鉄と心と季節の匂い

 アラートが鳴り止んだ。それと同時に何かの爆発音のようなものが響く。

 東区画――つまり現在地。

 掴んでいたルニミィアの手を引き、もう片方の手で軍用のライフルを手に取る。

「逃げるぞ。ここに居たら危険だ」

 青い顔をしたルニミィアが頷けば手を引いて走る。

 外に出ると、空にはドロップポッドが複数見える。

 そのうち二つは逃げる先の扉の前に落ちるだろう。

 他の道では既に銃声がしている。交戦が始まってしまっていた。

 ドロップポッドが着地して開くまでにタイムラグがある。このままこの道をその間に抜けていくしか無い。

 二つのポッドが降下しながら逆噴射している。

 目の前の扉を抜けるよりは落下が遅い。

「あっ」

 声と一緒に、掴んでいた感覚が消える。

 振り返ればルニミィアが転んでいた。

 慌てて起こすが既に着地し、外殻が剥がれ落ちていく。

 二分の一。実際にはもっと分が悪い。両方火器を持っていたら躱しきれないかもしれない。

「ルニ! 耳をふさげ!」

 ルニミィアを庇う形を取りながら身を低くして銃を構える。遮蔽がない。

 中から宙族が出てきたと同時に引き金を引く。何処かにさえ当たれば凌げる。

 相手が構える頃には銃がけたたましい音を鳴らして宙族の男を蜂の巣にする。

 気の毒だと思う暇もなく、もう一つのポッドから出てきた男が迫る。

 幸運なことにナイフだ。だがすでに距離は詰められた、ナイフの軌道が首を狙っている。体を捻って何とか掠めるに留めた。

 だが、その後の狙いはオレではなくルニミィアだった。

 銃を構えるより先にナイフがルニミィアへと向かった。


「やめろッ!!!」


 腕を伸ばす。

 何とか届く。

 ナイフが自分の右手の手のひらを貫通していくのが見えた。

 だがおかげでその刃は止まる。


「させる、か」


 そのまま握り込み。押し返そうとする。

 だが力が足りない。相手の男が体重をかけてそのままこちらの体を突き刺そうとする。

 その時に銃声一つで相手の男の頭が吹き飛ぶ。


「大丈夫かナナシ。ルニも」


 扉から出てきたセイミスが両手で持ったライフルで撃ったようだった。

「何とか、助かった……」

 膝を付きそうになるのを何とか押し留め、頬から流れる血を拭う。

「お前、手が」

「いや、大丈夫だ。もともと利き手は左だし」

 痛いのには変わりない。ナイフを引き抜くとその場に捨ててルニミィアを見る。

「行こう。ここはこの後もっと酷くなる」

 言葉が出ないのか、小さく頷くルニミィアの手を左手で掴む。

 お互いの緊張がそれぞれ伝わっているのだろう。緊張で指先が冷たい。

 三人で、急いで中央区へと向かう。

「……焦った」

 ぽつり、ため息を吐きながらオレは呟いた。

「ルニミィア。見ないほうが良い」

 中央区は既に制圧済みだったらしく、少し血と倒れている宙族。

 息があるものもいるが、その血の量を見ればすぐに死ぬだろうとわかる。

 医務室には今は誰も居ないようだった。

 おそらく他の医務室に医者が行ってしまったのだろう。

「敵は大丈夫そうだな。座れ」

 一応敵が潜んでいないかを確認してから椅子に腰掛ける。

 セイミスが棚を漁り、医療品を確認する。 

 使えそうなものを見つければ持ってきて隣の椅子に座る。

 実際貫通したのだ。手のひらを改めて見ると向こう側が見えた。

「いってえええええ!」

 医務室に声が響く。

「煩い、静かにしてろ」

 頬と右掌の傷。

 殊更右手は貫通しただけあって、痛みはまさしく刺すほどに痛い。

 やや乱暴にセイミスが治療してくれる。

 他には戦闘もあってか、コロニーにある幾つかの医務室の一つに三人で佇んでいた。

 昔左手も同じ様に痛みで一日悶えていたことを思い出して苦笑する。

 心配そうにルニミィアが見る。

 無事な左手でそっと頬に触れる。

「無事で良かった。本当に」

 何とか無理やり笑顔を作って、彼女を見た。

 彼女は何も言わずに抱きついてくる。

 そしてゆっくり肩を揺らしてと涙を流す。

 手持ち無沙汰になった手でその頭を撫でるしかなかった。

「大丈夫。大丈夫だからさ。ほら、親父さんが」

 セイミスを見ると満足げに頷いていた。

 なんとも言えない恥ずかしさと、心地よさのようなものを感じて、左手を背中に回した。

「ぐすっ……ぐすっ……」

「オレならここにいるよ。ルニミィアが居るから」

 ルニミィアがゆっくりと顔を上げる。

 いつも笑顔の彼女の顔が涙に濡れている。右手が傷まなければ涙を拭うぐらい出来たのだろうが。

 ビーコンの音が響く。宙族の撤退の合図に溜息を吐く。

「もう、大丈夫だ。な?」

 とんとん、と背を叩いた。子供をあやすように。

「うん。うん」

 ルニミィアの手が頬をなぞる。今は右手の痛みが強いせいでなんとも感じない。ただ、首の近くまでの裂傷だ。数センチずれていたら死んでいただろう。

 だけど、目の前の存在を守れた。それだけで救われた気がした。

 もう一度手を回して抱きしめてくる。強く。

「どこにも行かないで。置いて、行かないで」

 心臓が跳ねる。罪悪感ではない何か。

 ああ、そうなんだな。と。思う。

 自分が鈍い男ではないと思っていたが。自分自身についてはこうも鈍いのだ。

 ちらっと見れたセイミスがにやにやとしているのが腹ただしい。どっか行けよ。

