第5話
髙橋楓は思う。
私は幸せの真っただ中にいるのだと。
素敵な恋人と一緒に行きたかった大学に通い、興味のあったサークルに入り、休みの日には恋人とデートをして過ごす。素敵な日常だ。
隣で寝ている愛しい人を見ながら改めて実感する。
それと同時に恐れる。
この幸せが壊れてしまうのではないかと。
渚に何の不満があるわけでもないし、仲が悪くなったとかそういうわけではない。
これは私の弱さゆえの不安だ。
彼女として彼に何かをしてあげられているだろうか。私といて彼は幸せなのだろうか。ずっとそんなことばかりが頭の中を駆け巡っている。
私にとって初めての恋人、彼にとっては二人目の恋人。何年たってもその事実は決して変わらない。
別に渚の元カノについて何かしらの心配をしているわけではない。
その元カノは私の友人で、今でも三人で遊びに行ったりはするがそれについては問題がない。少なくとも今はそうだ。
相手の側には他に経験があるという事はそれだけで私を苦しめる。
特に付き合った当初なんかは劣等感と呼ぶしかない感情を常に抱えて、激しい嫉妬を友人に対して向けていた。
あの子と渚がどこまで進んでいたかは今でも知らない。手をつないだだけにも思えるし、抱き合いはしたのかもしれない。もっと進んで、キスをしていたかもしれない。もしかしたら、早々にセックスをしていたのかもしれない。あの子はおっとりした印象に反してやり手であるのだから。
あの子と付き合っていた半年で渚はどこまですすんだのだろうか。そのことは今でも怖くて聞き出せていないし、渚も話題にしようとはしない。私と彼女を比べるような発言を一切しないのも渚の優しさだろう。
そんな過去のことを掘り返さず、私で上塗りしようと考えたのだ。
あの子よりも彼に尽くそうと、あの子よりも彼を楽しませようと、あの子よりも彼を愛そうと、あの子よりも彼に愛されたいと、そう強く思いなが日々、渚と過ごしていたことをよく覚えている。
元カノを超えなければならないという強い思いが、渚への依存を生み、渚を縛りつけてしまった。
あの子よりもスキンシップを取ろうと渚にくっつき、あの子よりも喜んでもらおうと渚を誘惑し、渚に満足してもらおうといろいろな知識も仕入れた。
それは失敗ではなかった。
上手くいったからこそ、今でも彼は私の隣にいてくれているのだ。
ただ、元カノという存在は向こうから何の発言も行動もなくても、「いた」というそれ自体で恐ろしいのだ。
それが今では元カノと別れたという事は私とも別れる可能性があることを示す材料として私を苦しめる。
どうして、渚は彼女を振ったのだろうか。彼女の何がいけなかったのだろうか。それと同じことを私はしていないだろうか。心配で仕方がない。
付き合始めたばかりの頃、元カノと同じ道を繰り返さないために別れた原因を渚に直接聞いたことはあるが、はぐらかされてしまった。その時の渚の表情が少し悲しいように見えたので、それ以上追及をすることはなかった。
今まで渚と過ごしてい受ける感覚、そして、元カノの友人としての印象からすると、どちらかに明確な非があったということではないのだろう。
渚が何か悪いことをしたとか、あのゆるふわ系が頭までゆるふわでなければ浮気をしたとかそういうことではないだろう。そうであるならば、たまにとはいえ三人で出かけて、話したりなんてことできないだろう。
周りからは渚のことで頭がいっぱいの幸せなやつとしか思われていないだろうが、私は私なりに心配や不安をずっと抱えている。
付き合ってから、今までそんな不安に襲われ続けていたとかなら、私はとっくに病んでしまっているだろう。
多少の不安は彼女によってすぐにもたらされたものだが、これほどまでの増加は最近のものなのだ。
もうそろそろ付き合って三年が経つという事で、「男は三年で浮気する」などという話を周りからされたことは原因ではない。
原因があるとすれば私に弱さでしかないが、きっかけは渚の交友関係の拡大だろう。
渚の所属する学科やサークルは男女比が女に傾いているようなところばかりだ。それは前からだし、言うなら高校の時から女の子の多い環境に彼はいた。だから、そのことは半ば諦めてはいる。
