外伝『AOSO本司令部襲撃事件』

 本編は独立した物語です



 これは世界の記録。世界に刻み込まれた十五年前の記憶の一部を公開しよう。


『AOSO本司令部』捜査指揮や駆除命令などといった武力行使を伴う案件を管理し、法的処理や人事の本部を担う『AOSO本局』と並ぶ中央組織である。

 ここに所属しているのは十あるすべての捜査官の階級において、それぞれの階級で特に優秀であり将来有望と認められたものだけである。


 捜査官の階級とは、下から、C/B/A級保安官、三/二/一級司令官、三/二/一等指揮官、および最高階級の名誉捜査官からなる。

 中でも名誉捜査官は、全国でも数えるほどしかおらず、その実力は一人で並の、せいぜい数百人規模の異人組織ならば壊滅させられるほどである。

 そしてなんと、ここAOSO本司令部には三名ものの名誉指揮官が所属している。


 緻密な作戦と卓越した指揮能力によっていくつもの異人組織を壊滅に追いやった、現代が生んだ奇跡の軍師、三宅明名誉捜査官


 全国の名誉指揮官で唯一の女性、射撃に特化し拳銃から狙撃銃までほぼすべての銃器を使いこなす銃士、草薙美咲名誉捜査官


 銃器、近接武器、肉体強化ドーピングへの適性、圧倒的指揮力、すべてを備えた人類の奇跡、世界の希望、実質的なAOSOの長であり、AOSOが誇る最強の男、日下部悠名誉指揮官


 この三人が部下を引き連れ本気で国家に反旗を翻すならば、この国の転覆は避けられない。と人は皆言う。

 これこそが、AOSOの創設から八十年間、一度たりとも異人の侵攻を許さなかった圧倒的な本司令部の防衛力の源である。


 十五年前 某日

 冬の寒い日であった。この日は世界最大級の異人組織「終末時計の共同体」の本格的殲滅計画についての会議を進めるため、三名の名誉捜査官とその部下、本司令部に所属する捜査官のほぼ全員、さらには他支部に所属する指揮官クラスの捜査官が集合していた。

