姫川 美園

第30話 だーれだ?

 俺は帰宅すると私服に着替えてから自前のリュックを背負うと歩いて塾へ向かった。東衛までは徒歩で行くと30分くらいかかるけど、だからと言ってバスで行くと逆に大回りなるから俺はいつも徒歩だ。

 この塾では自分の選択したコースのやりたい課題の動画を見ていくのが普段の日課だ。模試の時は別だけど決まった時間割で授業を進めるのではないから、時間に縛られる事はない。でも、逆に言えば自分でスケジュール管理する必要があるのも事実だ。

 俺が行った時には半分くらいのスペースが埋まっていたから、空いている適当な席に座って今日の課題を始めた。講義の動画の視聴だから他人の迷惑になるからイヤホンで聞く事になる。俺は3日間行ってなかったから、その穴埋めではないけど4時間も籠っていた。途中で左右の席の人が変わったようだけど別に気にしてなかった。

 さすがに7時を過ぎたから今日は終わりにしようと思って立ち上がり、足元に置いてあったリュックを手に持って歩き出した。俺が立ち上がると同時に左にいた人も立ち上がったようだけど、壁で仕切られているから誰が座っているかなどと確認する事もしなかったし興味もなかった。

 俺は部屋を出て、塾も後にしてエレベーターの『▽』を押した。ここは3階だから階段でもいいのだが、面倒だからいつもエレベーターだ。

「はーーーー・・・」

 俺はエレベーターを待っている時に深いため息をついた。当たり前だ。何しろ俺の家には塾にも行かず主席入学した奴がいる。それに比べ、俺は2年生の夏休み明けから平日は最低3時間、土・日・祝日は下手をしたら8時間も塾に籠って、英語は同じ物を3回に渡ってやるまでして頑張って、ようやく合格したところにアッサリ入ったとあれば、俺のガッカリ度を分かってくれますよねえ。

 俺は少しうつむいたままエレベーターの扉が開いたので乗り込んだが、エレベーターの中には誰も乗ってなかった。ただ、誰かが一緒に乗り込んだというのだけは気付いたけど顔を上げなかったので男なのか女なのか、塾の学生なのか無関係の人なのか、それすら確認してなかった。

 俺は『1』のボタンを押した後に『閉』のボタンを押したから扉は閉まり、エレベーターは動き出した。

 でも・・・その時、いきなり俺の目を誰かが後ろから手で塞いだ!


「だーれだ?」


 いきなり俺の後ろで声がしたけど、この声は女性だ。しかも

「もしかして・・・」

「そう、もしかしなくても、もしかするわよー」

 そう言って俺の目を塞いでいた手を離した人がいる。俺は後ろを振り向いたけど、振り向く前に誰なのか分かっていた。そう、声を掛けたのは姫川ひめかわ先輩だ。

「せんぱーい、やる事が幼稚ですよー」

「あー、ゴメンゴメン」

 先輩がニコッとした時にエレベーターが1階について扉が開いたので、俺と姫川先輩はエレベーターを降りた。俺は外に向かって歩き出したけど、先輩は俺の右側に並んだ。

「・・・それにしてもキョーゴ君が同じ学校に来た事も驚きだけど、まさか同じ塾に通ってるとはねえ」

「悪かったですね。でも、俺だって先輩が同じ塾にいるとは思わなかったですよ」

「それはこっちのセリフです。空いてる席を探してる時にたまたま1つ空いてたから座ろとしたら、隣にいる子がキョーゴ君に似てるなあって思って覗き込んだら、キョーゴ君が一心不乱に動画を見てたからねー。一瞬だけど心臓が止まるかと思ったわよ」

「うわっ!俺、全然気付かなかったですよ」

「まあ、私も本当は今日は30分くらいしかやってないけど、キョーゴ君が帰るなら私も今日は切り上げようと思って部屋を出てきちゃったけどね」

 そう言うと先輩は俺の方を振り向いてニコッとしたけど、俺はそのまま歩き続けている。

「・・・先輩、今朝、俺に会った時に『留辺蘂るべしべ君』って言ったのはワザとですよねー」

「だってー、さすがに私も本当にキョーゴ君なのか自信なかったし、それにクラスの子とかスイーツ研究会の子が周りにいる中で『キョーゴ君』などと呼びかけたら、って思っただけだよー」

「せんぱーい、別に中学の先輩後輩、たまたま同じ時に生徒会役員をやっていたというだけですよねえ。別におかしいとは思いませんよ」

「そ、それもそうね、ハハ、ハハ」

「????? (・・?」

 俺と先輩は東衛の入っていた建物を出たけど、その時に気付いたが俺は既に私服に着替えていたが先輩は制服の上にコートを着て鞄を持っている。という事は学校帰りに直接来たという事だ。

「・・・先輩はいつから東衛に通ってるんですか?」

「えーと、たしか年明けからかなあ」

「ふーん」

「さすがに私も入学した時からクラスで下から数えた方が早いし、それに数学と物理が致命的に弱いというのを何とかしないとヤバいって事で、お母さんが私をけしかける形で東衛に行く事にしたのよー。ここが私の家から通える進学塾の中では一番近くて一番リーズナブルだったというのがあるけど、最大の理由は、私の従姉が東衛の手稲ていね校に通っていて、お母さんが色々と東衛の情報を伯母さんから仕入れていたというのもあるけどねー」

「ふーん」

「でも、キョーゴ君もまさか同じ東衛に来てるとは思わなかったよ」

「俺の場合、春休みになってからですよ。それに、この塾は時間を自由に選べるから、たまたま先輩が来ていた時間と俺が来ていた時間が重ならなかったからだと思いますよ。もしくは同じ時間に来ていたけど広い室内だから気付かなかっただけかもしれませんね」

「それもそうね」

 たしかに先輩は新札幌しんさっぽろ中学では学年総合10位前後の常連だったけど、数学と理科、正しくは数学と物理系を苦手にしていたのは俺も生徒会室で何度か先輩のボヤキとして聞いた事がある。でも、先輩の言う事が正しいなら、先輩ほどの実力者でも清風山せいふうざん高校の特進科やスーパー特進科の壁は高いという事だ・・・俺も油断しているとあっという間に取り残されるかも・・・。

「・・・キョーゴ君」

「ん?何ですかあ?」

「もしかして、私に嗾けられたから特進科に入ったの?」

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