明日、開く蕾は

中野あお

楓 ―恋人―

第1話

 見慣れない部屋で目が覚める。枕元の時計を見るとまだ八時であった。

 白い天井、薄橙色の壁、いつもより広く少柔らかいベッドと枕。そして、隣には見慣れた女の子。

 しばらくして、自分がラブホテルで寝ていたことを思い出す。

 翌日が休みだからと楓と来ていたのだった。


 横を見ると楓はまだ寝ている。


 幸せな気分を感じながら二人とも裸のまま寝たが、四月になったとはいえ朝は裸でいるのには少し肌寒い。それに、そのまま寝てしまったがために汗と体液によるべたつきで体に多少でない不快を感じる。

 乱れたままのベッドにも少なからず体液などが付着しているからか、上品でない臭いが充満しているように感じる。ラブホテルという場所柄、仕方のない臭いなのかもしれないが、寝起きに好ましくない臭いである。入った時に感じる清掃され整えられた空気とどちらがマシなのは微妙なところだ。


 ぐっと背伸びをして体を動かし、立ち上がる準備をする。起き上がる際にずれた掛け布団を楓にかけ直す。

 これからどうするか、何から片づけたらいいのかを考えようとしたが、まだ寝ぼけている頭では考えられることが少ない。とりあえず、体を目覚めさせることも兼ねてシャワーを浴びることにした。ラブホテルの浴室というものはあまり好まないが仕方ない。


 浴室に向かい、その手前の洗面台で口をゆすぎ、顔を洗う。そして、脱衣をする必要なく浴室へと入りシャワーのレバーをひねる。冷たい水が体に当たり、それによって体が起きるタイミングだと知ったのか少しずつ頭がさえてくる。

 自分の身体についていた生々しさが取れ、社会的な人間としての姿が戻ってくる。この場所から出た後にふさわしいような状態へと支度するための行為である。

 身体についた見えない何かを洗い流すだけだ。昨晩も一度は入っているため、軽く体を流し終えると浴室から出た。


「おはよう。起こしちゃったかな。」

「そんなことないよ。起きようと思ってた時間だし。」

「お先にシャワー浴びたよ。」

「私もシャワー浴びてくる。」


 浴室から出るころには楓も起きており、俺にキスをしてから入れ替わりに浴室に入っていく。彼女も全裸だったがその後ろ姿はいつも通り綺麗だった。


 自分の服に着替えてもよかったが、なんとなくバスローブを羽織る。楓がシャワーを浴びている間に荷物をまとめ、チェックアウトに準備をする。

 この時間が何よりも退屈で、毎回、ホテルに来たことを後悔する悲しい時間だ。人によっては行為の後が一番虚しいと言うが、あれはただの無感動なのだから辛くはない。しかし、こんな気持ちのいい朝に事後処理をして部屋を出る準備をするというのは、俺の心を悪い方向に動かすから嫌いだ。果てた後と違って冷静ではなく心が動くから嫌だ。


 セックスへの後悔や嫌悪ではなく、ある種の背徳的行為を行ったことへの意識が俺の心を動かすのだ。

 当然、それは何ら背徳的行為ではない。極めて一般的で種として正しく、みんながやっているようなことなのだが、その痕跡は隠さなければならない。そこに対して俺はこの頃、特に良い思いを抱いていない。

 セックスを主目的に作られた建物に入り、その設備を正しく使用してきたという証拠を自らに残すことをためらっているのだ。なんとも馬鹿らしい。

 俺が先に起きようとも、楓が先に起きようともこの時間が発生することには変わりがない。だから、休憩だけにしないかといつも提案するのだがなかなか認められない。


 お互い自宅から通学する身なので、常に家でというわけにもいかないし、付き合っている以上、ここに来るのは仕方のないことだと納得はしている。

 それこそ、最初の頃なんかは、俺から誘って朝起きてからもう三回なんていうこともしていたが、三年もしているとなかなかそういう気分になれない。それでも、楓が求めた場合は無理矢理に気分を起こしてする。だから、嫌な時間だといってもその程度だ。恋人のためなら我慢ができる程度の苦痛だ。


「渚、お後に。」


 備え付けのバスタオルで頭を拭きながら楓が戻ってくる。


「朝に入るとさっぱりするよね。」

「うん。家ではあまり朝にお風呂入らないけど、たまにする朝風呂って気持ちいいよね。」

「そうだね。」

「髪乾かしてくる。」


 ある程度の水分をタオルで取った後、洗面所に戻る。といってもこのホテルの洗面所はベッドからも見える位置にあるので楓の行動ははっきりと見える。備え付けであろうドライヤーで髪を乾かす仕草も見え、風を吹き出す音も聞こえてくる。


