第16話「お母さんの思い出 その2」



 翌日、お母さんは朝から居間の掃除を始めた。相変わらずうつ向いた表情で。僕と真紀は朝食を済ませると、そそくさと二階の自室へ戻った。真紀と二人きりで話をした。


「咲有里さん、私に宏一さんのお話をよく聞かせてくれたの」

「そうなんだ……」

「咲有里さん言ってた。『あの人のいない生活にもう慣れてしまうなんて、時というのは本当に恐ろしいわね』って……」


 真紀の目にも涙がにじむ。


「あんなの嘘だった。本当は全然慣れてなんかいなかったんだわ。今でも宏一さんがいなくなったことを悲しんで悲しんで……ずっと泣いていたんだわ」

「……」


 お母さんのことは僕が一番わかっていると思っていた。だけど、全くわかっていなかった。お母さんが悲しんでいるのを、気づいてあげられなかった。

 僕だってお父さんが死んでしまったことは悲しかった。葬式の時にこれでもかという程に泣いた。でも、お母さんの悲しみは僕なんかとは比べ物にならないくらいに大きかったんだ。生涯共に生きていくと決めた最愛の愛人を亡くしたのだから。


「僕ら、お母さんに申し訳ないことしちゃったのかな……」

「うん……」


 僕らや愛さんとアレイさん達は、当たり前のように隣にパートナーがいる。毎日辛いことや悲しいことがあった時に、助け合って乗り越えられる。好きな時に好きなだけ癒しを求めることができる。ハグも、キスも、何だってできる。

 でも、お母さんの隣にもうお父さんはいない。お母さんは愛人に辛い気持ちも、甘えたい気持ちも受け取ってもらうことができない。


 それなのに僕らは、まるで見せびらかすかのようにハグしたり、キスしていた。お母さんの前でも堂々と。その度にお母さんはお父さんを失った悲しみや絶望に襲われ、それを悟られないように笑顔を作って耐えていたんだ。

 愛さんやアレイさんまでイチャつき始めた頃から隠せなくなったのだろう。羨ましがり……と言ったら聞こえは軽いけど、お母さんがとてつもなく苦しい思いをしているのは見逃せないことだ。


「満君、咲有里さんを助けてあげよう!」

「え?」

「咲有里さん、色々相談に乗ってくれたの。今まで私のこと、満君と同じくらいたくさん助けてくれた」


 真紀……。


「だから、今度は私が助ける番……」

「うん、ありがとう。真紀……」


 やっぱり、真紀はとても優しい女の子だ。


「でも、助けるって言ってもどうやって……」

「私に考えがある」


 真紀はベッドから立ち上がる。






 ガチャッ


「満、真紀ちゃん……」

「お待たせしました」

「二人共どうしたの? 話って何?」


 真紀はお母さんに、掃除が終わった後に話したいことがあると告げた。三人だけでゆっくり話すためにお母さんの部屋で待ち合わせした。真紀が何を話すつもりなのかは僕も知らない。


「もう……咲有里さんに話しておいた方がいいかもしれませんので」

「真紀ちゃん?」


 真紀は深く深呼吸し、口を開いた。








「私は84年後の世界から来た未来人です。訳があって満君の生活に干渉させてもらってます」

「え?」

「真紀!?」


 僕は驚いた。何を言い出すのかと思えば、自分の正体を自ら明かした。いいのか? それはタイムトラベラーとしての規則に反してるんじゃ……


「タイムマシンの事故でこの時代に偶然やって来ました。この時代で生き延びるために満君に協力してもらってるんです。この家に住まわせてもらってる形で」

「でも、真紀ちゃん達には新居が……」

「それは私のママが刷り込んだ偽りの記憶です。実際は咲有里さんをマインドコントロールして、この家に住まわせてもらってるんです。隣街から引っ越してきたというのも、新居が建つというのも全て嘘です」


 未来人の命でもあるような秘密を淡々と暴露する真紀。もはや神野家にタイムトラベラーとしての規則がどうのこうの言っても通じそうにない。今までそんなこと、全てはねのけてこの時代に生きているんだから。


