街と髪と銀の匂い

「ナナシ。気をつけろよ」

「ナナシさん。今度はどれぐらい?」

「10日ぐらいかな。東にあるコロニーが仲裁して欲しいってさ」

 馬に、つけた荷物を確認する。食料、毛布、路銀。それに武器。

「まあ、無理はしないようにな」

「気を付けてね。帰ってきたらビーフシチュー作ってあげる」

「それは楽しみだ。じゃあ行ってくるよ」

 ルニミィアが瑪瑙めのうという名前をつけた馬。シルバーが溜まって、ようやく買った。

 愛馬になったその馬に乗り、見送る二人を背に走らせる。

 

 更に2年半年。

 半分はコロニーに居なかった。

 シルバーの続く限りに馬を走らせて、色々な場所を見る。

 初めて見る場所ばかりで、いつもワクワクしていた。

 小さな、でも堅牢なコロニー。大きくて人がたくさんいるコロニー。

 大通りに店がたくさん並んでいて、活気のあるコロニー。

 音楽隊と同じ名前のコロニー。おどろおどろしい名前のコロニー。

 コロニーの一つ一つをとっても、世界が生きていて、自分の預かり知らぬ場所で誰かが自由気ままに動いている。

 色々な人と出会った。ナナシという名前がインパクトがあるらしく、それでまた覚えてもらうこともあった。

 人と話すことが性に合っているのか、コロニーの人達からも新しい交易先を探してくれと頼まれたり、派閥間の揉め事の仲裁に入ってくれと依頼されたりもした。

 コロニーに戻ったら数日休んで、進む座標も決めずにまた馬を走らせる。

 夜は焚き火の近くで暖を取って寝た。

 もしくは木の上で。落ちないようにロープで縛り付けたりして不便だったりもしたが、慣れたらそれはそれで寝心地は悪いが、寝れないこともなかった。

 遭遇した人にいきなり撃たれたこともある。運良く逃げられた。

 一人であることで逃げることに躊躇する必要がなかったのもあった。

 ルニミィアがシルバーを宝石に変えておくと良いと言った。

 案の定逃げる時に宝石を投げれば、我先にと隙を作ることも出来た。

 怪我をすることもあった。セイミスとルニミィアにバレないように少し長めに休んでから帰ったりもした。

 すぐにバレた。だいぶ怒られて、暫く家から出られない日もあった。

 また外に出る。

 世界はこんなにも広いのか。世界の果てなんて何処にあるのだろう。

 そんなことを考えながら馬を走らせた。


 そしてまた、あの家に帰る。


 家に入ると、パンの焼ける匂いと、料理の匂いがした。

 いつもルニミィアの料理は手が込んでいた。

 何度かオレも作ってみたが、同じようには中々ならなかった。

「髪伸びたね」

 料理の途中だったルニミィアが鍋をかき混ぜる手を止め、火を消す。

「そうだな。鬱陶しくなってきた」

 上着を脱ぐと椅子にかけ、欠伸をしながらその椅子に腰掛ける。

「またすぐに出るの?」

「暫くは、休むよ。地図もだいぶ埋まってきたし」

 首を回し、肩を回し。煙草を咥えて火をつける。

 紫煙がゆるく上がり始める。

「また煙草? もう」

 煙草の煙が苦手らしい。渋い顔をした彼女がこちらを見ている。

「ちょっとぐらい、いいじゃんか」

 落ち着く。見慣れた石造りの天井。

 少しだけ余裕ができて、家の中に絨毯が敷かれていた。落ち着いた緑色にアーガイル模様。どことなく好きだった。

 向こうにはオレの部屋。暇つぶしに作っている金物がそのまま置かれている。

 その逆にはルニミィアの部屋。その隣に親父さんの部屋。

 時間がある時に少しずつ増築して、家具を作って空間を広げた。

 あの四角に切り取られた部屋が今では記憶の彼方にある。

「ナナシさんの作る煙草の匂いは、嫌いじゃないよ」

 流れる紫煙を見上げながら、ルニミィアはくすくすと笑う。

 かしかしと髪をかいて、それから灰皿で押し消す。

 いつからか、自分で煙草を調合するようになった。ハーブや、ベリーの葉。少しだけ甘い香りがする。なんとなく褒められた気がして嬉しかった。

「そっか」

 微苦笑。ため息を吐いていると、ぐい、と髪の毛をひかれた。

「邪魔でしょ? こうしたら良いよ」

 横に回ったルニミィアがオレの髪を掬い、触り始めた。

 何をしているのかよく判らなかったが、髪を梳かしているのだろうとそのままに。

 髪の毛に触れられるのは好きだ。なんとなく心地よさを感じる。

 手にとった地図を見ると、この周辺の大半が埋まってきた。

「次はどこに行くの?」

 地図を覗き込んでくる。地図の白紙の部分に指を添わせる。

「北の方かな。この辺りはまだわからないな。ただ、行くなら春を待ってからだなあ」