 本司令部所属捜査官約千名、他支部所属指揮官約百五十名

 これだけ多くの捜査官がたかが会議のために一同に集ったのには理由がある。


「日下部名誉指揮、これが例の?」

 銀色ハーフリムの眼鏡がよく似合う、インテリを全身から漂わせる黒いスーツに身を包んだ長身の男、鬼才の軍師、三宅明名誉捜査官が目の前の便箋を指して訊ねる。

「そうだ、一週間前に俺宛に直接届いた。秘密裏に準備を進めていた殲滅作戦の情報が流出していたのは驚いた。」

 デスクに置かれた便箋に目をやって座ったままで答える日下部。普段は正義感を纏ったその顔には珍しく疲労が浮かんでいた。



【親愛なるAOSO本司令部諸君】

 一週間後に行われる我々、終末時計の共同体の殲滅作戦会議、実に興味深い。

 誠に勝手ではあるが、我々も参加させていただく。捜査官諸君は遺書を準備の上、参加してくれたまえ。

 一週間後を楽しみにしているよ。 劇作家



「まったく、予告した上で殴り込みなんて、舐めた事をしてくれる……一週間でこれだけの人員を集める俺の身にもなれよな……」

 やれやれ、と肩を回しながら日下部は三宅明に向き直る。


「それも日下部、君の人望あっての事だ。どこの支局長も、君への恩が返せるといって喜んでいたぞ。」

 銀縁の眼鏡を押し上げながら『軍師』が『最強』を労う。


「やめろやめろ、そういうのはガラじゃない。それより草薙名誉指揮は見てないか?」

 話題を逸らすように日下部が草薙名誉指揮官を探す。

「ああ、彼女なら」

 三宅は天井を仰ぐ。

 そして天井に貼り付いていた蜘蛛。否、天井に貼り付いていた、黒を基調とした軍服に身を包んだ女性を指差し……

「上。」


「草薙!!起きろ!!」

 気づくと同時に日下部の咆哮が飛ぶ。

 扉が勢いよく開いて別の女性が飛び込んでくる。

「すみません!!私何かしちゃいましたか!?」


「ん?君は?」

 三宅が慌しく入室して来た女性を見て不思議がる。

「あ、三宅、その子は新しく俺の元に配属になった草薙佐奈美A級保安官だ。ああ、そういえば草薙名誉指揮官の姪だったか。」


「もしかして叔母がやらかしちゃった感じですか!?ぁあ…それはそれですみません!」

 叔母の居眠りを詫びる姪。

「もしかしてその声は、佐奈美ちゃんじゃなーい!」

 天井から舞い降りて姪を抱きしめる軍服、否、四十手前の名誉指揮官(独身)。

「なんかナレーションでディスられた気がするけど気にしなーい。」


 謝る姪、姪を愛で続ける叔母、呆れて吐息を吐く軍師、そして、それを穏やかな顔で見守る最強。


「さあ、名誉指揮官も揃った事だし、そろそろスイッチ入れろ。」

 パン、と手を叩きながら最強の男が声をかける。

「では、今回の現場指揮を執ります僕から、もう一度ご説明を。細田くんも、入ってくれ。」

 扉に向けて呼びかけた軍師に応えて一人の四十歳程度の男が入室する。

「細田忍一等指揮官にございます。此度はこのような作戦の担当者として任命いただき、誠に嬉しく思っており」

「細田、お前は真面目すぎる、さっさと座れ。」

 ボリボリと頭をかきながら日下部が細田忍一等指揮官の言葉を遮って自らのデスクの前の会議テーブルにつくよう促す。

 六人がけの円卓には、軍師三宅明、銃士草薙美咲、一等指揮官細田忍、そして叔母に抱きかかえられた草薙佐奈美の四名が着席した。

 そしてそのすぐ隣のデスクに腰掛けた日下部が三宅に目で合図を送り、会議が再開する。

「事前の説明でもあったように、今回は僕、日下部名誉、草薙名誉、細田一等の四人でそれぞれの部隊を担当していただきます。

 最強と名高い日下部名誉の部隊は南側正面玄関を

 全体に指揮できるよう通信室に近い北側裏口は僕の部隊が

 館内を熟知した本司令部捜査官を率いる細田一等の部隊には局内部を

 銃器の扱いに長けた草薙名誉の部隊には屋上の警備と狙撃を、それぞれ割り当てています。

 また、襲撃予想時刻は、本来であれば会議が始まっていた午後八時、それまでに部隊の配置を完了させてください。

 ここまででご質問等ございますか?」

 室内に一瞬の沈黙が流れる。

「次に進めてくれ。」

 日下部が先を促す。

「今回の勝利条件は『本司令部の防衛』です。さらに劇作家自らが動く可能性も考慮し、それぞれの部隊の指揮官は指示があるまで直接戦闘は控えて、温存の方をお願いします。

 当たり前のことですが、くれぐれも、先走った行動はございませんよう。」

 三宅が大まかな説明を終え着席する。


「今回はこれだけ豪華な布陣を揃えた甲斐もあって、捜査官の士気も高い。準備期間一週間でこれだけの準備ができたのはみんなのおかげだ。ありがとう。

 劇作家が出てきたら、俺と三宅で仕留める。草薙は雑魚の撃ち漏らしがないように頼んだ。

 勝つぞ。全員で。」

 短い言葉で激励を済ませて日下部が退室する。最強の部隊が四つ。それぞれの得意分野のみを確実に防衛する。

 あまりにも完璧に思われた計画だった。




 同時刻 とあるビルの屋上


「あちらはどうやら本気で迎撃準備を整えたようだね。まったく、血の気が多くて嫌になるよ。」


 安全柵の上に片足で立って伸びをしながら、白スーツに身を包んだ中性的な風貌の男が側に立つ男に語りかける。


「私達が負けるわけなかろう。なんせ君と私が手を組んだんだ。敗北などという未来、初めから除外されているに等しい。」


 真白な頭髪を風に煽られながら、黒いコートに身を包んだ整った顔の男が応える。


「気持ち悪いぐらいの再現度だね。とにかく先陣は僕がもらう。こんな楽しそうな舞台他じゃそうは味わえない。」

 そう言い残して後ろで縛った髪を揺らしながら、男は飛び去った。

 AOSO本司令部のある方角へと、一直線に。



 午後七時四十五分 AOSO本司令部

〈局内担当部隊、配置完了いたしました〉

〈屋上狙撃部隊、配置できたわよーん〉

 細田一等指揮官と草薙名誉指揮官からの無線が通信室に待機する日下部と三宅の元に届いた。

「戦闘準備!」

 日下部がマイクに向かって叫ぶ。

「劇作家であろうと、一歩たりとも局内への侵入を許すな。攻性異人は容赦せず攻撃しろ。一匹たりとも撃ち漏らすことなく、返り討ちにしてやれ。」

 力強い日下部激励が局内に響く。

 現場の捜査官の顔に強い自信が補充される。


「今回、劇作家が動くと思うか?」

 三宅がマイクを切って日下部に聞く。


「軍師殿が俺に質問か、そうだな、そもそも劇作家なんてもんが存在してるのか、俺はそこが気になるがな。」


「なるほどね、空想で現実を制すって事かい。存在するように見せかけた劇作家という脅威で相手を追い詰める。っていった感じか。」

 そういう考えも面白いな、と三宅がくすりと笑う。


「どちらにせよ、それを考えるのは今日生き残ってからだ。」

「そうだな。頼んだよ、最強の戦士、日下部名誉指揮。」

「そっちこそ、鬼の軍師、三宅名誉指揮。」


 二人はその言葉を最後に会話をやめ、局内の様子を映し出すモニターに集中し始めた。



 八時零分 上空


 高度一万メートルで、一つの人影が重力に身を任せて落下していた。

 自由落下しながら、白いスーツに身を包み、長い髪をポニーテールにした中性的な男はこんな事を考えていた。


 人も異人もみんな冷たいやつばっかりなんだよね。いつだってみんなみんな自分の事しか考えていない。

 優しくされたら嬉しいくせに、自分が積極的に他人に優しくして他人を喜ばしてやりたいとは思わない。

 されたことにばかり敏感で、自分のした事にはほとんど興味を持たない。足を踏まれた事を何日も憎むことはあっても、自分が踏んでしまった誰かの事を何日も思い遣ったりはしない。

