第6話「思い出」



皆大好き 生レバー

あなたもわたしも 生レバー

居酒屋と言えば 生レバー

☆たまにユッケ☆


焼肉屋でも生レバー

お寿司屋でも 生レバー

生 生 生 生レバー

ユーッケ↓↓



 私は女子高生未来人、神野真紀。幼なじみで同級生の橋本直美と一緒に図書館で調べ物をしに行き、様々な時代の怪しげな植物の図鑑を発見した(そしてその植物の写真を撮りに時間旅行に行くことになった)。植物を巡る時間旅行に夢中になっていた私は、増殖するタイムボールトとワームホールの乱れに気づかなかった。私はワームホールの中から弾き出され、目が覚めたら……


 過去の時代に不時着していた!


 未来人が来ていると過去の人間に知られたら、タイムパラドックスを招き、時間の流れにも危害が及ぶ。青葉満君の援助で正体を隠すことにした私は、満君に事情を説明し、とっさに「神野真紀」と名乗り、未来に帰る手段を掴むために、満君が毎日暮らしている彼の家に転がり込んだ。




 ……まぁ、タイムマシンはもう直ったから、いつでも帰れるんだけどね。でも、私は残った。満君とかけがえのない愛を育むために。そして、彼と共にこの時代の身の回りに起きる難事件を、未来の技術と知識を駆使して解決するために。え? 今まで満君しか活躍していない? 私はただ泣きわめいてただけですって? うっさいわね!


 とにかく始めるわよ。





 過去に行っても時代は同じ、迷宮ありの未来人……



 真実は、いつも一つ!









「真紀?」

「あ、ごめんごめん。ちゃんと見てるわよ」


 土曜日の晴れた午後の昼下がり、僕と真紀は隣同士ソファーに座って恋愛ドラマを見ている。


「俺達はいつまでも一緒だ」

「えぇ……」


 テレビに映っているそのカップルは夕焼けで赤く染まるビーチで身を寄せて抱き合う。筋肉質でダンディーな男の人が、背の低く顔も美人と呼べる程の綺麗な女の人のカップルだ。こういう男らしい俳優さんを見ると、どうしても自分に劣等感を抱いてしまう。僕ももっと男らしい人間になりたいと思っているから。


 チュッ

 すかさずカップルが熱いキスを交わした。絶妙なカメラアングルで映される二人の幸せそうな顔。すごい、大人のキスだ……。


「きゃ~💕 素敵♪ ねぇ満君、負けてらんないよ! 私達もやろう!」

「えぇ!? もう……」


 僕は真紀の体を抱き寄せ、その唇を奪う。あの男の人に比べたらまだまだ下手くそだけれども、僕は一生懸命真紀の口を潤す。こんなことで一生懸命になるなんてねぇ……。十数秒経った後、ゆっくりと唇を離す。


「……///」


 真紀の頬が火照っている。まだドキドキしているらしい。さっきまでのはしゃぎっぷりはどうしたんだ……。僕達は真紀の両親の許しを得て、キスもハグも好きなだけしていいことになった。僕達は今堂々とやっている。


「満足した?///」

「うん。続きは今夜ね……///」

「今日はもうおしまい!!!」

「えぇぇ……」


 僕は真紀を軽く叱りつける。毎日キスする度にこっちは心臓が破裂しそうな程ドキドキしている。このままじゃ理性が抑えられなくなるのも時間の問題だ。真紀にはなるべく性的に乱暴はしたくない。真紀とその……“そういうこと”をするのは、もっと大人になってからだ。大人になるということが一体何なのかは僕にはわからないけど……。


 え? “そういうこと”って一体何かって? だからその……/// せっ……セックs……/// いや、言わないよ!!!!!


