第4話「白熱の体育大会 その3」



「行け~!」

「頑張れ~!」


 同じ赤団の団員のテントから、観客席から、実況席から、走者の列から、様々なところから応援の声が飛び交う。今回の二人三脚は、50メートル奥に置かれたコーンのところまで走り、コーンを一周してまたスタート地点まで戻って来る。そして、次のペアにタッチしてゴールだ。


「1,2,1,2……」


 自分達の走者と、相手の走者を交互に見比べた。見たところどちらがリードしているかは確認できない。スピードは互角のようだ。私と満君の番はもうすぐね。


「広樹! 頼む!」


 次は広樹君と美咲ちゃんのペアの番だ。前のペアは広樹君の差し出した右手にタッチする。


「行くぞ、美咲」

「うん! せーのっ、1,2,1,2……」

「1,2,1,2……」


 二人は走り出した。だが、広樹君が美咲ちゃんのペースに合わせて走っており、さっきのペアよりかはスピードが遅めに見えた。


「1,2,1,2……」


 でも、綺麗に走っている。二人の足の動きや歩幅が見事に揃っている。


「あぁっ!」


 赤団の団員の一人が声を上げた。美咲ちゃん達が白団の走者に抜かされたのだ。白団との距離が少しずつ開いていく。


「美咲~! 頑張って~!」


 綾葉ちゃんが口に手を当て、大きな声で叫ぶ。美咲ちゃん達はその応援に応えるべく全力で走る。


「綾葉! お願い!」

「オッケー!」

「行くぜ! せーのっ!」


 次は裕介君と綾葉ちゃんのペアだ。美咲ちゃんは綾葉ちゃんの右手にタッチし、二人は全力ダッシュを決めた。


「おっ、ぱい! おっ、ぱい!」


 会場にいる人達はみんな吹き出した。とんでもない掛け声に驚愕し、平然と走る二人に見入った。


「おっ、ぱい! おっ、ぱい!…」


 おっぱいおっぱいと連呼しながら、裕介君と綾葉ちゃんは走る。綾葉ちゃんも顔を真っ赤にして照れながら、やけくそに掛け声を叫ぶ。後で裕介君に聞いてみたところ、あの掛け声をしながら走ると、自然と綾葉ちゃんが走る時に揺れるおっぱいが気にならずに走れるという。おっぱいの揺れと息を一体化させてるんだとも言っていた。訳がわからない。


「な、何叫んでんだ!? あいつら……」


 一足先を走る白団の走者は相手の団の走者の掛け声に気を取られる。


「あ、ちょっ!」

「うわっ!」


 ザザッ

 白団の走者は揃ってその場で転倒した。絶好のチャンスだ。


「今だ~!!! おっ、ぱい! おっ、ぱい!」


 謎の掛け声をさらに続けながら、裕介君と綾葉ちゃんは全力疾走する。そして、転んだ白団の走者がコーンを一周するタイミングにはもうゴール直前だった。


「満~! 最後は任せたぞ~!」


 裕介君と満君はそれぞれ手を伸ばす。いよいよ私達の番だ。


 ドクンッ

 突然心臓が激しく音を鳴らした。え? 一体何? 心臓の鼓動はどんどん高ぶっていく。











 あっ、私……緊張してるんだ……。


 パチンッ

 裕介君が満君の右手にタッチする。


「真紀! 行くよ!」

「え、あっ、うん!」


 ダメだ。集中しないと。私達はアンカーなんだから……。アンカー……


「せーのっ! 1,2,1,2……」


 私はとにかく迷いを無理やり振り払って満君に着いていった。足の動きを揃えなきゃっ!足の動きを……


「1,2,1,2……」


 一生懸命掛け声を上げながら私達は足を動かす。


 ドクンッ ドクンッ

 まただ。どうしよう……アンカーとしての責任が重くのしかかって緊張してしまう。ここでしくじったら……負ける。


「行け~! 満~! 真紀ちゃ~ん!」

「頑張って~!」

「もうすぐコーンよ!」

「落ち着いて行け~」


 みんなの期待に応えないと!あぁ……でも……怖い。


「行かせないわよ~!」

「1,2,1,2……」


 横目で麻衣子ちゃんの姿が確認できた。ということは、追い付かれた。大変! 早く行かないと!


「あっ!」


 ザザッ

 コーンを一周し始める直前、私は砂利に足を滑らせた。滑った私の足に引っ張られ、満君もバランスを崩す。


「うわっ!」


 バタッ

 二人して倒れた。


「チャ~ンス♪」

「1,2,1,2……」


 麻衣子ちゃんのペアはスピードを早め、あっという間にコーンを一周し、ゴールへと向かった。


「痛た……真紀、大丈夫?」


 満君は私を心配そうに見つめる。




 パーンッ!