「僕はずっと前から知ってたんだ。真紀の言ってることは事実だった。タイムマシンも、この目で見た」

「そう、そうなのね……」


 お母さんは特に驚くこともなく何とも言えない反応を示す。僕だって最初は驚いたのに、やけに鈍い反応だな。一応信じてはくれてるようだけど。


「でも、どうしてそのことを……」

「咲有里さん、宏一さんに会いたくないですか?」

「……!」


 お母さんのメガネがカチャッと音を立てて揺れる。動揺している。そうか、真紀が正体を明かしたのはこのためだったんだ。


「会いたいんですよね? 私にはタイムマシンがあります。もう直ってます。いつでも時間移動ができます」

「お母さん、タイムマシンでお父さんが生きてる時代に行けば、お父さんにまた会えるんだよ」

「……」


 お母さんは大きく目を見開いて僕達を見つめる。


「僕、一度会いに行ったことがあるんだ。話はしなかったけど、お父さんの生きている姿が見られただけで本当によかったよ」

「咲有里さん、私はあなたを助けたい! あなたが宏一さんと離れ離れになったことで悲しんでいるのなら、もう一度会わせてあげたい!」


 真紀と共に必死に訴えかける。お母さんを生きているお父さんに会わせてあげる。それが彼女なりの恩返しなのだろう。僕達青葉家にすごくお世話になった、絶望の窮地から救ってくれたことの恩返し。


「……」


 お母さんは目を閉じ、少し考えてから口を開く。






「会えるのなら是非とも会ってみたい。そう言いたいところだけど、私は遠慮しておくわ」

「えぇ!?」

「お母さん!?」


 お母さんの目には涙は浮かんでいなかった。迷いをすべて振り切った「大丈夫」の目だ。


「会いたいんじゃないんですか?」

「うん。会いたいけど……それはいけないことだと思うの。実際に禁止されているのでしょう?」


 お母さんの落ち着いた口調。昨日の泣いていた様子が嘘であったかのようだ。


「話しかけなければいいんだよ! 遠くから見るだけなら別にいいんだよ! それでも会わなくていいの!?」


 僕はらしくなく声を荒らげる。まだお母さんはどこか欲望を抑え込んでいるところがあるのではないか。お母さんには我慢ばかりしてほしくない。せっかくタイムマシンがあるのだから、少しでも会って安心させてあげたい。


「お母さん……なんで……」

「だって……」





 お母さんは、ゆっくりと口を開いた。


「もし会ってしまったら、私はきっと耐えられなくなると思うの」

「……!」

「遠くから見てるだけなんて耐えられない。たくさんお話がしたい。強く抱き締めてもらいたい。そして、もう一度あの人とキスがしたい。そんな気持ちが溢れ出してしまう。過去に行ってあの人を目にしたら、きっと私はタイムトラベルの規則を破って、あの人に触れてしまうから……」

「お母さん……」

「咲有里さん……」


 僕は自分がなんだか情けなく思えてきた。きっと未来の技術に固着し過ぎていたのかもしれない。死別の悲しみは、その人が生きていた頃に戻って会いにいけば無くなるわけじゃない。

 むしろそれが逆効果になってしまうこともある。お母さんは何から何までお父さんのこと、自分のことを理解していた。すごい人だ。


「わかった。でも、お母さん……それで本当に大丈夫なの? 会えなくて悲しいんでしょ? その悲しみをそのままにしておいていいの?」

「ふふっ、満も男の子ね。全然わかってないところが」

「え?」


 全然わかってない? 一体何が? でも確かに、さっきからお母さんが何が言いたいかがわからない。男の子ってどういうこと?


「悲しみをそのままになんてしないわ」

「え?」

「ね? 真紀ちゃん」

「満君、こういう時はどうやって悲しい気持ちを処理するか、わかる?」


 真紀が笑顔で聞いてくる。え……何? 二人共、何か手を組んでるの?


「……わからない」

「もう……女心がまるでわかってないわね。じゃあ、咲有里さん」

「えぇ……」


 真紀が視線で合図を送ると、お母さんは語り出した。もう何がどうなってるんだ? 女心ってどういうこと? とにかく、僕は真紀と一緒に、お母さんの話に耳を傾ける。お母さんの思い出話に。


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