「ちょっとアナタ、また真紀と満君が! ほら、私達もやるわよ!」

「えぇ!? わざわざ対抗しなくてもいいだろう……」

「何言ってんの! 愛の強さで娘に負けてらんないでしょ!」

「はぁ、仕方ないなぁ……」


 その場のノリで愛さんとアレイさんも抱き合ってキスを始めた。とうとうこの家は愛さんまでおかしくなってしまった。どうやら僕達に対抗しているらしい。する必要なんてないのに……。


「アナタ、いつの間にそんなにうまく……///」

「僕をナメてもらっちゃあ困るなぁ♪」


 キスを終えた二人。突如愛さんの顔が真っ赤に染まる。アレイさんのキスは舌を巧みに使ったとてもえっちなものだったらしい。流石結婚までしている男女。キスはもはや大人のクオリティだ。


「この続きは今夜……」

「しないわよ!!!!!」


 愛さんがアレイさんの頬を思い切りつねる。


「いはははっ、ひょうはんはっへ~」


 愛さんとアレイさんも僕達に負けないくらいイチャイチャしてる。


「……」


 そんなラブラブな二人を、僕のお母さんは微笑ましそうに眺め……


「……」


 ……ていたかと思いきや、眉が垂れ下がった。そのままうつ向いてキッチンの方へ向かう。どうしたんだろう……。何か悩みでもあるのかな?


「満君、どうしたの?」

「あ、いや……何でもないよ」


 それからもお母さんの様子は少しおかしかった。なかなか箸が進まなかったり、せっかく作った晩ご飯を食べ残してしまったり、食事中に新婚夫婦ごっこをする落ち着きのない愛さんとアレイさんを、黙ってじーっと見つめたりしていた。そういえば、時折何かの写真を悲しい表情で見つめていたりもしていたな。結局何をしているのかを聞きそびれ、僕は真紀と一緒にベッドに潜った。







 時刻は午後1時頃、僕は突然尿意を感じて目が覚めた。起き上がろうとすると、真紀が隣で僕の腹を両腕でがっちりと挟んで寝ていた。いくらはがそうとしてもなかなか離れてくれない。


「真紀……離してよ」

「んんん……ダメ。好きな人とは……むにゃむにゃ……片時も離れちゃダメェ……なの」

「トイレ行きたいんだけど」

「なら私も行くぅ……」

「えぇ……」


 僕は眠気を引きずる真紀と一階のトイレに向かった。お化けが苦手な真紀は僕のパジャマの裾をずっと握ってきた。そんなところが不覚にもきゅんとくる。


 ジャー

 真紀を暗闇の中一人で不安にさせないために、出すものをさっさと出してトイレから出た。


「終わるまで待っててよ?」

「わかってるよ」


 ガチャッ

 トイレのドアを閉める真紀。時間がかかることを覚悟した。


「……スン」

「ん?」


 どこからか鼻をすする音が聞こえた。真紀かな? いや、今のはトイレの個室からじゃない。僕は周りを見渡す。


「あっ……」


 和室の襖の隙間からオレンジ色の光が溢れていることに今さら気がついた。あれは仏壇の明かりだ。おかしいな、点けっぱなしにした覚えはないのに……。とにかく僕は和室へと向かう。こんな夜中に誰かいるのか? 泥棒か? まさかお化けなんてことはないよね。


 スー

 僕は襖を少し開け、中の様子を確認する。


「……お母さん?」


 驚いた。そこにはお母さんがいた。お母さんは仏壇の前にある座布団を枕にして横になっていた。顔を座布団に突伏させながら。一体何をしているんだ? 具合が悪いわけではないようだけど……。目を凝らしてよく見ると、座布団の周りに写真がいくつか散乱していた。さっき見ていた写真だろうか。