「私、ホテルに来たときは朝のこの時間が一番好き。渚と一緒にいられるし、ゆっくりできるし、なんか新婚さんみたいだし。」


 もう一度、バスローブ姿で浴室から出てくると楓はいつものようにそう言う。彼女は初めてホテルに泊まった時からずっとそう言っている。


「知ってるよ。毎回聞いてるし。俺もこの時間好きだよ。」


 恋人の好きなその時間をできるだけ壊さないように、俺はいつも取り繕う。楓は気づいているのかもしれないけど、それでも取り繕う。そしていつものように尋ねる。


「あと三時間くらいあるけど、どうする?」

「もうお互いシャワー浴びたから、あとはギリギリまでゆっくりしたいかな。今日も渚にくっついたり、ゲームしたりしていようかな。渚に一週間会えなくて寂しかったし、学校始まったら、しばらくこんな時間は取れないかもしれないし。渚を補給しないと。」


 それも大方いつも通りの台詞。

 俺のことを知ってか知らずか、ここ最近、楓はいつも決まってゆっくりしようと提案してくれる。それもいつものこと。

 それでいい。お互いにお互いを愛しているからそれでいい。変化のない日常も好きな人と過ごせたらそれでいい。なんて楓の受け売りだが。


「渚、何か考えてるときの顔してる。私以外の女のことでも考えてたりして。」

「そんなこと考えてないって。確かに考え事してたけど、楓のことを考えてただけだよ。それにしても、毎回よくわかるよな。」

「だって、目がいつもより細くなって、眉間に少し皺が寄って真剣な顔つきになるんだもの。悪く言えばにらんでるような顔。私はそんな顔も好きだけどね。きりっとしてて、ドキッとするよ。」


 そう言うと楓は俺に抱き着く。そしてキスをする。それが自然と言わんばかりに。いや、この場合の俺たちにはこれが自然なのだ。今までに何度も繰り返してきた流れ、それに沿っているだけの当然の行為。


 そして、この流れは楓からの合図でもある。


 求められたらそれに応えるのが俺たちの了解である。

 楓を向き合う位置に移動させ、もう一度キスをする。そのまま舌を侵入させながら、楓の小ぶりな胸に手を伸ばす、口ではゆっくりしようとは言いながらも今日は最初からこうする気だったのだろう、まだ下着は付けていなかった。ここ最近はそういう事の方が多い。楓がバスローブ姿なのはもう一度したいからだろう。俺がバスローブなのは風呂やシャワーのあとすぐに服を着ることが少し嫌だからで、楓にすぐに応えられるようにではない。


 初めの頃こそ、男である俺の方が積極的で楓は我慢して付き合ってくれていた行為であるが、いつの間にか逆転して楓の方が求め、俺がそれに付き合うようになっている。

 楓が言うには、愛されている瞬間が好きになったらしい。別に日頃のデートなどでは満たされず愛に飢えているというわけではく、交じり合う時の愛は特別なのだそうだ。子を成すための行為に及ぶという事は別次元の愛情を相手にそそいでいることになるらしい。その違いはわからないが、楓がそう言うのだから俺にとってもそれは特別な愛なのだ。


 そんなことを思い出しながら、バスローブの下に手を伸ばす。少し楓がひるむがそれは俺の手の冷たさのせいだと知っている。何度もしていることだから。


「楓、しようか。」


 決まり通りに誘う。


「いいよ。渚の好きなようにして。」


 返事も決まっている。

 楓のバスローブを脱がす。終わったらもう一度片づけないといけないという気怠さが襲ってくるのを振り払いながらしわにならないよう丁寧に脱がしていく。好きなようにしてとは言われても、俺は好きでやっているわけでないので、楓の好むようにする。好きな人の好きなように、いい言葉だ。


「また、考え事してる。」

「楓のこと考えてただけだよ。」


 キスをして、取り繕う。今回は嘘ではないけど繕う。

 服がすべて取り去られる。

 再びお互い裸になる。

 ここまでくるとさすがに気怠さは収まる。いや、無理にでも抑え込む。

 さらに自分の気分を乗せるために枕元に置かれていた新しいコンドームを手に取る。包装を開け、自らにつける。俺が起きた時にはなかったものだ。楓がシャワー浴びる前に枕元に追加したのだろう。


 楓の期待通りに動いてることに喜びを覚える。

 その喜びを伝えるために再びキスをする。

 そして、楓を再びベッドに押し倒した。

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