第12話「親というもの その1」



「それでは後期中間テストを返しま~す。まずは古典ね」


 石井先生が軽いノリで解答用紙の束をいじる。教室中に緊張が走る。


「青葉満君」

「はい」


 僕は返事をして席を立つ。すれ違うクラスメイトの顔を横目で確認してみると、やはりみんな冷や汗で顔がベタついている。中には手を合わせて神様に祈りを捧げる人もいる。そういう僕も正直緊張している。

 後期中間テストで赤点(30点未満)でも取ってしまえば、地獄の補習が待っている。追試はなく、問答無用で冬休みにわざわざ学校へ登校し、補習を受けなければならないのだ。せっかくの休みの大半を学校で過ごすことになる。


「……」


 僕はなるべく緊張を悟られぬように、落ち着いた足取りで教壇の前へ向かう。心も落ち着かせなければ。


「すぅ~、はぁ~」


 手を伸ばす前に一度深呼吸をする。


「そんなに構える必要ないよ。特に君はね」


 石井先生はウインクしながら僕の解答用紙をつまんで見せてきた。



98点



 点数の欄に赤い数字で大きく98と書かれてあった。僕の顔にひまわりが咲いた。


「わぁ……」

「おめでとう、クラスで一番だよ♪」


 僕は満面の笑みで解答用紙を受け取る。


「クラス一位!? すげ~」

「一人目でいきなり一位かよ……」

「満のやつ、やるじゃん」

「カッコいい……」


 自分の席に戻る間に誉め言葉が何度も炸裂した。


「えへへ……///」


 僕は緩みきった口元を元に戻せないまま席に座る。嬉しいなぁ……。真紀と一緒に勉強した努力が実を結んだんだ。よかった。


 テストは次々と返されていった。赤点を回避して歓喜の声を上げる者、赤点を取って絶望する者、様々な喜怒哀楽の花が教壇の前で咲いていった。


「神野真紀さん」

「は~い!」


 真紀が呼ばれた。真紀は満面の笑みで胸を張り、ズンズンと教壇へと歩いていく。すごく自信があるようだ。教壇の前でピシッと直立する。




「はい、補習♪」

「え……」


 真紀の花がしおれた。石井先生容赦ないなぁ……。真紀、僕と一緒にあんなに勉強したのに。


「そんなぁ……」


 真紀は解答用紙を両手で握りしめ、その場に崩れ落ちる。点数の欄には無駄に綺麗な字体で22と書かれてあった。








「22点……」


 びっくりするほど愛さんは目を見開いて真紀の解答用紙を見つめていた。僕は愛さんの前で正座させられている震え震えな真紀を、廊下のドアの隙間から心配そうに見つめる。


 愛さんの方はなるべく視界に入れないようにする。とんでもないモノを見せられそうで怖い。せっかく早く学校から帰ってこられたのに、有意義に使えるはずの時間が説教によって奪われるのか……。


「に……に……」

「に~♪」


 真紀は頬に指を当て、歯を見せて笑った。ふざけているらしい。



「ふざけんじゃないわよ~!!!!!!!」






 愛さんの叫び声は強烈だった。この家に大きな雷が落ちたんじゃないかと思うくらいに激しかった。ついでに少し小規模の地震に近い揺れが発生したと思う。耐震工事は済ませてあるはずだから大丈夫だろうけど……ちょっと心配だ。いや、今はそんなことよりも……


「あんた、何よこの出来は!? こんなんでよくそんなに笑ってられるわね! このバカ娘が!!!」

「ひぃ……」


 真紀は縮こまる。愛さんの説教が本格的に始まった。この人は自分の娘にはめっぽう厳しいんだよなぁ……。もうすぐ神野家のみなさんと一緒に住み始めて二ヶ月経つが、愛さんはもはやそういうイメージが固定されてしまった。



「うへぇ……」


 ソファーで新聞を読んでいたアレイさんが、愛さんの叫び声の衝撃で吹き飛ばされた。ウェーブの髪も寝癖のように跳ねている。わざわざアレイさんがくつろいでいる近くでやらなくてもいいのに……。


「アナタ、見てちょうだい!真紀のテスト!」

「んん……」


 面倒くさそうに真紀の解答用紙を受けとるアレイさん。完全に憩いの時間を邪魔される。この人、最初からアレイさんを巻き込むためにここで説教を始めたんだな。アレイさんも加わって家族ぐるみでの説教が始まるのか……。


「確かに、これは心配だな……」


 アレイさんはやっぱりオブラートに包んだ言い方をする。愛さんと比べたら、アレイさんは自分の娘には優しい方だ。


「だ、だって難しかったんだもん……」


 真紀が精一杯の言い訳を絞り出す。言い訳をしたくなる気持ちもわからなくはないけど……。


「それでも前は努力して70点代取ったことあるじゃない! でも最近のあんたは見れば勉強もやらずに遊んでばっかり……すっごくだらしないわよ。満君を見習いなさい!」


 一番言ってほしくない言葉が出てきた。僕の話題を説教に出さないでほしい。説教に優等生の優位点を提示し、劣等な我が子と比較しながら叱るのは非常に腹が立つものだ。一番やってはいけない叱り方だと思う。