「スン……うぅぅ……」

「え?」


 鼻をすするお母さん。まさか、泣いているのか? もっとよく見てみると、座布団にうっすらと水に濡れたような染みができている。涙の跡だ。本当に一体どうしたと言うのか。


 ジャー

 トイレの水を流す音が聞こえ、真紀が個室から出てきた。


「ふ~、すっきり♪ ん? 満君何やってるの?」

「真紀! しっ~」


 僕は人差し指を口に当てる。大きな声を出したらお母さんが気づいてしまう。


「満?」


 上半身を上げ、こちらに振り向くお母さん。もうバレていた。まぁ、トイレを流す音で普通バレるよね。


「咲有里さん? こんな夜中に何やってるんですか?」


 真紀が廊下から顔を覗かせてお母さんに聞く。


「こ、これは……その……」


 お母さんは涙を拭いながら、返答に困っておどおどする。僕と真紀は和室に入ってお母さんに近づく。


「咲有里さん、泣いてるんですか?」


 真紀が心配そうに聞く。僕は座布団の周りに散らばった写真の中から一枚を拾い上げて見た。


「お母さん、これ……」






 それはお母さんとお父さんのツーショット写真だった。お父さんが後ろからお母さんの首元に両腕を回して抱きついている。二人とも眩しくて素敵な笑顔だ。二人とも指輪をしていて、僕が写っていないということは、結婚して少し経った頃に撮られたものだろう。とても幸せそうな写真だが、僕はそれを見た途端、お母さんが泣いていた理由を垣間見た気がした。


 そうか、仲睦まじい愛さんとアレイさんを悲しそうな目で見ていたのは……。


「咲有里さん……もしかして……」


 パシッ

 真紀が何か言おうとした時、僕の手から写真がするりと抜けた。お母さんが取り返したのだ。お母さんは早足で和室を出ていこうとする。


「お母さん!」


 僕は大声でお母さんを呼び止める。お母さんは立ち止まり、ゆっくりと僕と真紀の方を振り向いた。


「大丈夫。私は……大丈夫……だから……」


 その顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。こんなお母さんの顔はお父さんの葬式以来初めて見る。心も体も悲しみで押し潰されていた。


「お母さん……」


 お母さんは階段を上っていく。真紀と二人きりになった和室で、僕は小さく呟く。




「全然大丈夫じゃないだろ……」








 翌日、お母さんは朝から居間の掃除を始めた。相変わらずうつ向いた表情で。僕と真紀は朝食を済ませると、そそくさと二階の自室へ戻った。真紀と二人きりで話をした。


「咲有里さん、私に宏一さんのお話をよく聞かせてくれたの」

「そうなんだ……」

「咲有里さん言ってた。『あの人のいない生活にもう慣れてしまうなんて、時というのは本当に恐ろしいわね』って……」


 真紀の目にも涙がにじむ。


「あんなの嘘だった。本当は全然慣れてなんかいなかったんだわ。今でも宏一さんがいなくなったことを悲しんで悲しんで……ずっと泣いていたんだわ」

「……」


 お母さんのことは僕が一番わかっていると思っていた。だけど、全くわかっていなかった。お母さんが悲しんでいるのを、気づいてあげられなかった。僕だってお父さんが死んでしまったことは悲しかった。葬式の時にこれでもかという程に泣いた。でも、お母さんの悲しみは僕なんかとは比べ物にならないくらいに大きかったんだ。生涯共に生きていくと決めた最愛の愛人を亡くしたのだから。


「僕ら、お母さんに申し訳ないことしちゃったのかな……」

「うん……」


 僕らや愛さんとアレイさん達は、当たり前のように隣にパートナーがいる。毎日辛いことや悲しいことがあった時に、助け合って乗り越えられる。好きな時に好きなだけ癒しを求めることができる。ハグも、キスも、何だってできる。でも、お母さんの隣にもうお父さんはいない。お母さんは愛人に辛い気持ちも、甘えたい気持ちも受け取ってもらうことができない。


 それなのに僕らは、まるで見せびらかすかのようにハグしたり、キスしていた。お母さんの前でも堂々と。その度にお母さんはお父さんを失った悲しみや絶望に襲われ、それを悟られないように笑顔を作って耐えていたんだ。愛さんやアレイさんまでイチャつき始めた頃から隠せなくなったのだろう。羨ましがり……と言ったら聞こえは軽いけど、お母さんがとてつもなく苦しい思いをしているのは見逃せないことだ。


