人は、そして私は何故小説を書くのか。そして読むのか。

 人は何故小説を書くのだろう。

 こんな云い方をすると、書きたいからに決まっているだろう、とわれてしまうかもしれない。私もそう思う。

 と云うより、事実私もそうなのだろう。アイデアが浮かべば無性に書きたくなるし、常日頃からネタになりそうな出来事を探している節がる。


 ただ、私にはもう一つ小説を書く理由がある。


 貴方はレイチェル・カーソンという方をご存知だろうか。農薬の危険性を書いた本「沈黙の春」の著者である。彼女は幼少期の頃家に在った本を全て読破してしまった。しかし彼女の家はそこまで裕福ではなかったので本は買ってもらえなかった。

 そこで彼女の母がこう云うのである。

 「物語がないなら、自分でつくればいのよ」


 私はかなり速読であるから、新しい本が入っても大体一日で読み終わってしまう。然し、そうぽんぽんと新刊を買い続ける余裕などなかった。そんな時この言葉を聞き、私は目から鱗だったのである。


 これも何かの本の受け売りではあるが、「人は文章を書いている間は世界で最も自由な人間で居られる」、という言葉が在る。成る程、小説の中では著者はなんだってできるだろう。空を飛んだり、書いた小説が大ベストセラーにすることもできたり、恋だって実らせることができる。

 つまり私達の「読む」という行為は、その他者の空想世界を本という媒体を通してのぞき見るという事と云うこともできるかもしれない。


 例を出すと、小栗おぐり虫太郎むしたろう 先生の著作に「黒死館殺人事件」なるものがある。”日本三大奇書”の一つであるこの本を例に出すのは少しまずかったかもしれないが、一般的にこの本は 虫先生(小栗虫太郎先生、では少し長いので私はいつもこう呼んでいる)の空想世界の全てが詰まっていると云われる。


 …ああ、やはりこの本を例に出すのは拙かったかもしれない。と云うのもこの本の内容は、私にとっては虫先生の空想世界の終着点と云うよりかは、彼の玩具箱おもちゃばこのような気がするからである。推理、オカルト…、その他諸々彼が好んだもの全てが詰め込まれた本。詳しく知りたい方は是非読んでいただきたい。

 ただし先に断っておくが、この本は難解な上かなり長いので、読破するのにかなりの覚悟と気力が必要になるだろう。私も途中で突然 独逸ドイツ語が出てきた際には驚いたものだ。流石さすが日本三大奇書の一角である。読む方はあらかじめ注意されたし。


 いつの間にか本紹介になってしまったので、先程までに私が云っておきたかった事を軽くまとめると、小説は作者の中に在る空想世界が具現化したものであって(若しくは玩具箱であって)、本という媒体はその世界を覗き見れる、所謂いわゆる”窓”のようなものなのではないか、ということだ。


 つまり云い換えると、「小説家」とは自身の空想世界を覗くことのできる”窓”を創る仕事であり、「読書をする」とはその本の著者の世界、自分の知らない世界を覗きに行くことを意味する、とも云える。

 ならばその ”窓”をより多くの人に楽しんでもらえるのが、小説家としての本概ほんがいであろう。


 私も、色んな人に楽しんでもらえる”窓”を、沢山創っていきたいものだ。

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