第7話「カップル」



「それじゃあ、宏一さんはお洗濯をお願いします」

「了解です!」


 宏一はキリッと敬礼をした。咲有里と交際を始めてから半年、宏一は彼女と同居することになった。両親の許可をもらい、元々住んでいたアパートを引き払うのにだいぶ時間がかかった。咲有里に手伝ってもらいながら軽い引っ越しを終えた。家事はいつも分担して行っている。ちなみに今日の担当は咲有里が料理、宏一が洗濯だ。咲有里はエプロンを身にまとってキッチンへ向かい、宏一は脱衣所で洗濯カゴとにらめっこをする。


「ははっ、だいぶ溜まってるなぁ……」


 宏一は軽く苦笑いする。宏一は大学で写真サークルに所属しており、山や海、観光地などに写真を撮りに行く。時には危険地帯に行くこともあるため、必然的にたくさんの着替えを必要とする。その結果がこれ、宏一の分だけで洗濯カゴから衣類が溢れ出ている。咲有里の衣類は底の方に埋まっている。まずはその一つ一つを洗濯ネットに詰めて洗濯機の中に入れないといけない。


「とにかくやるか」


 宏一は洗濯カゴの中に手を突っ込んだ。



(5分後)



 ようやく自分の分の衣類をネットに入れ終えた。次は咲有里の衣類だ。


「これって……」


 最初に手に取った咲有里のカーディガンをまじまじと見つめる宏一。初めて会ったあの雨の日に彼女が着ていたものだ。このカーディガンを身にまとった咲有里が雨ざらしになっていたのを見つけたことが全ての始まりだった。


「ふふっ♪」


 宏一はしみじみとした気持ちでカーディガンを畳む。次だ。




「……んん!?」


 洗濯カゴを覗き込んだ宏一は思わず声を出した。カゴの底には咲有里のブラジャーが入っていた。ピンク色のフルカップブラだ。フリフリとした可愛らしい模様がついている。


「これが……ブラジャーか……///」


 宏一は咲有里以外の女性と普段から関わったことがない。写真サークルの女性メンバーともあまり密接な関係は築いていない。故に、女性の下着事情というか、生活事情というものがよくわからないため、初めて至近距離で観察するブラジャーに戸惑う。ブラジャーが女性の胸の形を維持させるものということは認知している。しかし、改めて眼下にするとやはり恥ずかしくなる。そうだ、咲有里も一人の女性なのだ。そのことも改めて思い知らされる。


「それにしても、でっかいな……///」


 デザインは確かに可愛らしくて惹かれるが、それ以上に注目したのは大きさだった。とにかくでかい。自分の手の平と同じくらいあるのではないか。もちろん女性のカップ数の基準値など宏一は知らない。しかし、なぜか咲有里のブラジャーのサイズは大きい方だということはわかった。愛の力だろうか……。そういえば、初めて咲有里を抱いた時にも胸の大きさは感じた。ここまで大きいとは思わなかったが。




 ガラッ


「すみません、これもお願いs……」


 不意打ちに咲有里が脱衣所に入ってきた。濡れたキッチン用布巾を手に持って。宏一は全身がカチンコチンに固まった。咲有里は宏一が自分のブラジャーを手に持っている様を見ると、黙り込んだ。