 人は大きな悲しみに見舞われて初めて、他人に優しくする事の大切さを知る。

 自分が受け止め切れないほどの悲しみに見舞われて、受け入れ切れなくて溢れた悲しみを見て初めて、人は他のだれかに目が向くようになる。

 だから悲しみは、必要なものなんだ、それは悲しい事だけど、その悲しみを乗り越えて、受け止め切れない悲しみの向こう側で、人は真の優しさを身につけられるんだ。

 僕はそういう優しさが世界に広まる事を望んでいる。

 だからこそ僕は悲しみを振りまく。

 それが優しい世界を作り上げる唯一の方法だから!本当は嫌だけど僕は世界の全ての人たちに悲しみをもたらす使命がある!!

 これが僕の優しさ!全ての人が優しくなれるように道を作ってあげる僕の優しさ!

 ああ……僕ってなんて優しいんだろう。


 狂った思想を抱きながら、狂っている事にすら気付けずに、発現させた両腕に握られた死神の鎌の様な朱殷手を眺めて吐息を漏らす狂人。


 そして狂人は目的地に到着する。即ち、AOSO本司令部に!


 着地の際に一人の捜査官を踏みつけ惨殺。続け様に両腕から伸びる鎌で数名を斬殺。

 動揺が広がる捜査官の輪の中で恭しく一礼。


「僕は『終末時計の共同体』幹部、五劇衆の一角、最優にして最高の男。

『悲劇』の演者、纐纈優梨こうけつゆうり


「撃て!蜂の巣にしろ!」

 草薙名誉指揮官の厳命が降る。

 待ってましたと言わんばかりに機関銃を装備した捜査官らから無数の血晶から作られた銃弾が悲劇と名乗った男に嵐の如く降り注ぐ。


「上からの襲撃など想定内だ。」

 モニターで屋上の様子を見ながら三宅が独り言の様に呟く。


「まさか単身で降ってくるとは思わなかったがな。草薙、上からの襲撃パターンで確実に仕留めてくれ。」

 マイクを通して三宅が草薙に指示を飛ばす。


〈わかった〉

 短く答えた草薙からは普段のおちゃらけた様子は感じられなかった。



 銃撃に対して一切の回避行動を取ろうとしない『悲劇』に向かって放たれた銃弾がその命を奪おうとした瞬間。


「異能『極小防衛ミニマムガード』」


 そう呟いた狂人は、超常的な力で鉄壁の防壁を構築……する事なく


 目にも止まらぬ速さで銃弾を回避……する事もなく


 最強の攻撃で銃弾を叩き落とす……事もなく


 機関銃の弾が尽きるまで、

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も

 身体中を撃ち抜かれ、皮膚が千切れ、肉が弾け、骨が砕け、臓器が爆散しようと、一切回避行動を取らず、無抵抗に撃たれ続けた。


 ただし、脳と心臓を除いては。だが。


 脳と心臓以外をズタズタに撃ち抜かれて崩れ落ちた狂人の残骸がそこにはあった。


 残っていたのは脳と心臓、そして顔の一部だけだった。


 こうして『悲劇』の襲撃はあっけなく終わった。と思われた次の瞬間。


 血みどろになった、辛うじて口の形を残していた肉塊が動き、ありえないほど大きな声で叫んだ。


「異能『復讐リベンジ&回復リカバー』!!」


 叫びが捜査官の耳に届いた瞬間、屋上で『悲劇』を攻撃した捜査官全員が、した。

 そう、狂人が受けた傷、つまり脳と心臓以外の肉体の致命的すぎる損傷が、攻撃に加担した全ての人間に一瞬のうちに等しく共有されたのだ。

 分散ではない。

 あくまで一人一人全員が狂人と同じダメージを負ったのである。


 幸運にも生き残ったのは、狙撃専門で近接銃を所持していなかった捜査官と、放った銃弾が『悲劇』に命中しなかった捜査官のみであった。


 そして『悲劇』はこれだけで終わらない。


「僕に与えられたダメージは、蓄積されて蓄積されて、僕に危害を与えた冷たい人間の元に還る。

 僕に与えた『悲劇』を、加害者自らが体験するんだ。

 そうする事で、人は初めて自分がした事の罪を知ることが出来る。

 他人を傷つけてしまったんだって自覚できる。

 この異能はは僕の優しさだよ。そうやって『悲劇』を知った人間は、より優しい人間へとレベルアップできるんだ!

 そして僕は、周りの人間が優しくなるために貢献したこの僕は! 世界から祝福されてこうやって回復できる! 

 僕を労ってくれるこの世界の祝福によって!

