人生は美しい

 目が覚める。枕元の時計は九時半過ぎを指している。むっくりと起き上がり、伸びをする。ベッドからは沙紀の気配はとうに消えている。平日はいつもそうなのだが、夜のあいだ愛し合った相手が朝になるといないというのはやはり寂しい。この寂しさには慣れるということがない。

 部屋着を着て、顔を洗い、食パンをトーストして食べる。寝るのは同じ時間のはずなのに、私は沙紀のように早起きができない。いつも九時か十時までぐっすり寝てしまう。別にそれほど疲れが溜まっているわけではなく、どちらかと言えば沙紀の方が毎日の仕事は大変そうなのだが。

 テレビをつける。いつものワイドショーをやっている。この時間は芸能ゴシップのコーナーだ。新人俳優の私生活について事細かに報じている。それほど興味は湧かない。三分ほどぼうっと見てからテレビを消す。

 夜のあいだに回しておいた洗濯機から、洗濯物を取り出してベランダに干す。ロボット掃除機のスイッチを入れる。朝の家事はこれで終わり。あとは仕事の時間だ。パソコンを立ち上げる。まずはメールをチェックする。次にカレンダーを開き、納期を確認する。予定に変更はない。昨日の続きをやるだけだ。

 今どきは在宅で働く人の割合も昔に比べればだいぶ増えたそうだが、それでも高い仕事のスキルと自己管理能力がなければやっていけない。私は自分がデザイナーとして特別優れているとは思わない。まあ人並みにデザインはできるが、顧客とのやり取りとかは苦手だ。美大生のときに今の上司が声をかけてくれなかったら、なかなかいい仕事にありつけなかったかもしれない。

 十二時半くらいまでに、基本のレイアウトを仕上げ、顧客にデータをメールで送信する。炒飯を作って食べる。テレビではまたワイドショーをやっている。天気予報まで見てスイッチを切る。メールを確認すると、顧客からOKが出ている。五日後までに仕上げをすれば、この仕事は終わりだ。

 午後は別の仕事に取りかかる。仕上げ段階に入っているものが二つある。どちらも最後の細かい調整だけだ。しかしそういう仕事が一番神経を使う。一時間半ほどで疲れてしまう。そういうときは、ベッドに横になって音楽を聴くか、テレビで昔の映画を見る。今日は横になるほど疲れていないので映画にしよう。テレビでストリーミング配信サービスのページを開く。まだストリーミング配信サービスがなかったころはレンタルビデオというものがあって、家で映画を見るにはショップに行ってビデオを借りてこなければならなかったらしい。今では古今東西のどんな映画でも、月会費を払えばリモコン操作一つで見ることができる。便利な世の中になったものだ、と年寄りは言う。しかし私たちにとってみればそれはもう当たり前のことだ。

 なかなか今日の気分に合いそうな映画が見つからない。十分ほど迷った末に、『ライフ・イズ・ビューティフル』を見ることに決める。一九九七年のイタリア映画で、今までに見た映画の中では五本の指に入る。もう十回くらいは見たかもしれないが、この映画に関しては飽きるということがない。

 前半は普通のコメディ映画だ。監督も務めたロベルト・ベニーニ演じる主人公が、ヒロインに一目惚れし、あの手この手で求愛する。ヒロインも次第に心を許し、二人は結ばれる。やがて息子が生まれる。

 しかし幸せな日々は長くは続かない。時は一九四〇年代、第二次世界大戦のさなかだ。主人公はユダヤ人なのだが、北イタリアに駐留してきたナチスドイツの迫害を受け、家族は強制収容所に送られてしまう。 母と引き離され不安がる息子に、主人公はとっさの機転を利かせて嘘をつく。これはゲームなんだ、いい子にしていれば点数がもらえて、一〇〇〇点になったら本物の戦車が手に入るんだ、と。息子はそれを信じ、収容所での絶望的な生活は、楽しいゲームに変わる。

 結局、主人公はナチスの兵士に銃殺されてしまうが、息子は連合軍の兵士に助けられ戦車に乗せられる。そして母と再会する。この最後のシーンは何度見ても目頭が熱くなる。主人公は命を懸けて二人を守ったのだ。