「こ、これは……その……」

「そ、それ……///」


 咲有里は顔が真っ赤に染まる。布巾が手からポトンと落ちる。宏一は慌てふためく。ブラジャーを洗濯カゴの中に入れ戻す。


「私の……///」

「ご、ごめん!!!!!」


 宏一は土下座する。強く頭を床に打ち付けて誠意を込めて謝罪する。


「同じカゴに入って、ちょっと気になってつい観察しちゃった……。本当にごめんなさい!」

「そんな、こちらこそすみません……。お見苦しい物を見せてしまって。同じカゴに入れていたなんて、もっと確認しておかなくちゃ。すみません……」

「え?」

「やっぱり洗濯はお互い自分の分だけを洗うのがいいですよね。私の服なんかが宏一さんの衣類に混じってたら失礼でしたよね。すみません……」

「え? えぇ!?」


 赤面しながらも、なぜか謝る咲有里。こんなことまで申し訳なさを感じる必要は全くないのだが。宏一は意を決して呟く。


「分ける必要なんてないよ!」

「え?」

「僕達は同居している。つまり家族だ! 家族ならお互いのプライバシーとか複雑な事情をそこまで気にする必要なんてないよ。もちろん君が一緒が嫌だって言うんなら気にするけども。でも、僕はできれば恥ずかしさを感じながらも、いろんなことを君と一緒に共有したい、というか……なんというか……」


 咲有里は力説する宏一を見つめる。精一杯励まそうとしてくれている意識はなんとか伝わったようだ。


「宏一さん……」

「だから、そんなに自分を卑下しなくていいんだよ! 胸が大きいのはいいことだ! 僕は咲有里の胸が大きくてとても幸せだよ! 君のその魅力的な体つきを見ていると、僕も疲れが吹っ飛ぶ。君の体はとてもすごいんだ! そんな君が僕の彼女なんて光栄なことだよ。ありがとう! 咲有里!」

「……///」

「……あっ」


 宏一は自分がとんでもない発言をしていることに気がつくのが遅れた。いくら宏一と言えど、咲有里が相手となると女性の性的な魅力に勝つことはできなかった。咲有里は湯気が吹き出しそうなほど赤く顔を染めていた。


「ありがとう。でも……」


 咲有里は頬を染めながらボソッと呟く。




「宏一さんの、えっち……///」

「……///」


 咲有里の口元はかすかに笑っていた。それを見逃さなかった宏一。注意されていることは確かだが、それが逆になぜか嬉しく思った。お人好しの心の動く方向は全くもってわからない。


「ごめんね……///」

「許します……///」


 宏一は咲有里の頭を撫でた。




〈宏一×咲有里〉






 キーンコーンカーンコーン


「なぁ、綾葉」

「何?」


 六時間目の授業が終わり、生徒が次々と帰宅の準備をする中、裕介が綾葉に声をかける。


「一緒に帰ろうぜ」

「なんで?」

「なんでって……俺達は恋人同士だろ♪」


 裕介は綾葉の肩に手を回す。そう、裕介と綾葉は付き合っている。恋人の関係として。例の性転換薬で満が女体化し、裕介に襲われてしまいそうになった際に綾葉が突然の告白。とっさの勢いで二人は付き合ったのだ。


「恋人同士がいつも一緒にいるのは当たり前……だろ♪」


 裕介の気持ち悪いキメ顔。そしてさりげなく綾葉の胸へと首の後ろから手を伸ばす。綾葉は胸を触られる前に裕介の腕を掴み、間接をあらぬ方向にねじ曲げる。


「いだだだだだ! ギブギブ! 止めてくれ!」


 綾葉は裕介を背負い投げする。壁に打ち付けられ、裕介はのびる。突然暴れだした二人に、クラスメイトはなぜか見向きもせずに教室を出ていく。


「いでで……どうした綾葉、何怒ってんだ?」

「別に。怒ってない」

「怒ってんだろ。あれか? 生理か?」

「アンタね、女の子に堂々と生理かどうか聞くの失礼過ぎるわよ! 別にまだ生理来てないわよ」

「そうか、じゃあ何が原因でそんな不機嫌なんだ?」

「……」


 そっぽを向いて何も話さない綾葉。


「教えてくれよ。女は悩みを人に話して共感を得る。そうやって悩みを共有するんだろ?」


 それは前に綾葉が説いていたことだ。


「……」

「話してみろよ。少しは楽になるぞ」


 体勢を起こして再び綾葉に近寄る裕介。もうふざけた態度で接してくることはなかった。裕介のオンとオフの切り替えの速さに驚かされ、綾葉は落ち着きを取り戻した。自分の席に座ってボソッと呟く。


