってるから温めるね。」
「いや、いいよ。味噌汁くらいは自分で温めるよ。卵焼きはそんなに冷めていなさそうだし。楓は自分の分食べておいて。」
俺はコンロに向かう。
我が家と異なり電磁調理器であるため、初めて見た時はよくわからなかったが、もう慣れてしまった。それだけ楓の家に来ているということだろう。
鍋のおかれたコンロのスイッチを押し、楓が作ってくれた味噌汁を温める。
「こうやって彼女に朝ごはんを作ってもらえるってとても幸せだなって思うよ。」
温まって来た味噌汁を椀によそいながら言う。
「ありがとう。私だってこうやって彼氏のためにご飯を作ることが幸せだから、それが渚の幸せでもあるなら嬉しいな。」
いつもこうやってお互いの愛を確認し続けている。
それをしないと繋ぎ止められないような脆い関係というわけではない。そうしていないと楓が不安そうに聞いてくるので、その前に愛を伝えているだけだ。
そのことを共通の知人に言ったら不思議がられたが、その後もこの行為は続けている。
「そういえばさ、家の人は何時くらいに帰ってくるの?」
席に着き、朝食を食べ始めながら楓に尋ねる。
「どうだろう。椛には今回はちょっと無理言って外泊してもらったから、昼前には帰ってくるんじゃないのかな?」
「椛ちゃんって家にいない時、どこに泊まってるの?まだ高校生だから下宿生の家に転がり込むってわけにもいかないだろうから、彼氏の家とか?」
楓に似て可愛らしい子だから、彼氏の一人や二人いてもおかしくないだろう。
「お姉ちゃんの家に泊まらせてもらってるの。あっ、お姉ちゃんって言っても本当のお姉ちゃんじゃなくて一つ上の従姉のお姉ちゃん。うちの法学部にいて、大学のあたりに下宿してて、渚のことも話してるから簡単に泊めてくれるの。というか、渚には一度紹介したことなかったかな。どちらかというとお姉ちゃんに彼氏自慢しに行っただけだったけど。」
そう言われて思い出す。名前は忘れてしまったが、髪が長い美人だったことは覚えている。楓の血縁はみな美しいのだろうか。
「それは確かに安全な宿だ。」
「まあ、姉としては一応心配だから、毎回お姉ちゃんには本当に椛が来ているか確認しているわけだけどね。今までウソだったことは一度もないよ。それに本人曰く、今まで彼氏いたことないらしいから。」
「あら、それは意外だな。椛ちゃんを放っておくなんて、世の中の男はどういう目をしてるんだろうな。」
「告白はされたことあるみたいだから放っとかれているわけじゃないとは思うよ。椛の身持ちが堅いってことだろうね。さすが私の妹。」
お味噌汁をすすりながら妙に誇らしげに語る。
「これで渚みたいな彼氏を連れてきてくれたら完璧なんだけどな。渚は私のだからあげられないけどさ、渚みたいな彼氏だと私としても安心だし。」
「信頼されてるのは嬉しいけど、姉妹だからって男の趣味が似るとは限らないだろう。」
「あぁ、確かにそうかも。テレビとか見てても椛とは俳優の趣味とか合わないもん。」
味噌汁のお椀を置き、楓は卵焼きに手を伸ばす。
「まあ、俳優の好みと実際の男の趣味ってのは違うもんなんじゃないかな。楓の好きな俳優だって俺には全く似てないし。」
「言われてみればそうかも。渚もおっぱいの大きなグラビアアイドルとか好きなのに実際に付き合ってるのは貧乳の私だし。」
卵焼きを口にしながらわざとらしく拗ねたトーンで話す。それを可愛らしく思いながら、俺も卵焼きに手を伸ばす。
「俺は楓のそういうところも全部ひっくるめて好きになったんだから、それとこれとは別の話じゃないかな。」
「その言い方、ごまかされてるような気がするけど。まあ、でもそうだね。それにしても、やっぱり椛には渚みたいな男の子と付き合ってほしいなって思うけどなぁ。きっと椛も渚のことはタイプだと思うんだよな。でも、妹と渚を巡っての争いなんて繰り広げたくはないよね。」