 ああ!なんて優しい世界なんだろう!

 ああ!やっぱりそうだ! この世界は優しさに満ち満ちている!」


 歪みきった価値観に支えられた自らの正義感を語る狂人の無残に崩壊していた肉体は完全に復活していた。


 致命傷など何もなかったかのように、衣服すらも再生した狂人は、涙を流しながら叫ぶ。


「ああ!それなのに死んでしまうだなんて…!

 せっかく他人の痛みを知れたのに、せっかく人を思いやれる優しい人に進化できたのに。

 でもいいんだよ、君たちの死は決して無駄にはならない。

 君たちは最後に他人の痛みを知る事の大切さを痛感できたんだ! 君たちは他人に優しくするっていう当たり前の素晴らしい行為の魅力を知ることができたんだ!

 だから君たちは優しい人に生まれ変われる!

 そして僕と共に優しい世界を作っていこう!

 そして僕と『共に生きよう(Keep Alive!)』じゃないか!」


 狂人から零れ落ちた涙が、非常に強い血晶の力を宿した涙が血の海に滲む。

 その瞬間、涙に反応するように、狂人の言葉に感化されたかのように、砕け散った肉塊が動き出す。


 ぐちゃぐちゃと蠢いて、くっついて、零れ落ちた脳と心臓を拾い上げ、人の形をなんとか取り繕った血みどろの人型の肉の塊がいくつも誕生した。


(ォォォォオオオオオオオオオ……)


 声にならない呻き声をあげながら、人を模した肉塊が蠢く。


 それはゾンビと形容するのがわかりやすいだろう。

 死者を冒涜するかのような光景に、自らが異能を発現させた事にすら気付かない狂人が感涙して叫ぶ。


「ぁあ! 君たちは共感してくれるのかい!

 ありがとう!ありがとう! この世界はなんて優しいんだ!

 僕たちは変われるんだ! 君たちみたいに!

『悲劇』を知る事で、敵対していた僕に協力してくれる君たちのように! 僕らは優しくなれるんだ!

 やはりこの世界に、悲しみなんて必要ない!

 さあ一緒に、『悲劇』なんて存在しない、最高で最優の世界を作ろうじゃないか!」



 狂っている。というのが正直な感想だった。

〈攻撃許可を〉

 耳元の無線イヤホンに届くようにそう呟きながら屋上に現れた女。銃士、否、銃神、草薙美咲名誉指揮官は部下の仇を取らんという強い意志を瞳の奥に携えていた。


〈許可する、だがあくまで分析のための時間稼ぎだぞ。あくまで『悲劇』の異能と朱殷手の分析のための攻撃に限定しての許可だ。〉

 イヤホンを通して三宅の指示が草薙に届いた。

 軍服の内側に忍ばせた二十以上の銃器のうちからお気に入りの銃を構える。『VSS ヴィントレス』日下部とお揃いの血器である。


「ぉや、あなた、冷たそうな人間ですね。」

 草薙に気付いた狂人は先程までの歓喜を一瞬にして消し去り、凍り付いた瞳で銃神を睨みつけた。


(ォォォォオオオオオオオオオ……)