「……太った」

「は?」

「先週測った時から2キロも太ってたの」


 なかなかに女子にとってデリケートな悩みが打ち明けられ、なんと言えばいいかわからなくなる裕介。思い返せば、10月に入ってから綾葉は他の女子と昼休みによくお菓子パーティーを開いていた。彼女曰くハロウィンシーズンだからだとか。原因は恐らくそのお菓子の食べ過ぎであるが、今それを言うのはタイミングが悪いような気がして裕介は黙っていた。


「だからダイエットしなきゃ。でも、どうしたらいいかわからないの」


 女子にとって体重の悩みは本当にデリケートな話題だ。それを勇気を出して、しかも男子である自分に打ち明けたことに裕介は心を打たれた。目の前にいる恋人は自分のことを心から信頼しているのだとわかって嬉しくなる。


 だからこそ、裕介はあえて突き刺すような言い方をした。


「そうか。でも、確かにそうだな。お前最近腹が膨れ始めてるよな」

「は?」

「いつかおっぱいより腹の方が大きくなるんじゃねぇか?」


 ゴゴゴゴゴゴ……

 綾葉の背中で灼熱の炎が燃え盛る。


「アンタ! 相談に乗るんならちゃんと話聞きなさいよ! さっきからけなしてばっかじゃないの!」


 自慢の怪力で裕介の首を絞める綾葉。


「あばばばばば……」

「アンタに相談したのが間違いだったわ!」

「待て待て待て! いいから聞けって!」


 綾葉は裕介の首を絞める腕を離した。裕介は軽く咳き込みながら口を開いた。


「はぁ……悪ぃ、ちょっと言い過ぎたな」

「何のつもりよ……」


 綾葉は鋭い眼光で裕介を睨み付ける。それに臆することなく裕介は続ける。


「ダイエットなら俺が協力するよ」

「協力って……さっきから私のことけなしてばっかいるじゃない」

「そうだ。お前がやる気を失わないようにな」

「……!」


 綾葉は驚いた。


「俺がダイエットのやる気を損なわない程度にお前を罵ってやる。それでお前はいつでも俺を殴るなり蹴るなり技をかけるなりすればいい。俺がお前のサンドバッグになってやるから、好きなだけ体を動かして脂肪を燃やせ」

「裕介……」


 自分のためにそこまで体を張って応援してくれるのか。ようやく裕介の気持ちに気がついた綾葉。裕介のさりげない優しさがわかった瞬間、頬を赤らめる。


「ありがとう……///」

「おう、そんじゃ! 一緒に帰ろうぜ!」

「えぇ」

「帰りにどっかクレープでも食ってくか♪」

「バカ……」


 綾葉は裕介の足を蹴った。裕介は満更でもないような笑顔で受け止めた。




〈裕介×綾葉〉






 ピンポーン

 広樹はビニール袋を片手に谷口家のインターフォンを鳴らした。


「あら、広樹君」


 美咲の母親が出迎えた。


「お邪魔します」

「お邪魔するなら帰ってちょうだい」

「はい!?」

「ふふっ、冗談よ♪ 上がって」


 美咲の母親のペースに焦りながらも、靴を脱いで2階へと上がる広樹。




 コンコンコン

 広樹は美咲の部屋をノックした。


「谷口、入るぞ」

「え? 広樹君!? あ、うん……」


 ガチャッ


「広樹君、どうしてここに……」

「見てわかるだろ、見舞いだよ。体の具合どうだ?」


 美咲は風邪で3,4日学校を休んでいた。季節の変わり目であるのが原因か。学校に来ないことを誰よりも深く心配した広樹は、誰よりも早くその情報を担任の石井先生から入手し、誰よりも早く見舞いに駆けつけたのだ。