 戦争というのは遠い昔の話で、私たちにとってはもはやフィクションと言ってもいいようなものだ。それなのにどうして、この映画を見ていると胸が締め付けられるのだろう。エンドロールのあいだそんなことを考える。


 もう五時前だ。食材の買い出しに行かないといけない。着替えて、買い物袋を提げて外に出る。今日の夕食は何にしよう。そういえばここのところパスタを食べていないな。沙紀の好きなペペロンチーノはどうだろう。うん、そうしよう。

 近所のスーパーに行く。スパゲッティをかごに入れる。オリーブオイルはまだ残っていたはずだ。ニンニクもある。唐辛子はあったかな。少し買っておこう。あとは肉と魚と野菜を買う。朝食用のパンも。

 ペペロンチーノはすぐできるから、先におかずだけ作っておく。六時半には一通りできあがる。リビングに行ってテレビをつける。今日はクイズ番組をやっている。若手女優の珍回答に、場内は爆笑に包まれる。私もくすっと笑う。沙紀はバラエティ番組にはまったく興味がないから、見るのはいつも私ひとりだ。別にそれで寂しいとかは思わない。それは単に二人の価値観のちょっとした違いを表しているのに過ぎない。それよりもずっと深いところで、私たちは繋がっている。

 クイズ番組が終わるとニュースが始まって、それも三十分で終わる。ドラマが始まるとテレビを消す。窓の外の暗闇を見ながら、ただぼうっとしている。そのうちに沙紀が帰ってくる。「おかえり」と私は言う。「ただいま」と沙紀も返事をする。ちょっと疲れた感じの声だ。私は何も訊かず、キッチンに行って夕食の支度をする。相手の様子が多少いつもと違っていても、余計な詮索はしないと二人の間で決めている。フライパンにオリーブオイルとニンニクと唐辛子を入れて弱火にかける。沙紀がやってきて、「ペペロンチーノ?」と尋ねる。「そう」と私は答える。沙紀はそれ以上何も言わず、棚から食器を取ってテーブルに運ぶ。


「いただきます」

 私たちは黙々と食事をする。時折フォークと皿が触れ合うかちんという音がする。静かな夜だ。そういえば今日はまだあまり仕事をしていないな、と私は思い出す。食後に仕上げの続きをやらなくては。

「ねえみのり、私って真面目すぎるかなあ」

 不意に沙紀がそんなことを訊く。それは私たちの間ではあまり交わされることのなかったタイプの会話の切り出し方だ。私はちょっと面食らう。

「うーん、真面目は真面目だけど、真面目すぎるとは、少なくとも私は思ったことないなあ」

「そっか」

「真面目すぎるっていうのは、融通が利かないとかそういう人のことでしょ。沙紀は別にそんなことないもの。私のイメージでは、沙紀は与えられた自分の役割を全うすることを第一に考えていて、そういう意味で真面目。でも他の人たちのこともきちんと考えていて、寛容さがある。だから何か言われたからって全然気にすることないと思うけど」

「うん。ありがとう」

 私たちはしばらく黙っている。沙紀はちょっと神経が細いというか、まあ私が図太いだけで沙紀は人並みなのかもしれないが、職場のごたごたに巻き込まれてこうして疲れを見せることがたまにある。沙紀が相談してくれば私は乗るし、してこなければ何も言わない。私が思うに、おいしいご飯を作ってあげることの方がよっぽど大事だ。


 その日はそれ以上何も話さない。私は仕事の続きをして、沙紀はお茶を飲む。十時になったら順番にシャワーを浴びて、歯を磨いて寝る。今日はセックスはしない。「おやすみ」と私は言って電気を消す。沙紀も「おやすみ」と言う。

 しばらくすると、沙紀が私の胸に顔をうずめてくる。私は沙紀を抱き寄せ、優しく頭を撫でる。暗がりの中で、互いのゆっくりとした呼吸を聴く。夜が更けるまで、私たちはそのままでいる。

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