 再び声にならない呻き声をあげながら、狂人の敵意に従うように、ゾンビたちは草薙に襲いかかる。


 こうして『悲劇』との戦いは、四十名以上の捜査官の犠牲という最悪の展開からスタートしたのだ。



 同時刻 正面玄関


 日下部悠は、三宅の指示で自らが指揮する部隊の最前列に戻っていた。


「これは最悪の事態がより悪化したと考えるべきだな。

 日下部、正面玄関に駆けつけてくれ。

 そして五分待って、何も起こらなければ屋上の増援に向かってくれ。

 この予測だけは当てたくないけど、もし当たったならば手遅れになる。」


 珍しく焦りを見せた三宅からの頼みを断れるはずもなく、日下部は正面玄関に駆けつけたのだ。


 日下部の到着に部隊の士気はさらに上がっていた。だが到着の三分後のことだった。

 異変は起こった。


 正面玄関前に厚手の黒いコートを羽織った白髪の若い男が現れたのだ。

 それだけならば一般人の異人に関する緊急の相談だと考えられなくもないが、そうではないとその場の全員が断言できた。


 青年から漂う、あまりにも強すぎる負のオーラ、そしてその青年の背後に控える、百、いや、二百近い殺意の塊を容易に察知することができたのだ。


「ふふ、その様子を見ると、予告状は見てくれたみたいだな。予告通り、お邪魔させてもらうよ。

 屋上の襲撃があったにも関わらず、これほど手厚い歓迎を受けられるとは、まさか読まれていたのかな。」

 見た目に合わない落ち着きを感じさせる青年は、日下部の前に歩み寄る。


「ああ、こっちには頭の切れる軍師がいてな。この予想だけは当たって欲しくないって言ってたがな。」

 それを当ててしまうのが、鬼才の軍師、三宅明という男なのである。


「で、どうするんだ?」

 日下部が劇作家に問う。


「そうですねえ」

 青年は赤黒く煌く瞳を半分ほど閉じて思考する。

 五秒ほどの思考時間を挟んで目を見開くと、右手を上げてこう言った。

「開戦といきましょう。」


 振り下ろされた手に続くように、背後に控える異人の軍勢が正面玄関に控える捜査官に凶悪な朱殷手で襲いかかった。


 ある者は巨大な拳で

 ある者は異能で炎を纏わせた紅蓮の刃で

 ある者は異能で空中浮遊しながら狙撃で

 捜査官に襲いかかる。


「血器『正宗』『肉体強化』」

 筋力のリミッターを破壊した日下部が、部下の一人に飛びかかった四体の異人を横薙ぎに斬った。


「貴様らの命を奪いたいとは思わない。俺も命を落としたいとは思わない。だが」

 日下部は血器についた偉人の血を振り払って異人の軍勢を睨む。


「俺の仲間の命を奪おうというならば、俺の日常を脅かそうというならば、俺は、俺の命を賭けて、貴様らの命を、根絶やしにしてくれる。」


 日下部に覇気に圧倒され、捜査官と異人の両方、『劇作家』神宮寺零を除く全員が一歩たじろいだ。


 だがそれも一瞬、すぐさま異人が動く。

 一人、また一人、捜査官も異人も、両方の命が潰える。

 両陣営の長同士の戦が地上では始まった。



 同時刻 AOSO本司令部屋上


 戦況は芳しくなかった。

『悲劇』の戦闘能力自体は大したものではなかった。

 両腕に携えた死神が持つような大鎌を、狙いも定まらぬままに振り回しているだけに等しい。

 普通の異人であれば、つまり異能といっても火を放ったり空を飛んだり肉体を強化したりといった程度の雑魚であれば

『銃神』草薙美咲名誉指揮官にとって敵ではない。

 だが部下の惨たらしい死様を見てしまったが故に、仕掛けられない。

 攻撃に躊躇が混ざる。


 生き残った他の捜査官も同じだ。攻撃できずに『悲劇』の攻撃を一方的に回避するばかり。

 そして不意に襲いかかってくるゾンビによってなす術なく崩れるのだ。


 そうしてゾンビにすらなれないほど千切れ、破損した肉が山を成していく。

 最初二百人いた射撃の精鋭部隊はもう既に半分に減らされていた。


(ォォォォオオオオオオオオオ……)


 さらに厄介なのがゾンビどもである。

 脳味噌を粉々に打ち砕かない限り、どれだけ体中の肉を破壊されようと襲いかかってくるのである。


「ぁあ……なんて哀れで惨めなんだ」

 鎌を天に翳し、うっとりと月を見上げる『悲劇』

 ゾンビの軍勢を率いる鎌を携えた狂人は、もはや死神と形容するのが最適な存在である。

「さあ、そろそろ終わりにしよう。僕は内部の制圧も仰せつかってるんだ。」


 そうして『悲劇』が屋上に興味をなくし、局内へ侵入しようとした時だ。


「草薙名誉指揮!増援に駆けつけました!」


 細田忍率いる局内警備部隊のうちの一部が屋上へ合流した。


「ああ……自分から来てくれたんだ。そうだよね、人は誰だって本当は優しくなりたいんだ。だから君たちは僕の元に集い、自らを浄化する『悲劇』を求める。」

 ニヤニヤと邪悪な笑みを浮かべながら悲劇が細田忍に飛びかかる。

 この男は自らの異能の特性故に、傷つくことを厭わない。むしろ軍勢の中に単身で飛び込むという単調な戦略しかとれない。


 そこを狙え。


 という『軍神』からの指示を頭の中で反復しながら細田が叫ぶ。


「捕縛!!」


 細田に向かって一直線に飛びかかっていた悲劇は躱す術なく細田の部隊が放つ、血晶から練り上げられた網にかかる。


(こんなに上手くいくものなのか)