「わざわざ来てくれたんだ。でももう大丈夫だよ。来週の月曜日からは普通に学校に行けると思う」

「そうか。でもあんまり無理すんなよ」

「うん、ありがとう……」

「あ、そうだ。色々持ってきてやったぞ」


 広樹は手に持っていたビニール袋を逆さにして中に入ったお菓子をばらまく。


「ほらよ」


 広樹はポテトチップスの袋を手に取って美咲に渡す。


「ありがとう。わぁ~、『大怪獣ポテラ』だ~! 私これ好き♪」

「やっぱりな。お前よくそれ学校に持ってくるだろ」


 美咲は「大怪獣ポテラ うすしお味」の袋を手に取ってにこやかに笑う。大怪獣ポテラは美咲のお気に入りのスナック菓子だ。コレクション用のモンスターカードが一枚おまけで付いてくる。


「なんか珍しいな。お前がそういうの好きなんて」

「そう? 結構好きだよ。綾葉とお菓子パーティーする時に必ずこれ持ってくんだ~」

「なるほどな。風邪の原因は菓子の食い過ぎか」

「えへへ……」


 苦笑いする美咲。


「できるだけ賞味期限遅いやつ選んでおいたから。食うのは風邪が治ってからにしろよ。あと、菓子食っても朝昼晩はちゃんと栄養のバランス考えて飯食えよ」

「はーい」


 彼女の風邪は摂取した栄養の偏りも原因のようだった。広樹は美咲の部屋の床に座る。座布団か何かを用意できないことと、余計な心配をかけてしまったこと、お菓子を持ってきてもらったことを申し訳なく思う美咲。


「来たの広樹君だけ? 他のみんなは?」

「あぁ、一緒に見舞いに誘おうと思ったんだがな。桐山と空野はなんかプロレスごっこして忙しそうだったから止めた。満は神野とどっか行く予定があるんだとよ」


 二組の男女カップルの未来永劫の繁栄を密かに祈った美咲。


「そっか。裕介君と綾葉、本当に付き合ってるんだね」

「あんなに仲悪そうに見えて意外とな……」

「満君もいつの間にかあの転校生ちゃんと結ばれたね」

「アイツは性格だけでモテそうだしな。神野と会うまで恋愛なんか興味無さそうにしてたが」


 元々恋愛などはせず、みんな仲良く友達として接していこうという暗黙の了解の中過ごしてきたメンバーだった。しかし、一番目立たなかった存在の満が転校生の真紀と恋人の関係として付き合い始めたこととにより、その了解が曖昧なものになっていた。裕介と綾葉もいつの間にか結ばれていた。


 二人はある重要なことに気がついた。


「恋人いないの……私達だけだね」

「……そうだな」

「……」


 美咲は広樹の目を見つめる。


「あっ、いや……だからと言ってお前は俺と付き合う必要なんてないんだぞ? 本当に好きな奴と付き合えばいい。俺のことは気にすんな。お前はお前で好きにすればいいんだ」

「えっ、うん……」


 気まずい雰囲気が流れる。二人きりの空気は慣れたものの、恋愛の話になると会話が続かない。


「じゃあ、俺そろそろ行くな。あんまり長くいたら休めないだろ」

「うん。今日はありがとう」


 広樹は立ち上がって部屋のドアに手を掛ける。




「……言っておくが」

「……?」






「俺は好きだぞ…/// お前のこと」

「え…///」

「じゃあな、美咲」

「あっ……」


 バタンッ

 部屋のドアが閉じられる。そそくさと遠ざかっていく広樹の足音。唐突の「美咲」呼びと一瞬だけ見えた照れ顔、信用してもいいのだろうか。一人自室に取り残された美咲は静かに呟く。


「言わせてよ……『私も』って……///」




 急上昇する体温に翻弄される美咲。それは決して風邪を引いているからではなかった。その後、広樹がこっそり美咲の見舞いに行っていたことがなぜか発覚し、それが「広樹と美咲は付き合っている」という噂にまで発展し、裕介に散々いじり倒されることとなった広樹。


