日常の狭間

木魂 歌哉

四谷怪談を、観る。

 ”夏”と云えば怪談であるが、今は暑さ残る九月である。とはえ、今日この頃は涼しさの欲しい気温であるから、これから観るが「東海道四谷怪談」であるのは非常に喜ばしいことであった。この蒸し暑さを吹き飛ばすような怖さを期待して、私は入り口の門をくぐった。

 生暖かい風が、私の横を通り過ぎていった。


 結論から云うと、私はあまりの恐怖に身体の芯まで冷え切った気分であった。しかながらその恐怖は、お岩さんの変わりきってしまったあの顔や、観る者を恐怖に突き落とす演出に対してではない。

 私は、演目の間に垣間かいま見えた人間の持つ闇の部分に、たまらない恐怖心を抱いたのである。そう、おおよそ娘を愛するが故にお岩さんをおとしいれた伊藤家の人々や、それを最終的に受け容れ、お岩さんと縁を切った上、己の残忍さをことごとく引き出した伊右衛門の姿に、恐れをなしたのである。“悪の権化”の姿に…


 一時期、歌舞伎に興味を持っていた私は、本などを読みあさった結果、まぁ「四谷怪談」の内容も当然知っていた、即ち“予習”を済ませていた訳で、有難ありがたい(?)ことに本来怖がるべきところで怖がることはなかったのである。

 そのおかげで私は役者の演技力に目を向けることができたのであるが、誠に圧巻であった。私はそれにる種の執念のようなもの感じ(こういうのを世間では役者魂と云うのだろう)、怪談の雰囲気、登場人物たちの闇とも相まって震え上がってしまった。私の心は彼らの演技に、二重の意味、即ち恐怖と感激に打ち震えたのである。


 震えたと云えば、これは余談なのだが、直助がお袖に云いよった挙げ句に「与茂七よもしちが薬ならお前は毒だ」とかなり精神にくる毒を吐かれる場面がある。あんまりな云われ様である。これを云われてしまった直助の姿もまた滑稽で、会場からは笑い声が上がった。私も、周りに笑っていた。然し乍らこの時、私はこのブラック冗句ジョークに足が震えていたのであった。


 この言葉が、後にお岩さんが渡される薬が毒であるという伏線であることは云うまでもあるまい。


 朝、期待を胸にくぐった門を、出る。ちょうど今は蒸し蒸しとして暑いはずの時間なのにそこまでなのは、先程までの寒気の余韻よいんが残っているからであろう。

 その日、人間がいつの時代も恐ろしく思うのはやはり心の中の闇が現れた時であるのだなあ、と考え乍ら私は帰路きろについたのだった。

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