 瞬間心の中に浮かんだ疑問を飲み込み悲劇の方を睨んだ。


「おや、これはこれはそうですか、そうですか。そうくるなら僕も違う手をうたねばね。」

 網に絡まって動けない悲劇が口を動かす。


「異能『悲壮感』」


 驚く程大きな声で悲劇がそう叫んだ瞬間。


「ぁぁぁああああああああ!!!」

「あ……ああ……ぅう……」

「いやだいやだいやだいやだ!!!」


 悲劇を取り囲んでいた細田の部隊、約二百名がいっせいに泣き崩れた。


 それは細田と草薙にも及んだ。


 頭の中に不思議な音が鳴り響く。そして頭の中が、幸せな記憶が、恥ずかしい記憶が、誇らしい記憶が、ありとあらゆる記憶が、絶望で塗りつぶされていく気分だった。


 自分の運命がねじ曲げられ、悲劇の台本に書き換えられたかのように、悲しい記憶や辛い記憶が膨張し、精神をいとも容易く破壊する。


 絶望で胃が捻じ切られるように痛い。

 嗚咽する

 吐き気がして胃酸を撒き散らす

 口の中が酸っぱい

 怖い。悲しい。辛い。醜い。酷い。

 負の感情が、収まる事なく膨らみ続ける。


「悲しいでしょう、辛いでしょう。でもそれでいいんです。その辛さを乗り越えた先にある優しさを、掴み取るために僕らは生きているんだから」

 時間をかけて網から抜け出した『悲劇』が、周囲の捜査官の首を撥ねて、涙を流しながら叫ぶ。


「さあ共に悲劇をもたらし、優しさの境地に至るんだ! 殺し合おう! そして進化しようじゃないか!」


 その言葉に突き動かされたかのように、

 殺し合いが始まる。

 異人と人間が、ではなく、人間と人間が殺し合う。

 傷つけあって、痛みで絶望を忘れようとするかのように、発狂しそうな心を痛みで繋ぎ止めるように、捜査官が殺し合う。

「死ね死ねシネよぁあ!」

「痛い、いたいのモッと!もっとイタいのぉ!」

「ぅがぁああ……グルァアア……ガァあ……」

 皆が皆狂っていく。狂っていく。


「それでも……私は!」

「ふざけ……んなぁ!」


 草薙が意地と根性で心を強制的に塗り潰す悲壮と絶望に打ち勝ち立ち上がる。

 丁寧口調が崩れた細田が、ナイフを腿に突き刺し、痛みで絶望を緩和して自らを奮立てる。


「あれ、共感してくれない奴が二人。悲しいな、悲しいな。

 せっかく僕の頭と心を君らに繋げてあげたのに、お前らみたいに協調性のないゴミのせいで世界は優しくなれないんだよ!」


 運命に、『悲劇』の台本に抗う二人を、ありったけの憎悪と憤怒を込めた声で纐纈優梨が罵倒する。


 ああそうか、と、草薙、細田の二人は同時に理解する。


 この心を汚染する負の感情が、この男、悲劇を自称する纐纈優梨の心から流れ込んでくるものなのだと

 。

 二百人もの人々を、一瞬にして発狂の淵に追いやる絶望を心に抱えながら、憎悪に蝕まれながら、それでも世界に優しさを求めて、絶望に抗う男。

 それが、纐纈優梨なのだと。


 これだけの闇に蝕まれてなお、それでも世界を良くしようと、動き続けられる人間が果たしているだろうか。

 たとえ歪んでいようと、間違っていようと、この男の優しさを求める気持ちだけは本物だ。


『悲劇』の意味とはなんだろうか。


「余計な詮索、しないでほしいな。これは僕が、劇作家と交わした契約だ。力の対価、沸き続ける絶望感。これが僕の背負う十字架だ。」

 お前ら如きに、理解なんか求めてない。

 そう突き放すように呟いた。



 同時刻 正面玄関前



 劇作家率いる異人は、その全てが常軌を逸する力を持っていた。

 それもそのはず、実は彼らは事前に『悲劇』の異能で心を汚染され

『劇作家』の力で血晶の強制摂取による『肉体強化』が行われていた


 殺意と憎悪しか抱けぬ心と、殺意を具現し破滅をもたらす肉体で、日下部をも苦しめた。


 とはいえ日下部もまたAOSO最強の『戦神』である。

 てこずったとはいえ二百はいたであろう常軌を逸した異人を、百名ほどの犠牲で掃討したのは称賛に値すると言えるだろう。


 その日下部と生き残った捜査官は、膝を屈していた。


 彼らの心を蝕む絶望と憎悪が、彼らを内側から食い破らんとしているのだ。

 上空から聞こえた歪で不快な音が、耳に入ったと同時に心が絶望に食い破られそうになったのだ。


 日下部は辛うじて、『不可侵領域』のおかげでその効果を軽減、真っ先に立ち上がる。


「ほう、『悲劇』の権能ですら屈しないか、君、なかなかおもしろい。」

 けらけらと目の前で『劇作家』が嗤う。

 この男は、異人と捜査官の戦いに、終始我関せずで見物を決め込んでいた。

 いや、一つだけしていたことがある。


 この男は、戦いの犠牲者を、人も異人も全て、嗤いながら喰い続けていたのだ。


『劇作家』が足元に転がった異人の頭蓋を踏み砕く。

「さて、そろそろ見ているだけというわけにもいかないか。」


 日下部は構える。だが彼の目は劇作家を捉えていない。

 劇作家の奥から忍び寄る、『怪物』

