第2話

 本日二度目のシャワーを浴びることになった。

 楓も一緒だ。


 今回はシャワーだけでなく、湯船にもつかっている。最初にシャワーを浴びた時に楓がためておいたらしい。ホテルの浴室は好かないが、楓と入る風呂は好きだ。安心感のようなものを感じることができる。

 二人で入ることができる程度に広い浴槽の中、俺の躰にもたれるようにして湯船につかっている楓が俺の方を振り返り、キスをしてから話しだす。


「私、渚と風呂入ってる時間も好き。だって――」

「新婚さんみたいだから。」

「その通り。さすがに一日に二回もこんなこと言ったらわかるよね。」


 一回目でもわかるよとは言わなかった。知っていても言わないのが俺たちの了解である。言わないことでお互いが幸せでいることができるなら言わない。そういう取り決めなのだ。


 だからと言って、それは放任とか浮気の許容や秘密主義というわけはない。

 むしろ逆、お互いを束縛しあうための約束なのだ。この取り決めの裏返しは、お互いが幸せであるために必要なことはすべて話すことだ。お互いを不安にさせないように、誰と会った、誰と話した、今日は何していた、どこに出かけたなど全てを話すことになっている。この三年間近くずっとそうである。


 さすがにすべての行動の監視までは至っていないので嘘をつくことはできるが、俺はそれをしないし楓もしていないだろう。相手が嘘をついても簡単にわかってしまうということもあるが、お互いを悲しませる気がないというのが大きいだろう。

 相手の望まない嘘には何の意味もない。それはきっと俺たちが共依存的な恋愛関係を築いていることを示しているのだろうが、それでもかまないとさえ今は思える。特に最近に関しては楓がかなり俺に依存しているようだ。


「渚、またまた考え事してる。考え事が多いのは前からだけどさ、最近、特に多いよ。何か心配なことでもあるの。」

「いや、なんかいろいろと考えることが癖になりすぎているみたいなんだ。心配させてごめん。楓といるときはできるだけ気を付けるようにはしてるんだけど。」


 取り繕ったわけではない。この言葉はすべて本当である。

 楓を不安にさせるような行動を楓の目で取らないようにはしている。それに考えるのが癖になっているのはただの学問のやりすぎだ。そう自分を納得させる。


「大丈夫ならいいけど、注意散漫で事故に巻き込まれないか心配なくらい考えてるよ。まあ、文系で大学院に進もうって思ってる人ってそんなものなのかもしれないけど。渚のお父さんもそんな人だし親子そろってなのかな。」

「研究者志望が全員こんな感じかはわからないけど、俺の考え込む癖は父さんから移ったものだろうな。最近は母さんにもよく言われるようになってしまったくらいには移ってしまったみたい。」

「そんな渚も嫌いじゃないけど、私といる時くらいは私のことだけ考えて見ていてほしいな。たぶん、私だけじゃなくて女の子の総意だと思うよ。何年も何回も同じこと言ってる気がするけどさ、それだけ渚のこと好きだから。」


 返事をする代わりに楓を抱きしめ、キスをする。そう求められたように思ったからだ。どうやら正解だったようで、楓は俺の腕をほどき体ごと俺の方に向き直り、キスをしてきた。今日だけでも何度目かもわからない口づけ。


「渚、もしかして、まだしたりないの。もう一回したいの。」

「いや、満足してるよ。今はそういう気分じゃないし。」


 本音だ。今はこれ以上したくないし、これ以上は楓を満足させてあげることができる気がしない。

 おそらく、楓も本気では言っていない。お互いわかった上でその会話をするのだ。それに意味があると信じているから。


「私も今日はもういいかな。久しぶりだったから、いっぱい愛してもらおうと張り切りすぎて疲れちゃったし。今度こそゆっくりと渚とすごしたいな。」


 そう言いながら楓は少し照れた笑顔を見せた。それだけで幸せを感じるあたり俺はちょろいのかもしれない。だが、楓の言葉が本音だと思うと嬉しいのだ。


 恋に恋をしているわけではない。最初のころはそうだったかもしれないが、ここ一年は確実に違うといえる。二年ほど経ち、お互いに慣れてきたくらいの頃から相手に対する感情が本物なのだと感じてきている。それに、慣れてきているとはいえ、故意に恋をしているとかいうのではない。本当に好きだといえるのだ。相手が好きになってくれているから好きだと思っているとかではない。もはや共依存に近いような関係だが、それ故にお互いの気持ちは本物なのだと感じることができる。