 その時、ピストルが鳴った。そして、白団の歓声が聞こえてきた。


「よっしゃぁぁぁぁぁ~!!!」

「勝ったわ~!」


 麻衣子ちゃん達白団の走者は思い切りジャンプし、喜びをみんなで分かち合っていた。麻衣子ちゃんのペアが先にゴールした。二人三脚は白団の勝利だ。


「あああ……」


 負けた。私が転んだせいで。私が無駄に緊張していたせいで。私は完全に責任感に押し潰された。みんなに会わせる顔がない。


「満君……ごめんなさい……」


 涙が出る。ますますみっともない。みんなの顔は遠くにいるからなのか、それとも涙で目が曇っているならなのか、よく見えなかった。でも、きっと怒ってるに違いない。呆れているに違いない。さすがの満君だって、きっと私のことをそんな顔で……









「真紀、立って」

「え?」


 満君の顔を見ると、笑っていた。あの爽やかな笑顔だ。なんで? 私達負けたのよ? それも私のせいで。


「あ、足……大丈夫?」

「え、ええ……」


 今度は手を差し出し、心配そうに私を見ている。足は少し痛むけど、大したことはない。私は満君の手を取り、その場で立ち上がる。


「よかった。それじゃあ、走ろ」

「え?」


 満君は私の背中に腕をまわし、肩にかけた。私も合わせて肩を組む。


「ゆっくりでいいからね。せーのっ!」


 私達は走り出した。本当にゆっくりと。


「1,2,1,2……」


 スピードは遥かに遅いが、一歩一歩確実に進んだ。いつの間にか、周りの歓声は止み、みんなはちびちびと進む私達を眺めていた。





 その時だった。


「真紀~! 頑張って~!」


 観客席から応援が聞こえた。この声は、ママだ。


「そうだ真紀! 頑張れ~!」


 今度はパパだ。静かな空気の中、大きく叫ぶ。


「満~! 真紀ちゃ~ん! 頑張って~!」


 咲有里さん……。


「止まるんじゃね~ぞ~!」

「最後までしっかり~!」

「真紀ちゃんと満君ならできるよ~」

「そうだ! ここまで走ってこ~い!」


 みんな…。


「真紀、行こう!」

「うん!」

「せーのっ!」


 私達は駆け出した。ゴールで待つみんなのところへ。


「1,2,1,2……」


 不思議だ。なぜか全身に力が湧いてきた。ゴールまで走れる。それだけじゃない、このまま満君とどこまでも走れそうな、そんな気がした。流れる汗が逆に気持ちいい。


 ゴールの線が近づいてきた。


 パーンッ!

 私達はしっかりとゴールした。負けてはいるが、清々しい気分だ。その勢いのまま、クラスのみんなのところへ飛び込んだ。


「満~!」

「真紀ちゃ~ん!」


 汗だらけの私達の体を気にもせず、みんな思い切り抱きついてきた。男とか女とかも関係無しに。


「よく頑張ったな~」

「偉いわよ~!」

「二人ともすご~い」

「お疲れさん」


 なんでだろう。負けさせてしまったのになぜかみんなは私を責めない。それよりも私達が走り切ったことに対して祝福してくれている。


「みんな、ごめんなさい……私のせいで……」


 みんなは抱きつく腕を止め、一旦離れる。


「お~い、嫁さんが泣いてるぞ~。旦那が慰めてやれよ~」


 ニヤニヤしながら裕介君は満君に言う。


「誰が旦那だよ……」


 呆れながら、満君は私の顔へ手を持っていき、涙を脱ぐってくれた。


「満君……?」

「真紀、言ってたよね? 楽しもうって。僕、運動苦手だけど楽しめたんだよ」


 そして、満君は私の頭を優しく撫でた。満君の手は温かかった。


「真紀と走れたから楽しかったんだと思う。真紀のおかげだよ。ありがとう」


 最後にとびっきりの笑顔をお見舞いしてきた満君。あぁ、すごい。君はどんな暗い感情も全部打ち消してくれる。誰もが言えるような平坦な言葉でも、満君が言うとたちまち安心できる。声に魔法がかかっているかのようだ。


 気がつけば、私の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。よくこの顔になるなぁ……私は。


「満く~ん!」


 私は思い切り満君に抱きついた。満君は困惑していたが、お構い無しに抱きついた。


「私の方こそありがとう! ありがとう! 本当にありがとう!」


 こすり合う体操服の中で涙と鼻水と汗が混ざり合う。これは洗濯が大変そうだ。でも、この気持ちだけは洗い流させない。


「あっ……ちょっと、真紀……///」


 赤面する満君、可愛い。いや、カッコいいはず……なんだけど、まぁいいか。


「もう……これじゃあ私達の勝利が薄れちゃうじゃないの」


 遠くで麻衣子ちゃんが私達を見ているのがわかる。せっかく勝ったのに、私達のせいでせっかくの達成感が薄れてしまった。でも、満更でもない顔だ。やっぱり、戦いが終われば敵も味方も関係ないよね。


「リア充爆発しろ~」

「ヒュ~ヒュ~♪」

「さすがクラス一のバカップル」

「お似合いだぜ」


 クラス中から歓声が上がる。いつの間にかクラス公認のラブラブカップルに思われていた私と満君。


「んもう……」


 でも、悪い気がしなかった。










 だって、本当に満君のこと好きなんだもん。


 満君の方は……どうかな?




「真紀……」


 満君はさっきからずっと私を抱き締めてくれている。どうやらそれが満君の答えのようだった。


「よかった♪」

「何が?」

「何でもない♪」

「?」


 結局、この後の閉会式で今年も白団に優勝を奪われてしまったことを知らされた。でも、私達にとってはもはやどうでもよかった。今じゃなくてもいいか。いつか聞かせてくれると嬉しいな。いつか、君の声で気持ちを聞かせてね。


 君のその魔法のような、その声でね。


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