 黒い鱗に全身を覆われた、腕を四本、足を二本、長い尻尾を持った、三メートルほどの目も耳もない蜥蜴のような『怪物』


 音もなく忍び寄るソレに気付いたのは日下部だけだった。そして次の瞬間


『怪物』の振り下ろした赤黒い爪が、『劇作家』の胸元を横薙ぎに切り裂く。


 そして跳ね飛ばされた上半身は、『怪物』の巨大な口で噛み砕かれる。


 切り裂かれた心臓、そこから空間に亀裂が走る。

 そして亀裂が『劇作家』だった肉体を包み込み、空間ごと砕け散る。

 そこに残ったのは十二歳ほどの少女

『喜劇』ルピナス・レヴィア・アンドラスであった。


『模倣』を打ち砕かれた少女に、『怪物』は自己紹介の隙すら与えない。

 少女を切り裂いた腕とは違う腕で少女の顔面を薙ぐ。


「ちょっ!まって…へぶっ……」


 とっさに発動させた『喜劇』の権能、『主人公補整』で大幅に強化された肉体は、『怪物』の薙ぎ払いに辛うじて耐える。


 爆散こそしなかったものの、首が変な方向に曲がりながら少女が吹き飛ぶ。


 並のビル程度なら倒壊するであろう打撃を受けながらも、少女は無数の触手状の朱殷手で本能的にに反撃する。


 伸ばされた鋭利な触手の先端が、怪物を捉え、その鱗を貫く…直前に触手は明後日の方向を向く。少女の攻撃は、当たらない。


 さらなる追撃が襲う

『怪物』が続け様に残り二本の腕の一本で吹き飛ぶ少女を地面に叩きつけ

 最後の腕で少女を握りしめて天に掲げる


 日下部は血器を構えながらその様子を観察していた。

 少女の口から大量の血が溢れているのが下から見ていてもわかる。


『模倣』が解除され、具現化した少女は美しい純白ワンピースに身を包んでいたがその様子はすでになく、顔や腹から吹き出した血で真っ赤に染まっていた。


 少女の体が途轍もない速度で回復していることもまた、日下部から見て明らかだった。

 破れた皮膚はひとりでに次々塞がり

 砕けた歯は凄まじい速度で生え変わり

 折れた骨は数秒で復元されていたが

 それでも損傷が大きすぎて回復が間に合っていない。


「……ごめ……な…ぃ……ゆる…し…て」


 頬の肉がはち切れ血塗れの口から、消えそうな声を垂らして少女が許しを乞う。

 だがそれに『怪物』は一切の慈悲を与えない。


『怪物』が少女を握りつぶそうとする。

 バキバキと鈍い破壊音が響く

 骨が砕け散り、少女が激痛に悶え悲鳴をあげる。


 だが『怪物』の力をもってしても

 権能『主人公補整』にあと一歩及ばない

 少女に重傷は与えられても、致命傷にはならないのだ。


 諦めたのか『怪物』突如として飛行を始めた。

 ほぼ真っ直ぐ真上に向かって凄まじい速度で上昇していく。少女を握りしめたまま。


「まずい……狙いは屋上か」

 日下部は『肉体強化』の出力を上げ、『怪物』の後を追って鉛直に飛んだ。



 その後 AOSO本司令部屋上


 草薙と細田は、精神を汚染されながらも懸命に戦っていた。

 幸いにも、『悲劇』の戦闘力自体は大したことなかったおかげで、辛うじて戦線を維持し続けていた。

 力が均衡していた屋上に、とんでもない横槍が入る。


「ォォォォォオオオオオオオオオオ!」


 凄まじい咆哮とともに飛来した怪物に一同が怯む。


「ルピナス! 一体どういうことだ……何が…何があったんだ!」

『悲劇』が、怪物の腕の中で苦痛に顔を歪めながら項垂れる少女を見て叫ぶ。


「なぜ…貴様がここにいる……?」

 悲劇が絶望を宿した目で、目の無い怪物の顔を見る。


「ココハサァ…ボクノカリバダッテ……ワカッテルヨネェ?」

 怪物が巨大な口を動かし、悲劇に応える。


「ヨコドリハ、コロスシカナイヨネェ?」


 その瞬間、おびただしい数の弾丸のような血晶が悲劇、纐纈優梨を狙って放たれる。

 地面のコンクリートを抉るほどの威力のそれらを悲劇は紙一重で躱す。

 悲劇は今日初めて回避行動を見せたのである。


 血晶の乱れ撃ちが中断され、悲劇の足元に『喜劇』握りしめたままの腕で薙ぎ払いが入る。

 これも回避


 二本目、ついで真上からの拳、地面にヒビが入る

 これも回避


 三本目と四本目斜め上方からのチョップ

 軽自動車程度なら爆散しかねない破壊力の結晶を、紙一重で避け…きれずに鎌状の朱殷手で受け止める。

 いや、正確には受け止められてなどいない。

 破壊そのものといってもいい攻撃の威力を殺しきれず、腕もろとも『悲劇』の鎌が肩口からもぎ取られる。


 悲劇、纐纈優梨の方からおびただしい量の血が吹き出す

「ぁあああ! くそがあ!」

 数秒かけて腕を再生し、再び鎌を構える。

『悲劇』の異能『復讐』も、もはや人の形を成していない『怪物』には効果が甘いのか、鱗が数枚傷付いただけだった。

 それもすぐに回復した『怪物』が次の攻撃を仕掛けようとする。


「『主人公補整』!」

 怪物の拳がこじ開けられ、血まみれの『喜劇』ルピナスが脱出する。

