第4話 カジマ 三
イヅモの遠征は、神無月の三日月の日に決まった。それまで、準備は忙しい。
稲を収穫し、木の実を摘み、薬草を摘んで蓄え、魚や肉を採って干す。
船で向かうとはいえ、二月はかかる。
途中の灘は波が荒く、そうそう動けないこともある。イヅモの都に着くには三月はかかるだろう。
―心配いらねぇよ、ナダ。オレが付いてるんだからよ。―
陽に焼けた赤ら顔をくしゃっ---と曲げて、厳つい顔がニッ---と笑う。トリは腕のいい船頭だ。ずっとカヅチの水先案内人として腕を奮ってきた。
―イヅモの連中だって、長の腕っぷしには敵いやしないさ。―
ポンポンと肩を叩く手も節くれだって荒浪と格闘してきた時の長さを窺わせる。
―我れが心配しているのはそんな事じゃない---。―
今度の遠征には、厄介なオマケが付いてくる。
ヒルメのクニから来て川向こうに居着いているツヌだ。ヒルメの命令で同行するという。
―お父(でぃ)を見張らせて、難癖の種を探す気か---。―
ナダは、眉をひそめた。
「ん---。あ、そうか。歌垣で、他の女が長にちょっかいをかけないか、心配なんだろ。」
トリはニヤニヤしながら、ナダの顔を覗きこんだ。
「違うっ!」
ナダは、むくれて、プイッと横を向いた。
カヅチの住むこの土地では、春と秋と2回、山に登り、皆で宴を催す。若い男女の知り合い、番(つがい)あう場所でもある。
カヅチはこの土地に来る前、ナダがもっと幼い頃に住んでいた土地でも同じように祭をしていた。
恋慕う男女が互いに歌を掛け合い、番い合う。
戦の多いカヅチの部族では、ゆっくりと知り合うことは難しいし、下手をしたら、番い合う機会もなく生命を落とす男だっている。
考えた末に、堂々と語り合い番い合える祭を行うことにした---のだとカヅチは言う。だから、歌垣は、戦の前の満月の日に行う---という。
―お前だって、歌い掛けてきた奴もおらんかったわけでは無いのに、片っ端から袖にしおって---―
カヅチは顔をしかめて言っていた。
―お前は、お父(でぃ)より強いか、と訊いてやっただけじゃ。―
素知らぬ顔で、幼子の顔を拭きながら、ナダは答えた。
部族には、カヅチより強い男はいない。腕っぷしの話だけではない。カヅチは、心が強い---とナダは思う。揺るがない。ヒルメからどんな難題を突き付けられても、じっくり考えて最適な答えを出す。
―大したものじゃ---。―
とナダは思う。カヅチが泡を喰って焦ったのは、先にも後にも、一回こっきり。
老齢になっても懲りない実父のスサが、ツクバの女のところに通った帰りに
、カヅチの里に立ち寄った時だけだ。
スサとしては、預けっぱなしの我が子がどうしているか気になってはいたのだろう。
―顔を見にきた。―というスサの前にひょっこり現れた娘は---初子の臨月間近だった。
―これは、どうしたことじゃ。誰の子じゃ。―
と目をまん丸くするスサに、ナダはあっけらかんと言った。
―お父(でぃ)の子じゃ。オヤジとお父(でぃ)の血を受けた子じゃ。最強ぞ。―
自慢そうに胸を張るナダを傍らに、頭を掻きながら、済まなそうに言い訳するカヅチは、ちょっと可哀想だった。が、もともとおおらかな性質(たち)のスサは、あっさり赦した。
が、帰り際にカヅチに、―苦労するぞ、お前。---ま、自業自得じゃがな。―
と耳打ちしてカラカラと笑って去り際に、カヅチの手を握り潰さんばかりに力いっぱい握ったことをナダは知らない。
色々と思い巡らせながら祭の支度をするカヅチの里に珍しい客人が訪れてきたのは、弓張り月の頃だった。
「カヅチ、久しいのぅ。---おぅ、お前がナダか、話には聞いているぞ。」
背に何やら道具を入れた袋を背負い、山犬を連れてやってきたその女は、二人を見て、ニカッ---と笑った。
「誰?」
とナダが訊くと、女は―聞いてないのか?―と言いたげにカヅチを見た。が、微笑み、腕捲りをして言った。
「我れはヤコじゃ。鍛冶師をしとる。イヅモに行くんなら、剣を研いでやろうと思ってやってきた。」
女には珍しい焼けた肌とがっしりとした体躯は、鎚を振るって出来たもの。カヅチより、やや年がいっている風ではあるが、若々しく逞しい。
「頼む。」
とカヅチは一言いって、
「漁を見てくる」とそそくさと浜の方に立ち去った。
ナダがぽかん---としていると、ヤコはカラカラと笑って言った。
「相変わらずな奴よのぅ。
まぁ、子作り出来るようになっただけ成長したか。」
へ---?という顔をしているナダにヤコは、臆面もなく言った。
「我れが、初めて会うた頃には小僧だったが、昔から無愛想な奴でのぅ。---我れが大人にしてやったのだが、我れの姪と番うとは、見所がある。---うん、奇縁じゃのう。」
「姪?」
「我れは、ぬしの父の妹じゃ。あれも困った兄じゃったが、あれそっくりの性質の娘が、カヅチのところにおると風の噂で聞いての。一度会うて見たかったのじゃ。」
ヤコは、ナダの頬を軽く摘まんで言った。
「顔は、母親似かのぅ---だが、目のあたりがスサによう似とる。---さ、柄物は何処じゃ。---案内してくれ。」
ナダは、こっくり頷き、スサとよく似たこの伯母を倉に案内した。
ヤコは適当な場所に鍛冶場を作り、早々に支度に取り掛かった。
―あいつは、どうも苦手だ---。―
カヅチは、浜で漁の指揮を取りながら、ヤコがナダにいらないことを吹き込まないよう、密かに願った。
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