「満君、咲有里さんを助けてあげよう!」

「え?」

「咲有里さん、色々相談に乗ってくれたの。今まで私のこと、満君と同じくらいたくさん助けてくれた」


 真紀……。


「だから、今度は私が助ける番……」

「うん、ありがとう。真紀……」


 やっぱり、真紀はとても優しい女の子だ。


「でも、助けるって言ってもどうやって……」

「私に考えがある」


 真紀はベッドから立ち上がる。








 ガチャッ


「満、真紀ちゃん……」

「お待たせしました」

「二人共どうしたの? 話って何?」


 真紀はお母さんに、掃除が終わった後に話したいことがあると告げた。三人だけでゆっくり話すためにお母さんの部屋で待ち合わせした。真紀が何を話すつもりなのかは僕も知らない。


「もう……咲有里さんに話しておいた方がいいかもしれませんので」

「真紀ちゃん?」


 真紀は深く深呼吸し、口を開いた。














「私は84年後の世界から来た未来人です。訳があって満君の生活に干渉させてもらってます」

「え?」

「真紀!?」


 僕は驚いた。何を言い出すのかと思えば、自分の正体を自ら明かした。いいのか? それはタイムトラベラーとしての規則に反してるんじゃ……


「タイムマシンの事故でこの時代に偶然やって来ました。この時代で生き延びるために満君に協力してもらってるんです。この家に住まわせてもらってる形で」

「でも、真紀ちゃん達には新居が……」

「それは私のママが刷り込んだ偽りの記憶です。実際は咲有里さんをマインドコントロールして、この家に住まわせてもらってるんです。隣街から引っ越してきたというのも、新居が建つというのも全て嘘です」


 未来人の命でもあるような秘密を淡々と暴露する真紀。もはや神野家にタイムトラベラーとしての規則がどうのこうの言っても通じそうにない。今までそんなこと、全てはねのけてこの時代に生きているんだから。


「僕はずっと前から知ってたんだ。真紀の言ってることは事実だった。タイムマシンも、この目で見た」

「そう、そうなのね……」


 お母さんは特に驚くこともなく何とも言えない反応を示す。僕だって最初は驚いたのに、やけに鈍い反応だな。一応信じてはくれてるようだけど。


「でも、どうしてそのことを……」

「咲有里さん、宏一さんに会いたくないですか?」

「……!」


 お母さんのメガネがカチャッと音を立てて揺れる。動揺している。そうか、真紀が正体を明かしたのはこのためだったんだ。


「会いたいんですよね? 私にはタイムマシンがあります。もう直ってます。いつでも時間移動ができます」

「お母さん、タイムマシンでお父さんが生きてる時代に行けば、お父さんにまた会えるんだよ」

「……」


 お母さんは大きく目を見開いて僕達を見つめる。


「僕、一度会いに行ったことがあるんだ。話はしなかったけど、お父さんの生きている姿が見られただけで本当によかったよ」

「咲有里さん、私はあなたを助けたい! あなたが宏一さんと離れ離れになったことで悲しんでいるのなら、もう一度会わせてあげたい!」


 真紀と共に必死に訴えかける。お母さんを生きているお父さんに会わせてあげる。それが彼女なりの恩返しなのだろう。僕達青葉家にすごくお世話になった、絶望の窮地から救ってくれたことの恩返し。


「……」


 お母さんは目を閉じ、少し考えてから口を開く。






「会えるのなら是非とも会ってみたい。そう言いたいところだけど、私は遠慮しておくわ」

「えぇ!?」

「お母さん!?」


 お母さんの目には涙は浮かんでいなかった。迷いをすべて振り切った「大丈夫」の目だ。


「会いたいんじゃないんですか?」

「うん。会いたいけど……それはいけないことだと思うの。実際に禁止されているのでしょう?」


 お母さんの落ち着いた口調。昨日の泣いていた様子が嘘であったかのようだ。


「話しかけなければいいんだよ! 遠くから見るだけなら別にいいんだよ! それでも会わなくていいの!?」


 僕はらしくなく声を荒らげる。まだお母さんはどこか欲望を抑え込んでいるところがあるのではないか。お母さんには我慢ばかりしてほしくない。せっかくタイムマシンがあるのだから、少しでも会って安心させてあげたい。