「そろそろ上がろうか。」


 俺から切り出して、浴槽からあがり、お互いの躰を拭き、楓の腰まである綺麗な髪をドライヤーで乾かしてあげる。そして、しわが付かないように綺麗に畳まれた洋服に袖を通す。俺にとってはこれが約十一時間ぶりの着衣だ。

 広げていたものを片付け、二人の荷物を再度確認した段階で時刻は午前九時。このホテルは十時までの宿泊のため残りは一時間だ。早めに出てもいいが、やはり名残惜しいものがあるのでいつも十分前までは雑談をしたり軽くいちゃついたりしている。今日も例にもれずそうして過ごす。


 幸せな時間は過ぎ、十分前を知らせるタイマーが鳴り、精算をして、最後にキスを三度してから部屋を出た。



 ホテルから出る時が一番緊張する。

 誰かに遭遇するとかそういう緊張ではなく、見られてはいけない現場を見られているような、背徳的行為をした後のような緊張感である。誰から非難されるわけではないが、その行為自体の存在を隠したくなる。


 この時間はホテル街を歩く人は大半が俺たちと同じく恋人や配偶者などと一夜を過ごした後の人間であり、それ以外の人はほとんどないとはいえ見られることは望ましくないように思う。

 皆がしているから、恋人として当たり前の行為をしただけだからなどと言うのは良い訳にしか思えず、そわそわしながら歩く。俺だけがどこかこのホテル街に溶け込めきれず、浮いた存在として認識されてしまう。


 一方、楓の方はこの場所に馴染み切っている。駅へと向かう間もいつも機嫌がよく、腕を絡めてくるほどである。一番機嫌がいい時には路上だというのに平気でキスもしてくる。この差というのは何なのだろうか。女の人の切り替えがはやいだけなのか。楓が幸せで周りを気にしていないだけなのかはわからない。

 何にせよ楓はいつも楽しそうにしている。


 そんな上機嫌のまま楓は話し出す。


「渚の都合にもよるけどさ、ゴールデンウィークくらいになったらまた来たいな。別に私は来週とかでもいいけどお金的に少しあとが嬉しいかな。結局、毎回渚に払わせてしまってるけど。それまでは家でさ。」

「彼氏としては金銭的なことは気にしなくていいって言ってあげたいけど、次からは二回生だし新歓で奢ることもあるだろうから気にしてくれてありがたいかな。家もいつでもいけるってわけじゃないからいける日があったら優先的に予定空けるようにするから、早めに言ってくれると嬉しいかな。」

「渚、エッチだね。そんなにしたいの。」

「まあ、楓が嫌じゃないならいっぱいしたいかな。」

「私はいいよ。渚が喜んでくれるから。」


 そんな冗談を言いながら、楓はさらに強く腕を絡めてくる。よく腕を絡めてくるので前に理由を聞いたところ、胸を当ててドキッとさせたいらしい。しかし、楓の控えめな胸では少し難しい。何も感じないわけではないがわずかな柔らかさを感じるのみであり、それにはもう慣れてしまっている。

 とはいえ、こうやって腕を組んで二人歩く姿は誰から見ても幸せなカップルに見えるだろう。だから腕を組んで歩くという行為は俺たちにとって意味のあることなのだ。


 隣に好きな人がいる。そんな幸せを感じられる日々がずっと続く。

 そう疑わずに信じているし、それはちょっとやそっとでは揺るがない想いである。

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