 しかし、悪い気はしなかったという。




〈広樹×美咲〉






 アレイと愛は久しぶりに84年後の未来に戻ってきた。タイムマシンが直り、いつでも自由に時代を往き来できるようになり、神野家は何度か定期的に元の時代に帰っていた。


「いや~、久しぶりの我が時代だ」

「何かしら……この懐かしさ」


 約1ヵ月程帰っていなかったために謎の懐かしさを感じる。まるで海外短期留学から帰国した留学生のように。


「真紀は向こうで満君達に迷惑かけてないかしら……」


 ここまで来ても自分の娘のことが心配になる愛。


「流石、だんだん母親らしくなってきたね」

「だんだんって……」

「だってそうだろう? 親は子を産んだ瞬間から親になるんじゃない。子と人生を共にして、心を通わせられるようになって初めて親になるんだ」


 アレイは学校の教師のような口振りで愛に説く。


「そうね。初めはあの子、全然私に懐かなかったものね。まぁ、今も変わらないかもしれないけど……」

「昔よりは仲良くなれただろ。親になれたんだよ、君は。真紀にとってのね」

「そうね。あの子は最近変わったわ。これも満君や咲有里さんのお陰かしらね」

「それもあるけど、変われるかどうかは結局その人次第だよ」


 人間は他人と生活を共にすることで、良くも悪くも様々な影響を受ける。そこで自分を良い方向へ変化させることができるかどうかもその人の技量次第だ。真紀はあの時代で満達と接することによって様々な影響を受け、多くのことを学んで成長しただろう。


「でも、あの人達には感謝し切れないわ」

「だね。本当に出会いというのは不思議なものだ。どこで誰と出会い、どんな現象が起きてどうなるか全くわからない」


 アレイと愛はベンチに座りながら手を繋ぎ、二人が出会ったあのハイキングコースの池を眺める。


「あの人達と一緒にいるのが本当に居心地いい。未来に帰るのを渋ってしまうくらいに。一体どうしてかしら。不思議よね……」

「そりゃあ決まってる」


 アレイは愛の顔を見つめる。


「満君も咲有里さんも、もう僕らの家族なんだ」

「アナタ……」

「僕と君が出会い、真紀が生まれて家族になったように、僕らはあの人達と出会って一緒に過ごし、いつの間にかなっていたんだ。家族という大切な存在に」

「家族……」

「人と人が愛情を育んだ時、そこがかけがえのない大切な場所になる。それが家族さ」


 アレイはポケットから家のカギを取り出す。そこにはあのストラップが付いていた。アレイが愛と初めて出会った時に池に落としてしまった「愛」の文字が書かれたピンクのハートのストラップだ。二人の関係を初めてて形作った愛の結晶でもある。


「いいね。そんな温かい家族の中心にいる人の名前が『愛』だなんてさ♪」

「ふふっ、ありがとう」


 アレイと愛は共に笑う。二人でこうして場所も時間も違う多くの人と家族になれたことを幸せに思う愛だった。


「それじゃあ、そろそろあの時代に戻ろうかしらね。真紀と満君がお腹空かせて待ってるわ」


 愛はベンチから立ち上がる。


「おっ、今日は愛が晩飯を作ってくれるのかい?」

「えぇ、腕によりをかけて作るわ! 咲有里さんの味を越えてみせる!」

「おう! 多分無理だろうけど頑張れ~」

「うっさい」


 愛はアレイの頬をつねった。




〈アレイ×愛〉






「真紀……どこにいくの?」


 放課後、真紀は満と共に帰り道を歩く。しかし、今向かっているのは青葉家ではない。真紀は満とどこかに行くつもりらしいのだが……。今日は一体どんな凄いことを始めるのか、心配でもあり楽しみでもある満。