「お母さん……なんで……」

「だって……」







「もし会ってしまったら、私はきっと耐えられなくなると思うの」

「……!」

「遠くから見てるだけなんて耐えられない。たくさんお話がしたい。強く抱き締めてもらいたい。そして、もう一度あの人とキスがしたい。そんな気持ちが溢れ出してしまう。過去に行ってあの人を目にしたら、きっと私はタイムトラベルの規則を破って、あの人に触れてしまうから……」

「お母さん……」

「咲有里さん……」


 僕は自分がなんだか情けなく思えてきた。きっと未来の技術に固着し過ぎていたのかもしれない。死別の悲しみは、その人が生きていた頃に戻って会いにいけば無くなるわけじゃない。むしろそれが逆効果になってしまうこともある。お母さんは何から何までお父さんのこと、自分のことを理解していた。すごい人だ。


「わかった。でも、お母さん……それで本当に大丈夫なの? 会えなくて悲しいんでしょ? その悲しみをそのままにしておいていいの?」

「ふふっ、満も男の子ね。全然わかってないところが」

「え?」


 全然わかってない? 一体何が? でも確かに、さっきからお母さんが何が言いたいかがわからない。男の子ってどういうこと?


「悲しみをそのままになんてしないわ」

「え?」

「ね? 真紀ちゃん」

「満君、こういう時はどうやって悲しい気持ちを処理するか、わかる?」


 真紀が笑顔で聞いてくる。え……何? 二人共、何か手を組んでるの?


「……わからない」

「もう……女心がまるでわかってないわね。じゃあ、咲有里さん」

「えぇ……」


 真紀が視線で合図を送ると、お母さんは語り出した。もう何がどうなってるんだ? 女心ってどういうこと? とにかく、僕は真紀と一緒に、お母さんの話に耳を傾ける。お母さんの思い出話に。




   * * * * * * *




 咲有里と宏一と出会ったのは、22年のスイーツ博の日だった。帰りのバスを待つ間、宏一が折り畳み傘を忘れて濡れていた咲有里を、自分の傘に入れてやったことが全ての始まりだ。最寄りのバス停に着いた時、咲有里はお礼をするために宏一の連絡先を聞いたのだ。


「……」


 その日、咲有里は宏一のアパートを訪ねた。傘に入れてくれたお礼に、シフォンケーキを作った。日頃から料理を趣味としてたしなんでおり、お菓子作りもたまに楽しんでいる。大学の女友達にもよくご馳走している。いつもは、みんな「とても美味しい」と好評価をくれるのだが、今回の相手は男性だ。


「……」


 父親や親戚、大学の教授としか交流はなく、昔から男性とあまり関わりの少なかった咲有里。大学以前の学生時代も女友達との生活がほとんどだったため、いわゆる男女の恋愛的な青春とは無縁の人生を歩んできたわけだ。不安が募る。


“喜んでくれるかな……”


 もちろん、一人暮らしの男性の家を訪問するのもこれが初めて。咲有里は緊張で震えた指でインターフォンを鳴らす。


 ピンポーン

 目の前で鳴り響くインターフォンの音も、道端ですれ違った歩行者のヘッドフォンから聴き漏れた音楽のように聴こえる。初めて歳近な男性との交流。ただ「あの時はどうもありがとう」と言ってケーキを渡すだけ。それだけの行為なのに、相手が歳近な男性というだけで緊張してしまう。


 キー

 玄関のドアが開いた。咲有里は反射的にシフォンケーキの入ったバスケットを差し出した。


「あ、あの時はありがとうございました!」

「んん~」

「あの! これお礼で……え?」


 咲有里は宏一の姿を見て、少し驚いた。髪がボサボサで、寝癖がついたままだった。服装も、さっきまで着ていた青いチェックのパジャマだ。まさか今起きたのか……。印象的な丸い黒縁メガネはしっかりかけていた。しかし、眠気をズルズルと引きずっており、傘を差し出してくれた時とはまるで正反対に思えた。その姿を一言で言うならば「ずぼら」である。