 僕自身そういう説教のされ方はあまり経験したことはないが……。そもそも説教されること自体滅多にない。ていうか、これ暗に自分が優等生だって言ってるようなものだな……。あ、そんなことよりも真紀は……


「満君は今回の古典のテスト、学年一位だったんですってね。余程しっかり勉強してたからでしょうね。あんたと違って」

「うっ……」


 いや、なんで話が盛られてるんだ。学年一位じゃなくてクラス一位ですってば! 流石、他人と比べるタイプの説教は、次々と出てくる言葉が生み出されて叱りやすいようだ。それにしても愛さん、言い方が酷過ぎますよ。


「満君はしっかりしてるわよね~。勉強できるのはもちろん、家の手伝いもしっかりやって、親の言うことをちゃんと聞くんだから。私達にも礼儀正しく接してくれておしとやかよね。それに料理まで上手だもの。それに比べてあなたは……」

「……」


 料理が上手なのは今言う必要ないと思う。それよりまずい、真紀の表情が雲ってきた。怒りが現れている。これ以上追い討ちをかけたら限界を突破して吹き出してしまう。なんとかしたいけど、居間に入る勇気が出ない。


「だいたい自分の将来を何だと思っているの!? 来年は受験生でしょ? それからますます今のまま大きくなって、大人になったら絶対苦労するわよ?」

「僕もこういうことはあまり言いたくないけども、今は声を大にして言わせてもらう。真紀、このままじゃろくな大人になれないからな。今の真紀の未来は、真っ暗にしか見えないぞ」


 アレイさんも真剣に加わってきて、真紀の体が震え始めた。あぁ、ついに……


 ダッ!

 真紀は思い切り立ち上がった。


「何よ、さっきから偉そうに。上からガミガミガミガミ怒鳴り散らして……」


 真紀の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。そりゃああんなに言われたら傷つくだろう。真紀は人生すべてを投げやりにしてしまうかのように言葉を続ける。


「いいわよ、どうせこんな出来損ないの娘いらないんでしょう!? 私だっていらないわよ、口うるさい親なんて!」


 愛さんとアレイさんは口をぽかんと開けて何も言えないでいた。真紀の怒りは頂点に達し、ついにあの言葉を発してしまった。




「パパとママなんか……大嫌い!!!!!」


 真紀は大声で言い放つと、廊下へと出るドアをバンッと開けた。


「うわぁっ!」


 急に真紀がこちらに迫ってきたために、僕は反射的に後ろに倒れ込む。倒れた僕に構わず、真紀は靴も履かずに玄関を飛び出した。


「真紀!」


 僕はすぐさま起き上がり、外へ出て真紀を追いかけようとした。だが、全速力で走って行ったらしく、その姿は家の門を通り過ぎた時にはもう見えなかった。西の空がかすかに雲っていた。








 ピチャッ

 水の滴が頭に乗っかってきた。雨が降ってきたのだ。雨はかすかに私の髪を湿らせる。そんなことも気にぜず、私は無我夢中で走る。地理もまだよくわからない満君の街を、がむしゃらに駆け抜ける。

 とにかくどこか遠くに行きたかった。どこかへ逃げ出したかった。辛い現実と目を合わせたくなかった。この世のすべてが私を否定しているような気がしたから。


 ザアァァァァァ……

 雨が本降りになってきた。構わずに私は走った。何も面倒なことは考えずに。現実の向こう側目掛けて、走った。


 ザッ


「あっ」


 グキッ

 とっさに石につまずいた。その瞬間、右足の付け根が少し変な方向に曲がってしまい、猛烈な痛みが襲ってきた。私はバランスを崩してその場に倒れる。


 バタッ


「痛っ……」


 倒れた地面はもう雨水の池ができるほど濡れていた。雨水は、私の着ていたシャツをみるみるうちに濃く染めていく。雨は次第に強くなっていく。怠惰な私に天罰を下すかのように。実質天罰のようなものだろう。親に反抗して逃げ出しているのだから。


「……」


 ひとまずどこか雨宿りできる場所を探そう。私は手をついて起き上がろうとする。ずっとここで雨ざらしになっている訳にもいかない。風邪を引いてしまう。


 ズキッ


「うっ……」


 ダメだ。右足首の関節が痛む。完全に捻挫してしまったらしい。右足が思うように動かない。捻挫したとわかった途端、右足全体がまるで鉄に変わってしまったかのように重たく感じる。思うように動けなくなってしまった。


「…!」


 それでも、私は無理やり足を動かした。ひたすら襲ってくる痛みに耐えながら、雨宿りできる場所を探して歩いた。ズキズキと邪魔をする痛みはただの錯覚だ。そう自分に言い聞かせた。

 空は諦めの悪い私を叩きのめそうと、大粒の雨を打ち付けてきた。負けるか……。余る力を全部振り絞って、私は前に進んだ。


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