「満君、まさか忘れたわけじゃないわよね?今日が何の日か。10月31日よ?」

「10月31日……10月の最終日ってこと?」

「ちっがぁぁぁぁぁう!!!!! ハロウィンよ!!!!!」


 住宅街を近所迷惑になりそうな程の音量の真紀の叫び声が響き渡る。


「あ、そうか。そういえば今日だったね」

「そう! だから仮装して、お菓子もらって、いっぱい楽しむのよ!」

「やけにノリノリだね……」


 六時間目までの授業の疲れが溜まり、いつもの真紀のノリに着いていけない満。そんな満にお構い無しに真紀は叫びまくる。


「当たり前よ! ハロウィンを思い切り楽しむためにこの10月生きてきたと言ってもいいくらいだもの」

「大げさだなぁ……」

「いえ、本当に楽しみにしていたわ。だって、未来ではハロウィンあんまり主流じゃないもの」


 真紀は唐突に未来のハロウィン事情を話し始めた。どうやら真紀の時代、84年後の日本ではハロウィンの文化が少々廃れており、あまり祝う者はいないらしい。ハロウィンの季節になる度に東京や大阪を中心とする都市部で若者による暴動が勃発し、市街の環境がゴミの散乱によって汚染され、ハロウィンによる倫理問題の深刻化が起きているという。その事態を解決するため、ネオポリス(時間管理局とはまた別の未来の警察的機関)が徹底した法的な規制を掛け、ハロウィンはいつの間にか個人でひっそりと祝うものという考え方が一般化した。


 街で仮装をする人の姿は数える程しか見かけなくなり、家で静かに楽しむものと考えられた。ハロウィンは名前だけの小規模な祭典となったのだ。




「うーん、なんか急に耳の痛い話が始まったなぁ……」

「というわけで、未来ではハロウィンはあんまり盛り上がらなくてつまらない微妙なイベントになってしまったのでした。めでたくないめでたくない……」

「この時代でその前兆みたいなことはもう起きてるよね。なんか申し訳なく思えてきたよ……」

「だから私、消滅遺産図録でハロウィンのこと見つけた時思ったのよ。昔の盛り上がるハロウィンを味わってみたいって!」


 どうやらハロウィンのことも消滅遺産図録に載っているらしい。消滅したものという扱いではないが、コラムとして記載されているという。未来ではハロウィンの存在が消えかかっているとわかってむなしい気持ちになる満。