「えっと……これ……」

「あぁ……ご苦労様でぇ~す……」


 宏一は目を擦りながら、ポケットから印鑑を取り出す。そして何の躊躇もなく、バスケットに印鑑を押す。小さな赤い文字で、「青葉」と刻まれる。


「え……えぇ?」


 咲有里は困惑する。宏一は一体何をしているのか。


「ん? あれぇ?」


 宏一はカチカチとメガネを動かしながら、目の前のバスケットを凝視する。そのまま視線を咲有里へと移す。


「あの……」

「え……うわぁ! す、すみません! 僕ったらなんてことを!!!」


 宏一は全速力で居間に戻り、ティッシュを持ってきてバスケットに押された印を擦り取る。


「あぁ、お恥ずかしい……こんなだらしない姿をお見せしてしまって」


 ティッシュをくるみ、洗面台の側に置いてある小さなゴミ箱に捨てる宏一。


「えっと、あなたはあの時の……」

「はい、今日はお礼を言いに来ました」


 咲有里は宏一に深い興味を持った。改めて、シフォンケーキの入ったバスケットを差し出した。


「あの時は助けていただいてありがとうございました。青葉さん♪」




 咲有里は宏一の家に上がらせてもらった。せっかく来たのだから一緒に食べようと、宏一は咲有里を招き入れた。


「咲有里さん、でしたっけ?」

「はい」

「すみません、ちらかってて……」

「え? いえ、お構い無く……」


 床は埃一つ落ちておらず、茶色い床が綺麗に光っている。本棚にはびっしりと本が並べられ、一冊もズレが見つからない。作業机の上にはデスクライトと6冊程の厚いファイル。これもまた丁寧に並べられている。気になるところと言えば、さっきまで寝ていたであろうベッドの上の毛布がめくられたまま置いてあるだけ。どこがちらかっているのかが全く理解できない咲有里。


「どうぞ、座ってください」


 クローゼットから座布団を取り出し、部屋の中央に置かれたテーブルの横に敷く宏一。


「ありがとうございます……」


 咲有里はゆっくりと上に座る。正座する足が緊張で震える。人生初と言ってもよい、歳近な男性と一つの部屋での二人っきりの時間だ。


「さっきはすみません……。今日は学校はお休みで、さっきまでずっと寝てました……。たから今起きたばかりで。今日は前に注文していた荷物が届く日なんです」

「はぁ……」


 だから印鑑を持ってきたのか。咲有里は納得した。


「てっきりそれかと勘違いして……寝ぼけてたので気がつきませんでした。本当にすみませんでした……」

「ふふっ♪ そうなんですか。大丈夫ですよ」


 何度も謝る宏一に、咲有里は微笑んだ。見ていて何だか面白かった。まるでコメディ映画のドタバタする主人公のようだ。一緒にいて面白いと思うのが不思議だった。


「えへへ……あっ、そろそろかな?」


 宏一はキッチンに向かった。どうやらお湯を沸かしていたようだ。


「ケーキと言えば紅茶ですよね。あ、コーヒーの方がいいですか? それとも緑茶? あ、ジュースもありますよ!」

「そんな! そこまで用意していただかなくても。では、こ、紅茶で……」

「はい」


 飲み物を用意し過ぎていた宏一。まさか自分が来た時のために色々準備していたのか。やっぱり優しい人だ。咲有里は思った。


「よし。では、いただきます!」

「いただきます」


 二人で手を合わせる。宏一は大きくシフォンケーキを切って頬張る。


「ん~! 美味しい! 美味しいです!」

「よかった……たくさん食べてくださいね♪」


 宏一に気に入ってもらい、咲有里は心が温かくなった。作った甲斐があったものだ。しかし、このシフォンケーキを食べ終わったら、宏一との繋がりは終わる。あくまでこれは傘に入れてもらったことのお礼。食べ終われば恩返しは終わり、二人が会う理由もなくなる。それがどこか寂しく感じる咲有里だった。


「ふぅ……食べた食べた。すごく美味しかったですよ」

「ありがとうございます♪」

「ちょっとトイレ行ってきますね」

「あ、はい。行ってらっしゃい……」


 宏一はトイレの個室に入る。今、何気なく発した「行ってらしゃい」という言葉。まるで夫の出勤を見送る妻のようだ。宏一が「行ってきます、咲有里」と言い、咲有里が「行ってらしゃい、あなた」と返す。もし自分とあの人が結婚したら……。その後の生活を頭の中で想像してみる。