「優梨、にげよう! わたしたちじゃかてない!」

「逃げる…だと……末席如きに遅れをとるわけにはいかない……」


『悲劇』は『怪物』を睨む。


『怪物』が口元を歪め邪悪な笑みを浮かべる。

 その上から

「その首切り落とす、血器『正宗』」

 日下部の握る大太刀が、月光を纏って怪物の首を狙う。


「無駄だ、日下部名誉捜査官様よ」

『悲劇』が鼻で笑って告げる。


 その言葉の通り、怪物の首を落とすはずの斬撃は、怪物に触れる直前軌道を大きく逸らして地面を抉る。


「龍化したそいつに攻撃を当てるのは無理だ、そいつを殺したかったら自殺させるしかない」

 悲劇が唇を噛みながら言う。


〈これが龍化だと?〉

 草薙、日下部の耳元に、三宅の驚いた声が届く。


 龍化は過剰量の血晶を体内に蓄えた異人に見られる現象だ。

 一般的には肉体が血晶に覆われ、龍のように鱗に包まれた外見になる事が多い。

 脅威度Ⅳ以上の異人にたまに見られるが、このような『怪物』は、歴史上観測された事がない。


「捜査官諸君、今回はここまでだ。予期せぬ妨害が入ってしまった。次はこうはいかないからね。」

 ルピナスの介抱をしながら悲劇はそれだけ告げて飛び立った。

 世界に優しさを求める『悲劇』自身の優しさが垣間見えた瞬間であった。


 残された『怪物』もそれを追うために飛び立とうとする。

 飛び立つ直前

「ココハサァ、ボクノカリバダカラサァ、ツギボクガクルマデニ、ゼンインイショヲ、カイテオイテホシイナァ」

 巨大な口に邪悪な笑みを浮かべて、『怪物』がその場から消え去った。



 かくして、『AOSO本司令部襲撃事件』は多くの謎と多数の犠牲者を生んで、幕を閉じた。


 後日談

 激戦を終えて、現場で被害を受けた捜査官たちは治療を受けていた。

 日下部も『肉体強化』の副作用が酷く、入院していた。

 その病室にて


「やあ、日下部悠」


 一人の男が、いつの間にか音もなく目の前に現れた。

 顔はなぜか暗く良く見えない。

 男というのも声のトーンから判断したまでだ。


「何者だ。」


 日下部は一切動じる事なく応える。


「君も薄々気付いているだろう。常人を超える身体能力、血晶への高すぎる親和性、そして何故か血器を介さず使える君の『不可侵領域』、そして今だって、いつもに比べて体の不調が軽いだろ。

 それらが何を意味するか。」


 男の顔はよく見えないが、その眼は赤く、濁った光を灯していた。


「おめでとう、君は人間から進化した。より上位の存在へ昇ったんだ。

 そうだね。君にもわかりやすく言えば、君はこの前の戦いの中で異人化している。」


 男は軽く拍手をしながら嘲る様に笑う。


「どういう事だ。」


「そもそもだ、異人化はその人間が持つ、異人の遺伝子が発現するというだけの話だ。だから人間と異人に大した差なんてない。それに遺伝的なものなんだから実力に個人差が出るし、発現する原因だって様々だ。まあ基本的には人肉の摂取がトリガーになるんだけどね。」


 君の場合は『肉体強化』の過剰な使用だね、と男が続ける。


「君はイレギュラーの中のイレギュラーだ。遺伝子が発現していない状態でありながら、人知を超えていた。そんな人間、私だって初めて見た。

 だから見てたんだ。『喜劇』の目を通して。

 君の中で発言した異人の遺伝子が一体どんなものなのか、確かめていたんだ。」


「君の持つ異人の遺伝子、それはね、先代の『五劇衆』が一角、『会話劇』のものだ。」


「『会話劇』だと?」

 初めて聞くその単語に日下部が疑問を示す。


「ああ、『会話劇』はいつだって日常そのもの。先代の彼も、世界の均衡を第一に考えていた。いつだって、自分の大切な人を守るために力を使っていた。」


「五劇衆に、そんな奴がいたのか。」


「『不条理劇』の攻撃的な活動のせいで悪く思われがちだけど、『五劇衆』はそれぞれ信念が違うだけで、それぞれが世界をよくしようとしているだけだよ。」


 男がはははと笑って続ける


「そして、君は『会話劇』の遺伝子に選ばれた。だから」


「君を、二つの空席の一つ、『会話劇』に任命しよう。拒否権は無い、私の台本通りに世界は回るのだから。」


 その瞬間、日下部の体の不調が一瞬で消え去った。体の中で『会話劇』の遺伝子が真の意味で覚醒したのだと、日下部自身も自覚できた。


「お前は、まさか」


「私は『劇作家』、五劇衆の創造主であり、『終末時計の共同体』を率いる者。この歪んだ世界を、リセットする者だ。」


 顔を覆っていた闇が消え、目の前の男の顔があらわになる。

 白髪の青年が、眼に赤黒い光を宿しながらそこに立っていた。

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世界の不条理に愛を 稀津月 麗慈 @reiji-kitsutsuki

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