「なるほど……真紀の言いたいことはよくわかったよ。せっかくだから楽しもうか」

「待ってました! ありがとう満君♪」

「それで、具体的には何するの?」

「まずは仮装の準備をしなきゃ! 今すぐ買いにいくわよ!」


 放課後に一緒に行きたいと言っていたのはそのことだったようだ。真紀と満は七海商店街へと向かった。




 シャー


「どう?」


 化け猫の仮装をした真紀。試着室のカーテンを開け、満に自身の姿を見せつける。


「うん。可愛いよ」

「満君さっきから『可愛い』ばっか言ってる……」

「だって可愛いんだもん」

「そうじゃなくて……///」


 満の素直過ぎる性格に今さらながらきゅんとくる真紀。


「もっと他の言葉は……」

「え~っと……似合ってるよ」

「うーん……」


 嬉しいは嬉しい。だが、なんとなく感想に物足りなさを感じる。結局真紀は自分の判断で化け猫の仮装を選んだ真紀。


「満君は仮装選ばないの?」

「僕はいいよ」

「せっかくだから仮装しようよ~、私が選んであげるわ」

「え~」


 その後、ドラキュラの仮装を選んで満は真紀と共に夜の街に繰り出した。




「真紀……家帰らなくていいの? もうすぐ7時だよ?」

「ハロウィンだからお菓子もらいにいかなきゃいけないでしょ。たくさん持って帰ってママ達を驚かせましょう!」

「はぁ……」


 渋々付き合うことにした満。真紀は最初に空野家を訪ねた。


 ピンポーン


「トリックオアトリ~ト~!」

「お菓子くれなきゃいたずらするよ~」

「え? いたずら?」


 真紀が満に聞いた。


 ガチャッ


「いたずらってどういうこと?」

「え? いや、お菓子をくれなかったらいたずらするって……」

「えぇ? ひどくない!? お菓子くれなかったくらいでいたずらなんて! 満君はそんな酷い人じゃないはずよ」

「いや、そうじゃなくって! トリックオアトリートってそういう意味なの!」

「そうなの? 知らなかった……消滅遺産図録にちょこっと載ってたから素敵な合言葉かと思ったけど、結構闇深い言葉なのね」

「闇深くはないと思うけど。大抵みんなお菓子くれるし」

「でもいたずらだなんて、日本もとんでもない文化が広まっちゃったものね」


 真紀がぶつぶつと呟いていると……


「あの~、何か用?」


 綾葉が二人の会話に入れずに取り残されていた。


「あ、ごめん綾葉ちゃん。忘れてた……」

「綾葉ちゃん、満君がいたずらしたいってさ」

「ちょっと真紀! 誤解を招くような言い方やめてよ!」


 付き合いたての恋人のような雰囲気の二人に綾葉は思わず微笑む。


「ふふっ、二人共わざわざお菓子もらいにきたんだ。そういえば今日ハロウィン当日だものね。待ってて、持ってくるから」


 綾葉は居間へとお菓子を取りに行った。


「はい、チョコレート♪」

「わ~い! やった~♪」

「ありがとう綾葉ちゃん」


 チロルチョコレートを片手に跳ねる真紀。


「よし、次行くわよ!」




 派江家。


「ほらよ、じゃがりこだ」


 広樹は満と真紀にじゃがりこサラダ味を一個ずつ手渡した。


「おぉ! この時代からじゃがりこってあったのね!」

「時代? 何だ時代って……」


 真紀が久しぶりにボロを出した。


「あ、いや何でもないよ! 広樹君ありがとね!」


 満は無理やり会話を終わらせて逃げるように派江家を後にした。




 谷口家。


「ごめんね。お菓子はあるんだけどあげられないの。代わりにこれ」


 美咲は満と真紀に一枚ずつ10円ガムのあたり券を手渡した。広樹からお見舞いの品のお菓子をもらったが、それを今渡してしまうのは気が引けたようだ。


「まぁいいわ。ありがとう!」

「ついでにハズレ券もあげるね」

「いらないよ」


 満が冷静にツッコミを入れる。


「冗談よ。ハロウィン楽しんでね~」

「うん、あと美咲ちゃん」

「ん?」

「風邪で寝込んでるんなら無理して外出なくてもいいんだよ」




 桐山家。


「いやぁ~悪ぃ、今菓子切らしてんだ。代わりにこれやるよ」


 そう言って裕介が手渡してきたのは一本のキュウリだった。たまたまスーパーで安売りしていたものを買い過ぎてしまったようだ。


「まぁこれもある意味お菓子みたいなものよね。ありがとう」

「いいんだ……」


 満は苦笑いする。真紀のハロウィンのイメージがおかしな方向に歪んでいきそうで心配になる。


「それにしても懐かしいなぁ~。仮装して近所の家訪問してお菓子をもらって廻る。俺も幼稚園児の頃よくやったぜ……」

「え……」


 真紀の体が硬直する。手に握られたキュウリがスルリと地面に落ちていく。


「あっ!!!」