 流石に防寒着を着込んだとしても、冷えるものは冷える。寒さは体を動けなくさせてくる。凍えるのはそんなに好きじゃない。

 暖を取るためにもより多くの薪がいるし、進む足も雪に取られる。

 旅に出るなら、やっぱり春だ。夏も悪くないけれど。秋にはここに居たい。

「できたよ」

 じゃーん。と言うルニミィアを見ると、オレの髪の毛を三編みにして持っていた。

「器用だな」

 おお。と感嘆の吐息を漏らす。

 確かにこれは邪魔にならない。

「それでね、ここに金糸とか銀糸とかを編み込むのです」

 一度解いて、言うとおりに銀糸や金糸を編み込んで三編みにしていく。

「たしかにこれなら財布には困らないな」

「色んな場所に隠しておくと良いんだって」

「でも、これは回収するのは手間だろうけどな?」

 二人で笑う。

「そうだ。土産物があるんだ」

 銀糸、金糸と聞いて思い出す。立ち上がれば下ろした鞄を手に取る。

 どこだったかと漁る。旅先で仲良くなった男に、年頃に娘に送るならお勧めだぞ。と半ば押し付けられるように買ったんだった。

 それほど深いところには入れてなかったはずだ。すぐに見つかればその小さな小箱を取り出してルニミィアに見せる。

 それを不思議そうに見るので、手渡した。

「開けても良い?」

 頷いて答える。

 彼女が紐をするりと解いて、蓋を開く。

 小さな宝石で細工されている銀製のイヤリング。

「まあ、その。付き合いで掴まされたもので悪いんだけど」

 とても、とても嬉しそうに手に取る様子に、もうちょっとマシな言葉を言えばよかったと後悔しながら苦笑いを浮かべる。

「ありがと。ナナシさん。嬉しいよ」

 耳飾りを付ける姿を、多分オレは見惚れていたんだ。

「似合うよ」

 オレはこんなに口下手だったか。と内心苦笑する。

「そっか。えへへ。ナナシさんからプレゼント貰っちゃった」

 そう言われて、4年近くもいるのにこんなものしか贈っていなかったのか。と気付いた。気が利くつもりでいたオレは馬鹿だ。

「ごめん。オレ」

 普段自分でも驚くようになめらかに動く舌が、その機能をろくに果たさない。

「良いんだよ。こうやって帰ってきてくれて嬉しい」

 それを察したのか、そうじゃないのか彼女は笑う。

「ナナシさんが良ければ、……ずっとここに居て良いんだよ?」

 少しだけ寂しそうに、目を伏せた。

 夏から秋に変わる。外の景色が緑から黄金へと変わり始める時期。

 髪に触れる。三編みになった髪の毛。

 また彼女に一つを貰った。

「オレは、さ。74番って呼ばれていたって、最初に言っただろ?」

 彼女が向かい側に座る。

 両手を膝において、

「オレは何も知らなかったんだ。自分の名前も、生き方も」

 ぽつぽつとつぶやき始める。

「それまでの17年と、今ここで生きてきた4年。……本当に17年だったのかも解らない」

「……?」

「名前を忘れただけじゃなくて、記憶ももう覚えていない。家族があったのかも知れない、でも、本当に生きてるのは、きっと今なんだ」

「ナナシさん……?」

「オレには、家がなかった。宙族に連れられて、四角い部屋の中と人を殺すための訓練の繰り返し。殴られて血を流して、それだけの日々」

 それを聞いて、悲しそうな顔をしているのが目に映る。

「こうやって今、旅をしてたくさんの場所を回って、気持ちが高鳴るんだ。それで少しは世界を知って、世の中を渡る事を楽しく思う」

「結局、オレは何も知らなかった。ルニミィアの方が、よっぽど世界を知っていた」

「それは……」

「悪い。そういう話をしたかったんじゃないんだ」

首を横に振る。

「色々なものを見て、色々なものを知りたい」

「そっか……どこか、行ってしまうのね」

 少しだけ潤ませた瞳で、寂しそうに笑う。

「違う。そうじゃないんだ」 

 立ち上がって、手を差し伸べて。

 その様子に不思議そうに、少し戸惑ってから手を重ねてくる。

「ここはね。オレの、帰ってくる場所なんだ。どこにも行かない」

 言葉に出してようやく気付く。こんな単純なことに。

 手を握る力が強くなる。目を擦ってから嬉しそうにオレを見て来る。

 たったこれだけなのに、こうも心が跳ねるのだから。

「ルニミィア――」


 続く言葉は警報に消えた。アクシデントが起こった際にコロニーに鳴り響く警報。。


『赤の警報。赤の警報。敵性は宙族。ドロップポッド多数。落下先は東区画と予想。作業員は一度中央区画に退避。戦闘員は武装を。中央区画から東区画を。作業員の退避を優先に。繰り返す――』


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