「俺としてもそんな漫画みたいに姉妹で一人の男を取り合うなんてことは起こってほしくないかな。楓と椛ちゃんに限ってそういうことはしないだろうけどさ。結局どっちかが不幸になるだけだろうから。」
「わからないよ。漫画みたいにハーレム築いちゃったりして。」
「漫画でもなかなかそんなことはないでしょ。ヒロインが何人かいても最終的に選ばれるのは一人だけじゃないかな。そうじゃないと物語としてしまりがないじゃん。」
卵焼きに醤油をかけながら口にする。
「確かに途中までハーレムみたいに見えても最後にはメインヒロイン一人とくっつくみたいなことが多いかもね。他のヒロイン可哀そうだけど。でもさ、事実は小説よりも奇なりなんてよく言うじゃん。」
「現実はそれを許してくれるほど甘くはないよ。楓だって俺を椛ちゃんと共有してくださいなんて言われたら嫌でしょ。」
楓の反応を見ながら卵焼きを口にする。
「確かにそれは嫌かな。いくら椛でも渚は譲れない。」
「そういう事だよ。男の都合のいいようにハーレムを築くようには世界は進まないし、誰もそれを許してはくれないんだって。」
朝食を食べ終え、流し台に食器を運びながら彼女は言う。
「渚もハーレム作りたいの?」
「そんなこと思ってないよ。一般論的な話。俺は楓だけで十分だし、楓以外の女の子に注ぐ愛情なんて持ちわせていないよ。」
最後の一口を口に運ぶ。
「ありがとう。信じてるよ。」
信じているという言葉は重いが確かだ。
「ご馳走様。」
俺も朝ごはんを食べ終わり、食器を流し台へと運ぶ。
まだ楓が流し台の近くにいるので、皿を置いて楓へと近づき後ろから抱きしめる。
特に何の意味を込めていたわけでもない。
楓も急に抱きしめられて驚いているようではあったが、嫌がっている様子はない。それどころか何かを期待するような目でこちらを振り返る。
おそらくキスを求めているのだろうが、ここで安易に応じるのは面白くなかったので代わりに胸を揉む。
「あっ。」
別にそういう気分ではないので軽くではあったが、まだ寝間着で下着も付けていない楓には思っていたより響いたようで色っぽい声が返ってくる。
「ごめん。そういうつもりでは――」
俺の腕が緩んだすきにこちら側へ向き直り、言い訳をし終わる前に楓がしびれを切らしてキスをしてきた。
それも最初に求めていたであろう軽いやつではなく、がっつり舌を絡めてくる。
「渚、朝からするのは良いけどさ、お皿片づけるまで待ってもらってお良いかな。それとするならせめて私の部屋でしよ。」
俺はそういう気分ではなかったが、楓の方はスイッチが入ってしまったようだ。
時計を確認すると八時になる手前である。
「待つのはいいけど、椛ちゃん大丈夫なの?ほら、朝には帰ってくるんでしょ。」
「大丈夫だって、帰る三十分前には連絡するように言ってるからさ。まだ少なくとも三十分はあるしさ。それに九時過ぎくらいにとはお願いしてるからきっと一時間はあるよ。」
そう言ってもう一度俺にキスをする。
失敗したなと思いながらも、こうなった彼女に逆らう事は出来ない。いつの間にか流されてしまう。
「じゃあ、テーブル片づけていこうか。」
「待って。やっぱり時間がもったいないから片付けは後にしようか。」
こう言い出した時には楓の中で完全にそういうモードに切り替えが終わっているようだ。
その証拠に接近の程度がどんどん増してきて、俺に体をこすりつける形になってきている。
「わかったよ。じゃあ、先にしようか。」
ここは楓の誘いに乗ってあげるのが彼氏としての務めだろう。
それに前にここで粘られて椛ちゃんに目撃されてしまったことがあるので、二度とそういう失敗をしないためにも。
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