 満はとっさに気づいてキュウリをキャッチする。真紀の額が青ざめていく。


「じゃあな~。ハロウィン楽しめよ~」


 ガチャッ

 裕介が玄関のドアを閉める。真紀は数分間呆然と立ちすくんでいた。






 時刻が午後7時に差し掛かった頃、青葉家までの道のりをとぼとぼと歩く真紀と満。真紀の顔は青ざめたままだ。


「私は幼稚園児が喜ぶようなことを……この歳になって……」

「まぁまぁ、それがハロウィンの本来の楽しみ方なんだから……」

「私の精神年齢……低過ぎ……」


 真紀が幽霊のようなどんよりした空気を撒き散らしながら、夜の街を更に黒く染める。


「……はぁ」


 満はため息をつき、密かにポケットに入れていたキャンディーを一つ取り出した。包み紙を外して真紀の顔の前に差し出した。


「真紀、あ~ん」

「え?」


 真紀は口を開け、満は真紀の口の中へキャンディーを入れる。



「……甘い」

「僕からのお菓子だよ。ハロウィンになったらずっと真紀にあげようと思ってたんだ」

「え?」


 真紀はポカンとして満を見つめる。


「えっと、何て言ったらいいかわからないけど……とにかく、ハロウィンで浮かれてたのは真紀だけじゃないってこと」


 満は再び苦笑いしながら頬をオレンジ色に染め、ぽりぽりと掻いた。


「満君……」

「まぁわ結局今日だってこと忘れちゃってたけどね……」


 だんだん真紀への励まし方がうまくなってきた満。二言三言ささやくだけで真紀の放っていた暗い空気は明るく温かい空気に変わった。真紀も頬をオレンジ色に染めながら呟く。




「『トリックオアトリート』って言わせてよ……///」

「ごめん……///」


 暗いハロウィンの夜道に明るい2つのカボチャが実った。




 その後、神野家と青葉家のみんなでハロウィンディナーを囲んだ。愛の作ったパンプキンスープと、真紀達が手に入れたじゃがりことキュウリで咲有里が作ったじゃがりこポテトサラダは格別だった。満と真紀は誰かと共に過ごすハロウィンを心の底から楽しんだ。




 10月の最終日、人間と人間の境目が無くなり、街中がオレンジ色に染まる。それがハロウィンだ。




〈満×真紀〉




   * * * * * * *




 ピピピピピ……

 目覚まし時計の音だ。僕は眠い目を擦り、ぼんやりとした視界で目覚まし時計に手を伸ばす。なんだか体が軽いな……。


 カチッ


「?」


 突然横から誰かの手が伸びて目覚まし時計のスイッチを押した。肉付きのある腕だ。


「おはよ♪」


 視界に映ったその男の子はイケメンだった。緑髪で眉がキリッとした爽やかな笑顔、どこか見覚えがあるような……その声も……。


「私だよ♪」

「え?」


 真紀……? どうしてそんな姿に? もしかして性転換薬を飲んだのか……。でも、どうして? 数々の疑問が浮かぶ中、自分の体を違和感が襲ってきた。


「え……あっ! まさか……」


 バサッ

 とっさに布団をめくって自分の体を確認した。案の定女の子の体つきに変わっていた。いつぞやの肩まで伸びたミディアムヘアーに白い肌の華奢な腕と足、透き通った高い声。股関の頼りなさ。ダボダボのパジャマ。そして無駄に主張する大きな胸。


「あっ……あぁ……」

「ごめんね♪ 昨日パンプキンスープにこっそり性転換薬混ぜちゃった♪」


 そういえば、昨日あまりにも美味しかったためにパンプキンスープをおかわりした。真紀が僕のお皿によそってくれた。あの時か!!! なんで食べた時に気づかなかったんだ僕!!!!!


「なんでこんなこと……」

「なんでって、一緒に遊ぶためよ。今日は学校創立記念日で休みみたいじゃん? だから今日は二人で楽しいことしましょう!」


 イケメンボイスで女言葉を発する真紀。だんだん僕から逃げ場を奪うように近づいてくる。


「性転換なんてする必要ないじゃん!」

「ただ遊ぶだけじゃつまらないもん♪ 昨日のハロウィンも楽しかったし、もっと満君と……いや、満子ちゃんと知らない楽しみ……味わいたいなぁ♪」


 至近距離まで積めよってくる真紀。ほぼ押し倒されたような状態になってしまった。肉付きのある手で僕の体をすりすり触ってくる。端から見れば完全に不審者だ。


「んん……/// 恥ずかしいからやめてよ……真紀……」

「『真紀』じゃなくて『真紀夫君』でしょ!」

「ま、真紀夫君……///」

「ふふっ、可愛いなぁ~、今日も僕が可愛がってあげるよ♪」


 真k……真紀夫君とぼk……私はベッドの上で抱き合った。




 性転換すると調子狂うんだよなぁ……。




〈真紀夫×満子〉



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