薬と革の夜の匂い
先に家に帰る。
一人には広すぎる部屋。
ここは幸いにも難を逃れていたらしく、きれいなものだった。
畑も、収穫をしなければな。などと考えるほどには綺麗なままだった。
話を聞くと、三割程が死んだらしい。
壁の補修や亡骸の片付けなどが行われている。
悲しんでいる暇がないほどに、被害は凄まじかった。
各地で同じようなことがあったらしいと、そんな話も聞こえた。
適当に材料を集めて、煮込む。正直あまり美味しいものではなかった。
いつの間にかに、誰かの作る料理の美味しさが身にしみていたのだろう。
そしてもう一日後にセイミスが帰ってきた。
屈強な肉体ではあったが、今は足を引きずっている。
動くのも辛い様子で、それでも椅子へと腰掛けて項垂れる。
オレよりも深い傷だ。下手なりに料理を作るのを任される。
昨日作ったよりはマシか。と思いながら鍋をかき混ぜる。
「座れ。ナナシ」
「うん?」
「大事な話がある」
料理を作る手を止め、椅子に腰掛ける。
「ルニのことだ」
息が止まる。
この予感は間違いなく、碌な事ではない。
その証拠に、そこまで言ってセイミスが口を開くのを戸惑っている。
煙草を手に取り、咥えて火をつけた。
肺へ取り込んだ煙を吐き出し、それを見つめる。
「あまり、長くないらしい」
ようやく開いた口から、言葉を失う。
「次の季節は多分、越せない」
秋口、冬を越せない。本当に短い。
「すまない」
セイミスが頭を下げる。これだけ大きな男が、小さく見える。
何を言ってよいのか。言葉が見つからなかった。
「ルニミィアは、知っているのか?」
セイミスはその言葉に一つ頷く。
「……そうか」
煙草の火を消し、立ち上がる。
「じゃあ、目を覚ましてるんだ」
顔を見たい。声を聞きたい。
「ナナシ」
医務室、扉を開き、その姿を見る。声を聞いて、心臓が跳ねる。
個室。少しだけ他の医務室よりも機材が良いらしい。
その姿は何時もと変わらない。
「ルニミィア」
ゆっくりと近づいていく。
蒼白な顔をしているのはオレだ。それを見た彼女が笑う。
「貴方のほうが、死にそうな顔をしてる」
横においてある椅子に座る。
「ああ、林檎でも持ってくればよかった」
「じゃあ、次来る時に持ってきて」
ベッドから体を起こして、彼女がオレの右目へと手をのばす。
「もう見えないらしい」
触れる。痛みはあるがそもそも体中が痛む。
「そっか。……そっか」
悲しそうに彼女が見つめる。オレは少しだけ微笑んだ。
彼女もそれを見て微笑んだ。
「聞いたと思うけれど、私ね。長くないんだって。驚いちゃった」
手を下ろして自分の胸元に当てて。
「内臓がちゃんと機能していないんだって。さっきも血を吐いたの」
眉を下げて、目を細めて。
「でもね、まだ生きてるよ。ナナシ」
何と強い子なのだろう。オレは歯を食いしばって居るだけで何も言えなかった。
「ああ……そうだな。生きている」
彼女の顔に手をのばすが、思っていたよりも遠い。片目が見えないだけで、距離が自分の感覚と相違している。
その手を彼女が掴む。少し冷たい。血を喪っていて、体温が上がらないのだろう。
ゆっくりと握り返して、二人で力なく笑った。
例え、誰かが死んだとしても、世界は続く。
生きていくためには食べなければならないし、そのための蓄えを作らなければならない。
三日後にはルニミィアを家に連れて、いつもと変わらない日常を送り始める。
走ったりは出来ないが、歩いたり、ものを作ったりすることはできる。
だが一日の大半はベッドの上だった。
収穫の手伝いをして、それから壁の補修。タレットの修理。やらなければならないことはたくさんあった。
動いている時間は、何も考えずに済んだ。
「ただいま。これでようやく、収穫が一段落付いた」
外で土を払い、井戸水で手を洗い、顔を濯ぎ部屋へと入る。
「おかえり。ナナシ」