「……///」


 自分が恥ずかしいことを想像していることに遅れて気がついた。


“私ったら何てことを……あの人の妻だなんて……”


 宏一にはもっとお似合いの相手がいる。まだ顔を合わせたばかりの自分が彼の妻になったらという妄想など、失礼極まりない。それに、まだ恋人にすらなっていないではないか。


 ピンポーン

 突然玄関のインターフォンが鳴った。


「青葉さーん、お届け物でーす」


 ドアの奥から男の人の声。宏一がさっき言っていた注文した荷物のことだ。咲有里はトイレにこもっている宏一の代わりに玄関に向かった。片手に印鑑を握り、ドアを開けた。


 ガチャッ


「今日は大学ないんでs……え!女の人!?」

「あ、あの……ご苦労様です……」

「あ、はい……ありがとうございます……」


 咲有里はぎこちない腕で段ボールに印鑑を押し、宅配業者は苦笑いで答える。


 ジャー ガチャッ

 宏一がトイレから出てきた。


「あ、今日もありがとうございます~」

「いえいえ~」


 どうやら宏一は宅配業者とは知り合いのようだった。二人の間に挟まれ、微妙な空気に包まれる咲有里。


「それにしても青葉さん……」


 宅配業者はドアを閉める前に、隙間から顔を覗かせて呟く。


「彼女いたんですね。めっちゃ美人じゃないですか。お幸せに……」


 パタン


「……え?」


 咲有里はきょとんとする。自分が……宏一の彼女に見違えられた。端から見れば、自分達は男女のカップルに見えるそうだ。


「……///」

「……///」


 二人揃って赤面する。


「すみません。ここに来たらまずかったでしょうか……彼女さんに間違えられて……」

「あ、いえ! そんなこと全然ないです! むしろ……その……」


 宏一は右手を頭の後ろに持っていき、赤面しながら呟く。


「こ、恋人同士に見られて……ちょっと嬉しかったです……///」

「え?」

「はっ! すみません! 僕ったら、またとんだ失礼を……なんて変なことを考えてるんだ! 本当にすみません!!!」


 宏一は頭を抱えて喚く。咲有里も顔を真っ赤にしながら答える。


「いいえ……その……」

「?」

「私も……その……嬉しかったです…///」






 今思い返しても実に面白い。咲有里は思った。宏一と同じ空間にいるだけで、自然と心が温かくなるのを感じる。それから二人は頻繁に会うことを約束した。宏一は優しいだけではなく、明るさを持っていた。その明るさを持って、咲有里をたくさん楽しませた。宏一と出会ったことで映画を見に行ったり、水族館に行ったり、旅行に行ったり、数々の思い出ができた。


 それから翌年のスイーツ博も、二人で一緒に行った。数々のスイーツを楽しんだその日の帰り際、宏一は咲有里に告白した。咲有里は、これ以上目の前でありのままの自分をさらけ出すことができる男性は宏一しかいないとわかり、快く告白を受け入れた。キスもハグも、どれだけ恥ずかしいことでも、相手が宏一ならば嬉しい。そう思った時、自分も宏一のことが好きだということに気がついた。


 一年の交際を経て、二人は晴れて恋人となった。




   * * * * * * *




「それであの人とお付き合いさせてもらうことになったの」

「う~ん♪ いいお話ですね! 私もそんな出会いがしたいです♪」

「あらあら、真紀ちゃんのお相手はもう隣にいるじゃない」

「そうでしたね、あははっ♪」


 真紀とお母さんは盛り上がっている。確かに聞いてていいお話だった。だけど……


「なんで今その話を……」

「満君、悲しんでる人を元気付けるためにはね、まずはお話を聞くのよ」

「え?」


 真紀が教えを説くように僕に語りかける。


「人は悲しい気持ちを抱えた時にね、それを誰かに共感してほしくなるの。具体的な行動をしてほしいんじゃなくて、『辛かったよね』とか『その気持ちわかるよ』とか、そういう言葉掛けを求めてるわけね」