私だって最初はその関係から始まったわけだし、自分が彼女になったからと言って急に友達を減らせというのは束縛が過ぎるだろう。
問題は私の知らない関係が増えてきていることだ。
知らないというのは嘘になる。
私たちはお互いのことを、特に異性関係については細かく報告しあっているから、その関係自体のことは把握している。
ただ、ここ最近は私の見ていないうちに女の子と知り合っていることが増えて、私を不安にさせる。
例えば、渚の所属しているサークル。あのサークルは割と大きなサークルなので、一年たってようやく知り合うみたいなことが普通に起こるらしい。だからといって、この春の合宿をきっかけに新たに三人の女の子とよく話すようになったとなれば、どうしても彼女としては心配せざるを得ない。
他には、彼のバイト先。個別指導塾で(女子高生も相手に)講師をしていることは去年からだから知っているが、いつの間にか新人講師の女の子が四人も入っていて、連絡先を交換したり、相談に乗っていたりするとなれば、恋人として不安にならざるを得ない。
渚は女の子と連絡先を交換したり実際に連絡を取ったりした時には、ちゃんと私に報告してくれているからその点は安心している。
渚自身に浮気心があるとは思っているわけではないけれども、やはり私より魅力的な女の子と知り合っていないかとか、渚が気づいていないだけで誰かにアプローチをされてはいないかとか気にしてしまうものである。
渚には鋭いところと鈍いところがあるから、彼の気づかぬうちに好意を寄せられているとか、傍から見たらあからさまな好意に気づいていないとか、いつの間にか知らぬは本人のみとかいうことがある。私の時がそうだった。
心配なのは渚が優しすぎるところだろう。
きっと自分が好きじゃない相手に告白されても断るのをためらうだろう。
「彼女がいる」なんてことを理由にして他人の好意から逃げることを嫌がるような渚だから、少し迷ってからそれでも断ってくれるとは信じている。
自分の彼氏に対してこう言うのも変だが、渚は別にモテるタイプではないと思う。
誰にでも優しくて、細かいところまで気が利いて、いざという時に頼れる良い男性ではあるけれども、大半の人は「良い人」止まりで彼を捉えてしまう。
例外は何にでもあって、渚のことを「知り合いや友人として良い人」で止まらず、「恋人にしたい良い人」にまで進んでしまう人がいることは十分あり得る。だから、渚の交際範囲が広がっていくたびに私は警戒を強めていってしまい、最近、それが自分自身を苦しめるところまできてしまったわけだ。
正直なところ、沙智や花穂に会ったあの日も、渚を彼女らに紹介することをためらう私がいた。何か嫌な予感がしたからだ。
信頼している友人とそのまた友人にすら紹介をしたくないと思っているのはさすがに重症だとわかってはいる。わかってはいても、渚を失いたくないという気持ちが外に溢れてしまいそうになる。
その程度には彼に依存している。
渚が私の隣からいなくなってしまったらと考えるだけで泣きそうにもなる。
「渚、好きだよ。」
横で寝ている渚を見ながらそう呟く。
まるで漫画や小説の登場人物みたいだ。私らしくない。
でも、少しだけ落ち着いた。
想いを言葉にしたから落ち着いたわけではない。私の好きな漫画や小説の登場人物は幸せだから、同じような行動を取れば私も幸せになれると感じたから安心したのだ。
彼との幸せがこのまま続いてほしい。
そんなことを思いながら寝ている渚の頭をなでる。
触れているという感覚が、確かな事実が私に幸せを実感させる。
「このまま、私の渚で居続けてね。」
もう一度、昔好きだった漫画の台詞を口にして、愛しい人の額に口づける。軽く、そして深く願うように。
これで私もサンドリオンだ。
いや、口づけするのは白雪姫だったか。どちらにせよ、王子様はもちろん渚。
こんなことを言うと笑われるかもしれないが、渚の隣ではずっと夢見る乙女でいたい。
髙橋楓はそう願っている。
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