 少し長めに息を吐いて、ゆっくりと口を開く。

「大丈夫。何処にも行かない。一緒にいる」

 言葉を選び、怖気づきそうになる自分に目を細めて。

 ここで言わないのは男でもないな。とも思って観念する。

「その、なんだ。オレ、キミが好きなんだ。一人の女性として」

 しどろもどろ。そこまで言うと、ルニミィアが顔を上げて目を見開いた。

 少し、そのまま見つめ合う。ルニミィアの顔の血色が一気に良くなるのが解った。

 慌てて体を離して、ちょっと押されれば遠ざかっていく。

 あれ、もしかして、勝手な思い込みだったか。などと思っていると。

「私も好きよ」

 セイミスの後ろに隠れながら、その顔をちらっと覗かせる。

「大好き。ナナシさん」

 赤い顔で、さっきまで泣いていたとは思えないほどの笑顔で。

 目の奥が熱くなってくる。きっとオレは泣いているんだろう。

 よりにもよって、彼女の父親の前でこのやり取りをするなんて、きっとおそらく、この先もずっと遊ばれるのだろうな。なんてことを思っていた。

 気を利かせたのか、治療が終わったからか、セイミスがルニミィアの頭を撫でれば様子を見に行くと言って医務室から出ていく。 

 その背を見送ったルニミィアが隣に座る。今までにだってこうやって隣に並んで座っていたはずなのに、今は何もかもが違って感じる。心地の良い緊張。

「な、なあ」

「なあに?」

 あの親父。居なければいないで気まずい。

 上ずりそうな声を極力押さえて言う。

「その、名前」

「うん?」

 首を傾げてオレを見る。

「名前を、呼んでくれないか……?」

「うん。いつでも呼ぶよ。ナナシさん」

「ありがとう」

「ナナシさん」

 抱きついてくる。今度は何も考えずに抱き返す。

「ナナシ」

 とても心地よく感じる声、優しい感触。そうだ。



 キミが呼ぶから。オレは「ナナシオレ」なんだ。 



 また、秋が来る。

 傷も癒えて、マーロウに荷物を積み付けていく。

 結婚指輪。等というものを買うことになって、その為に必要なシルバーを調達するために商隊を組んでもらった。

 次の冬には、ささやかな結婚式を上げる事になった。

「準備できたよ。ルニミィア」

 また少し髪が伸びた。

 ルニミィアがくれたから、ピアスを開けた。

 最初は痛かったが、お揃いだね。と言われてしまっては、悔しいが嬉しいと思う。

 この季節は好きだ。豊穣の秋。果実が実り、畑が一面金色に見える。

 色々な景色を見て回ったけれど、オレはこの景色がたまらなく好きだ。

 あの時に、手に取らなくてよかったな。なんて思ってしまう。

「うん。いこっか」

 手を取り、マーロウに乗せる。もう慣れたものだ。

 手を離すと、名残惜しいと思う。自分の手を見ていたらルニミィアが微笑んで手を重ねてきた。

「敵わない。人をよく見てきたつもりだけど、全然、そんな事なかったんだな。オレは」

「ナナシはね。優しいんだ。ちゃんと人を見て、望む事をする。ただ、自分は見えないんだよ? だから私が見てるんだ」

「んん……。そういうものなのか」

「そういうものだよ。私を見てくれてありがとう」

「なんか照れくさいな。キミが全部くれたんだ。あの日に、オレがナナシになった日に。全ての世界が、別のものになった」

「そっかー。嬉しいな」

 体を寄せてくる。片手で抱き寄せれば手を握る力を少し強めて、空を仰ぐ。

 大地は緑で、空は青い。

「煙草の匂いがする。ナナシの匂い」

「なんかそう言われると臭いみたいじゃないか」

「そんなことないよ。この匂いが好き」

 ぎゅう。とルニミィアが回す手の力が少し強くなる。

 風に揺れる髪にそっと触れ、撫でる。

「前に世界の果ての話をしたよな。こうやってマーロウの上で」

「そうだね。空の向こうの話も」

「チキュウの話も」

 ルニミィアも空を見上げた。

「あっという間だったね」

「それで、いつか空の向こうの景色を、見に行こう」

 少し間をおいて、目をパチクリとさせた。

「空の向こうに?」

「宇宙船、っていうものがあるらしいんだ。他のコロニーで聞いたんだけど、空を駆ける船なんだって。空の向こうには、もっとたくさんの世界があるらしいんだ。そこでは、もっともっと色々なものがあって、夜も明かりが消えない。煌めく世界GlitterWorld混沌の世界MidWorld。……さしずめここは辺境の世界RimWorldってところかな」

 少し日差しが眩しい。それでも風が涼しくて心地が良い。

「凄いね。私の世界はコロニーの中だけだったけど、もっとたくさんのものがあるんだね」

「ああ。コロニーなんかよりも、もっとたくさん人が居て。派閥、なんてものじゃなくて、国っていうものがあるらしい。前に言ってた、ハーメルンの笛吹き男の話もブレーメンの音楽隊の話も、きっとそこでは現実にあった話なんじゃないかな」

「そこに、連れて行ってくれるの?」

「いつか。もっとお金を貯めて……宇宙船は買えるのだろうか。自分で作るのは、でも難しそうだなあ」

「私も手伝うよ。一緒に」

「そうだな。そうすればきっと」 

 見上げていた空がやけに眩しいな。と。太陽は後ろにあったはずなのに。


「なんだ……?」

 

 空の青に、緑が浮かんでいた。 

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