「あぁ……」


 不思議と説得力がある。そういえば、綾葉ちゃんも似たようなことを言っていた気がする。つまり、お母さんの場合はお父さんがいなくなった悲しみを思い出に包み込み、誰かに話すことで軽減させているというわけか。


「特に女の子は悲しい時、共感を一層求めてしまうのよ」

「そうなんだ……」


 そうか。真紀が自然とお母さんの話に入っていくことができたのは、共感を求めていると瞬時に察知したからなんだ。お母さんだって一人の女性なんだ。流石女性同士、どこか心が通じ合っているところがある。女性ってすごいなぁ……。


「咲有里さん、少しは気が楽になりましたか?」

「えぇ……」


 お母さんはすっかりいつもの笑顔に戻った。


「また辛いことを思い出したら、いつでもお話を聞きます」

「ありがとう、真紀ちゃん」

「お母さん、僕も聞くよ。お母さんやお父さんのこと、もっと知りたいから」

「満……」

「お父さんはいないけど……僕達がいるよ」

「満、ありがとう! 二人共大好きよ~💕」


 お母さんは僕と真紀を思い切り抱き寄せる。お母さんのスキンシップには毎度うんざりさせられるけど、今だけはすごく心地いい。いつまでもこうしていたい気分になった。お母さんが元気になってくれてよかった。本当によかった。








「満君、私……やったの?」

「うん。やったんだよ」


 僕と真紀はベッドで布団を被りながら向かい合って寝ている。


「私、人を助けた……」

「あぁ、それだけじゃない。未来の技術に頼らずに、真紀自身の力で助けたんだ。真紀の女の子ならではの知識で。真紀が女の子じゃなかったらできなかったことだよ」

「やっとできた……もう助けてもらってばかりじゃないんだ。やった……」


 真紀の素敵な笑顔。それを見るだけでよく眠れそうだ。真紀は今日、僕のお母さんの悩みを解決したんだ。話を聞くという形で。あの時の真紀はいつもと違い、とても凛々しくてカッコよかった。


「あぁ、僕だったらできなかったよ」

「確かに、満君意外と女心理解してないもんね」

「うぅっ……」


 痛いところを疲れる。しかし、天気予報のように目まぐるしく変わる女心を理解するなんて、何も見ずに明日の天気を言い当てるくらい難しいと思う。とにかく複雑過ぎる。


「一度女心を勉強した方がいいわね。明日、性転換薬飲もうか♪」

「い・や・だ!」

「なんでよ~? 満君の石のように硬い男心を柔らかくしなくちゃ! 女心を理解するためよ?」

「そう言ってどうせ体触ったり、着せ替え人形にして遊びたいだけでしょ? 絶対にいやだ!」

「えぇ~お願いよぉ~。今回私頑張ったんだからそのご褒美~」

「い・や・だ~!!!」


 どれだけ人を助けてカッコよく見えても、中を開けてみればいつもの真紀。でも、それでいい。真紀が真紀でいてくれるなら、僕はいつでも僕でいられる。たとえ死んだ後でも。


 言い合いが終わって眠気も溜まり、僕は寝落ちする前に真紀に聞いてみる。


「真紀……」

「ん?」

「真紀は……もし僕が死んじゃったらさ、その時は悲しんでくれる?」

「もう……怖いこと言わないでよ」

「ごめん……」


 我ながら愚問だと思った。返ってくる答えなんてわかっていたのだから。




「思い切り泣き叫んでやるわよ。天国まで届くくらいね」

「真紀……」

「あなたのいない世界なんて……想像もしたくないから……」

「ありがとう……」

「それじゃあ、おやすみ」

「うん、おやすみ」


 自分のことをこれでもかと愛してくれる人と出会えたことに、大いに感謝した。僕は真紀とおやすみなさいの口付けをし、二人揃って幸せな眠りについた。











 ネクストタイム・ラブヒ~ント!『カップル』


「タイム・ラブ番外編、来週も見てね!」

「真紀……うるさい……」

「あ、ごめん(笑)」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る