パンの焼ける匂い。それにシチューの匂い。
どんなときでも、本当にお腹は空く。
「食器、運ぶよ」
「うん。ありがとう。一緒に食べよう」
食器をテーブルに運び、並べる。
「親父さんは?」
「足の治療で遅くなるって」
「そうか」
手を取って、テーブルまで連れて座らせる。
向かい側に座り、手を合わせる。
「いただきます」
二人の声が重なって、食事が始まる。
他愛のない話。今日はどれだけ収穫ができた、壁の殆どの修理が終わったとか。
時折彼女が蒸せれば、そちらへと行き、背中を擦る。
手元が血に汚れれば、血を拭って、口元を拭いて。
「ごちそうさま」
半分も食べないうちに、彼女は言う。
辛そうな様子に、首を横に振る。
「オレが食べるから心配要らないよ」
と言って、食べる。多すぎるなんてことはない。
「ルニミィアが食べれない分はオレが。だから、ね?」
その様子を彼女が微笑みながら見ている。
最初に会った時を思い出す。もう四年も経ったんだ。
ルニミィアが、その時のオレと同じ年になった。
今でもまだ子供だけれど、その時のオレよりはよっぽど大人に見える。
「ごちそうさま」
食器を片付けて振り向くと、テーブルに凭れ掛かるようにして息を荒げていた。
体を抱き上げると、するりと腕を回してくる。薬と、汗と、花の香り。
強くはせず、行儀は悪いが部屋の扉を足で開いて、ゆっくりとベッドに下ろす。
手を離さないので、そのままベッドに膝を付き、腕を回す。
ゆっくりと背中を擦り、そっと寝かせた。
回されている手に力が籠もる。苦しそうに荒く息をしている。
意識も半ばもないのだろう。必死に生きようとしているのだと。
手が離れると、汗を拭って。
「井戸から水を汲んでくる。そのまま横になっていて」
急ぎ足で井戸へと。水を汲んで壺に入れる。
それを運んで、盥へと水を移した。それをこぼさないようにと部屋に運ぶ。
布をその中に入れる、ひんやりとしていて気持ちがいい。
それをきつめに絞り、そっと額に当てる。心地よいのか少しだけ目を開いた。
「ナナシ」
「いいよ」
微笑んで、手を握る。
コップに汲んだ水をサイドテーブルに置けば、体を起こさせて、コップを渡す。
水を少し飲んだら咽て、血を少し吐いた。彼女の服が汚れてしまった。
「ごめんね?」
「なに、こんなの気にすることじゃない」
口元を拭う。
「ねえ」
ルニミィアが頬に触れる。
引き寄せられれば、少しだけ口づけをする。
血の味がした。
離れて、額を付ければ二人で微笑む。
「替えの毛布を持ってくる。着替えも、体拭こうか?」
「……うん」
いくらかの逡巡の後に小さく頷いた。
今の毛布と新しい毛布を交換して、折りたたむ。
着替えを探して、取り出せば横に置いて。
何も考えずに体を拭いていく。細い体。見た目の傷はある程度塞がっている。
あまり強く触れないように、壊れ物を扱うかのようにそっと。
「一緒に、いて?」
「いいよ」
小さく頷いて、一度布を盥に落とし、絞る。
体が拭き終われば、彼女が横になるのを見て、ベッドの横に座り手を握る。
それが不満だったのか、自分の横をとんとん、と叩いて催促してくる。
困った。と眉を下げて笑えば、横に。
一人用のベッドだ、当然狭い。
特に何かを言うわけでもなく、すぐに寝息が聞こえてきた。
いつの間にかに眠っていたのだろう。
朧気な意識を覚醒させる。カーテンが開かれて、そこから日が差し込んでいた。
髪を撫でられていたらしい。顔を上げるとルニミィアが微笑んでいた。
「悪い。寝てたみたいだな」
目を擦るようにして、それから伸びをして。
「私もさっき起きたところだから」
彼女はサイドテーブルに手を伸ばして、何かを掴んで、それをオレの目の前に。
「右目。これとかどうかなって」
黒い革の眼帯だ。かなり幅の大きい。
「本当はもっと小さくしたかったけれど。上手く出来なかった」
体調が良くない中、どうやらオレが外に出ている間に作っていたらしい。
受け取れば身につける。
「どう?」
「ふふ。カッコいいよ。似合ってる」
付け心地はなんだかなれないが悪くない感じがする。
手鏡を渡して見せてくれる。
表情がわかりにくいと思った。でも、この右目を見せるよりは印象は悪くないかもしれない。頬の傷跡、すっかりまともな見た目ではなくなってしまった。それでも、それはいいかな。と思う。
精巧な作りのものではなかったが、オレには丁度良かった。
「今日は一日、休みをもらったから、ゆっくりしていよう」
一日、二日、五日、十日。
日に日にルニミィアが弱っていくのがわかる。
起き上がってくる時間が無くなってきた。
周りの人間が気の毒に感じたのか、オレが仕事もせずに家に居ても、誰も何も言わない。
起きているのか、眠っているのかわからない彼女に、オレはただ言葉を紡ぐ。
何を見て歩いたか、どうやって笑ったか。
部屋を飾る。摘んできた花を花瓶に生けて。
薬の匂いと、血の匂いと、花の匂いが交じる。
汚れた衣類を洗い、毛布を取り替え、顔を拭いて。
時折目を開いてオレを見る。
せめて、せめて笑っていようと。にぃ、と笑ってみせる。
「ナナシ……」
名前を呼ばれれば、目を細めて頬を撫でる。
くすぐったそうに微笑む。
よく、笑う子だ。
だからオレも笑っていよう。
部屋に入るとルニミィアが体を起こしていた。
替えの水を落としそうになるが、それでもゆっくりと近づいていく。
「起きていたのか」
ベッドの横に盥を置き、椅子に座る。
「うん」
昨日取り替えた花を見ていた。
「少しだけ調子がいいんだ」
それでも血を吐いたのだろう。口元に布を当ててあげる。
困ったように目を細めて笑う。
「もうすぐ、春だね」
窓の外、雪解けが始まっていた。
「そうだな。新しい、春が来るんだ」
呼吸が止まりそうになる。
「ねえ、ナナシ。何か話を聞かせて?」
すっかり暗くなった外を見たまま彼女は言う。
少し考えてから、話し始める。
空の向こうの景色の話。
実際は聞いただけの話。
空の向こうから落ちてきたという人間が居た。
その言葉を自分なりに纏めて、言葉にする。
そこでは文明がもっともっと発展していて、色々なものがある。
本物の腕と同じ様に動く義手や義足。
燃料がなくても永遠に発電するパワーセル。
銃弾を剣で弾く剣士や、百発百中の射手。
様々な動物を集めた動物園という場所。
海というものがあって、そこにも知らない生物が沢山いる。
この世界にも、未だ見たことのない動物がいる。
角の生えた白い巨大な生物。爆発物を体内で生成する小動物。
微笑みながら彼女は聞きながら頷いている。
「ナナシがね、話す時に使う言葉が好き」
ふと、聞きながら彼女が言う。
「言葉を選んで、綺麗な言葉をいつも聞かせてくれるの」
首を傾げて手招きをする。
小さく笑みを浮かべ、頷けば椅子からベッドへと移動して腰掛ける。
「そうだろうか」
「ふふ。そうなんだよ。知らなかった?」
腕を回してくる。
その手に触れて。
「どうだろうかな。でも、まあ。そういう言葉を使わないほうがきっと良いんだ」
靴を脱いでベッドの上に並ぶ。
「うん。優しいね」
「そうか……?」
「もう、自分のこともちゃんと知ってね?」
とん。と背中に彼女の頭が当たる。
「まあ、うん。そうする」
「好きよ」
「オレもだよ」
振り向いて、こちらからも手を回して抱きしめた。
だいぶ痩せた。更に細くなったのだと。
背中に回された力が強くなる。それでも、とても弱々しい。
言葉もなく、ただオレたちは静かに佇んでいた。
多分、お互いに理解していたのだ。これが最期だと。
窓の外。今は闇だ。
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